座標軸の出現

Posted at 12/11/21

【座標軸の出現】

昨日今日となんだかずっと突っ走っている感じがあって何をどう書いていいのか分からない感じなのだけど、火曜日の朝は5時半に目が覚めて、かなり十分時間があったが、10時半には出かけなければならないので何もかもというわけにはいかなかった。モーニングページを書いて小説の続きを少し書いてあとはツイッター上での論争に巻き込まれてしまったのはちょっと不覚。団地の中のパン屋さんでパンを三つと牛乳を買う。

行き帰りに東京駅を通るたびに、何か懐かしい感じになって、つい写真を撮ってしまう。全部アップしているわけではないけれども。何となく最近、東京駅が自分の原点みたいな気がしてきた。そんなことはなかろうけど。

ウイルスちゃん
暁方ミセイ
思潮社

特急の中で暁方ミセイ『ウイルスちゃん』を読む。その言葉たちによって、自分の中からとても喚起されるものがある。技法的な巧みさもあるが、私が魅かれるのはやはり言葉の選択の仕方。否定の使い方のうまさ。有と無の間の自由な往来。それはもちろん、生と死の間の自由な往来でもある。

すべての詩が好きだというわけではないが、ある特定の詩には言葉にものすごく寄り添いたい気持ちが起きて来るところがあり、その言葉のノスタルジーというか萩原朔太郎的な「のすたるじあ」の使い方の巧みさには驚かされる。

この人の詩は朔太郎的であり、中也的であり、賢治的であり、俊太郎的であり、それでいてそのなにものでもない確かにこの人でしかないものが確固としてあり、そしてその作品のばらつき方からしてものすごい急成長をしているのではないかと思われる。

いろいろ議論として取り上げる仕方はあるだろうけど、自分として有り難いのは、この人の詩を読むことによって自分自身の立ち位置ややろうとしていること、方向性がはっきりして来る部分があると言うことだ。つまりすでにこの年にして、詩や言葉の世界において「座標軸」たり得る力がある作家だと言うことになる。並々ならぬ才能だ。

なにしろ、この人の詩を読んでいると、自分が書いている作品がこういう方向でいいんだと言うはっきりとした自信が出て来るし、自分が書いてきた詩や作品群の中で、これこそが自分の方向性だったんだというものが読み返してもいないのに思い出されて来るし、リマインダーとしても凄い働きをしてくれている。膨大に書いた作品群を、自分なりに点数がつけられるようになった感じがするというのは、それだけある種の座標軸として『ウイルスちゃん』が立ちあがっているということに他ならない。

私が書こうとしているのは言葉にならない世界だし、生きているものと生きていないものの境目の世界だし、ある種の森の中の世界なのだけど、この人がいるのはそこそのものではないにしても斜め上とか捻じれの位置をつうっと運行している新しい惑星のようなもので、明確な軌跡を描いているように思われる。

ああそうか言葉を変えていえば、この人の言葉の使い方が新しいスタンダードになるのではないかという予兆のようなものを感じさせると言えばいいのかもしれない。ミセイ以前・ミセイ以後、みたいな、そういう時代を画すものとして。

そういう意味では、これは「個性」というような生易しいものではないと私は思う。私がはじめてサイトで読んだとき、これは完全に新しいリアリティ、新しいポエジーが出現したと感じて驚愕した。これは個性というような生易しいものではなく、その作品に触れた人の感性をそちらの方に矯めてしまうだけの凄い力を持った何かなのだ。

私がはじめて詩に目覚めたのは高校三年で読んだ萩原朔太郎の「遺伝」だった。それと「およぐひと」「氷島」、谷川俊太郎のソネットの60番。いずれも教科書で読んだものだけど、長い長い詩との付き合いの初めはそんなものだった。中也を知り賢治を知りそれからさまざまなものを読んで行ったけれども、やはり朔太郎が自分にとっては一番の詩人だった。しかしやはり朔太郎は大正時代の詩人であって、現代からみると隔靴掻痒の感がある。暁方ミセイさんの作品は、そういう自分の詩的世界に殴り込みをかけられたような衝撃があった。

断片的だが、まずは第一印象とその後数日の印象の変化というような感じのことをとりあえず記しておきたい。

Kindle Paperwhite 3G
Amazon.co.jp

昨日帰郷すると実家の方にキンドル・ペーパーホワイト3Gが届いていて、時間を見ながらいろいろ設定した。思ったより見やすい感じだが、モノクロなのでカラーの本を見たい人は違う機種の方がいい。キンドルの表示形式でないものをどのようにダウンロードして読むかなどこれからの検討課題は多いが、うまく使いこなして行けば特に物体としての書籍自体がほしいわけではないけど読んでおきたいと言うようなものに関しては上手く使っていけるのではないかと思った。

今朝は7時ごろ起きて、モーニングページを書いてご飯を食べた後、小説の続きにかかる。第6部を読み返してみて、自分としてかなりすごいものを書いてしまったという感に打たれる。その続きを書いていて、ふっとここで終わりにしようという地点がやってきて、すっとそこで終わることになった。『往還』6部作、8月の中頃から書き始めて3カ月。とりあえず第一稿を脱稿することができた。嬉しい。あとはきちんと推敲して、よい作品に仕上げて行きたいと思う。

月刊 COMIC (コミック) リュウ 2013年 01月号 [雑誌]
徳間書店

昼ごろタイヤ交換(長野県ではこの時期にスタッドレスに替えることは必須)とリコールの通知があったものの交換と簡単な修理を一か所ディーラーに頼んであったので出かける。車を預けて代車を借り、書店に立ち寄る。特に買うつもりがあったわけではないのだけど、『コミックリュウ』が出ていたので買った。それからちょっと立ち読みした『美術手帖』のライアン・マッギンレーの特集がとてもよさそうで、何と言うかこの人の表現にすごく共感するものを感じて、買ったのだった。帰宅して昼食、また出かけて車を取りに行き、こまごま用事をこなした。ああこの人の個展、小山登美夫ギャラリーとかでやってたのか。

美術手帖 2012年 12月号 [雑誌]
美術出版社

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by Luke Peterson

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