「思ったよりずっといい」主義/サブカルチャーとハイカルチャー/感想いくつか

Posted at 12/11/07

【思ったよりずっといい主義】

今日は立冬。「冬来たりなば、春遠からじ」と小松薬局の日めくりに書いてある。iPhoneの暦アプリでは「立冬 山茶始開(つばきはじめてひらく)」とのこと。山茶花と椿はわずかな違いだが、まあ昔から混同されがちだったんだろうなと思わせる言葉。花の散り方の違いだけだし。私自身は山茶花の花びらを散らす散り方の方が好きだけど、武士の美意識は椿の散り方を好んだ、といわれている。道路に散乱する山茶花の花びらってすごくきれいだと私は思う。

月曜日に横浜で話をしていて、私は決められた人生を生きるのがあまり好きではないし上手でもない、という話になっていたとき、つまりは計画を立てて計画通りに生きるというのもあまり好きではなく、いつも思った以上にいい結果が出る、というのが好きなんだということに思い当った。思い当ったというか、そのことを常に無意識に思ってはいたのだけどきちんと言葉にはならなかったのがちゃんと言葉になったということなのだが。これは考えてみたら私のすごく基本的な哲学なんだなと思う。「思ったよりずっといい」主義。思った通りじゃつまらない、思ったよりずっといいからわくわくできる、という感じ。そう思って生きてみると、人生はわくわくやときめきに満ちている。

私は基本的に楽天的な性格なのだけど、そこまではっきりとそういうものを求めて生きているんだということは長い間自覚していなかった。「思ったよりずっといい」。それを求めて行くという生き方は、たとえばスティーブ・ジョブズなんかの求めていたのはそういうものなのだと思う。計画通りにできたってつまらない。もっと素晴らしいものを作るんだ!っていう感じ。周りは大変だろうけど、それについていけたらとても楽しいだろうね。だって本当に思ったよりずっといいものが出来るんだから。アップルの製品を持った時に感じる心楽しさというのは、そういう精神に貫かれているからなんだなと今書きながら思った。思ったよりいいものができるという予感を大事にし、アイデアにトライし、現実化に励み、結果をゲットする。そうやってどんどんいいものを生みだして行き、そうやって世界をどんどん面白く楽しくしていく。そんなことができればすごく楽しいよね?

GIANT KILLING(1) (モーニングKC)
ツジトモ
講談社

もともと、この考えは私の中に眠っていたのだけど、それを呼び起こしてくれた、形にしてくれたのはマンガだったなと思う。「Giant Killing」。サッカー漫画。とある日本のプロ1部リーグの弱小チーム、ETU(イースト・トーキョー・ユナイテッド)に現れたイングランド帰りの監督・達海猛が負けることに慣れてしまったチームに伝えたメッセージ。反抗する選手が「あんたは思い通りにできてていいだろうけどよ」というのに対し、「思い通りにできてるなんてつまらないよ。思った以上にできるから楽しいんだ」と言って選手たちをびっくりさせる。破天荒な練習をさせて戸惑う選手たちが、自分たちの思いをぶつけながら練習に取り組んでいく姿に「ここは思ったよりずっと良かった」とかちゃんと伝えて行くことで、「自分たちも思ったよりずっといいサッカーができるかもしれない」という気持ちにさせて行く。サッカーという具体的な結果がすぐ出るスポーツだからこそ、うまく行くこともうまくいかないことも思う存分描くことができて、そのメッセージの強さ素晴らしさがどんどん浮かび上がってくるという寸法だ。

もっと面白いこと、もっとわくわくすることができるはずだ、と思って世の中を見ていれば、そんな種はそこらじゅうに転がっているだろうし、そういうものを見つけて育てて行く「楽しいことソムリエ」みたいな感じで「本当に育つ芽」を見抜き、それを花開かせていくことは、たぶん私はもともとすごく好きなのだなと思う。まあ長い人生の中で開くように見えるけど開かないだろうなと思われる芽とか、そういうものもいやというほど見せられてきたけど、まあ残りのそんなに長くない(できれば今までの人生と同じくらいはそういうことをやり続けていたいと思うが)人生の中では、開く芽に集中して開かせていけたらいいなと思う。少なくとも、まずは。

まあもちろんまずは自分の作品の芽を開かせていくわけだけどね。

作品を書きながら一段落することに自分のやりたいことが見えてきて、楽しい。確かにこういうビジョンは作品を書かなかったら出て来なかっただろうなということなので、私は本当にそういうことに向いているんだなと改めて思う。商業的な成功も楽しいけど、人生的な成功の方がもっと楽しいだろうなと思うし。


【サブカルチャーとハイカルチャー】

マンガがいいなと思うのは、そういう新しいビジョン、今まで見たことがなかったビジョンを、私に与えてくれるものだから、というところが大きいんだなと改めて思った。そういう意味での実験性というものは、少なくとも私が読んでいる限りでは小説なんかよりマンガにずっと強く現れているように思う。小説のトライはまたもっと違うところにあることが多いんだろうなと思うのだけど、マンガというものは無意識のうちに人が本当に求めていることにフィットしないと生き残れないものであるから、そういう無意識に人が求めているものに近いところのものを汲みあげるには、マンガを読むのは悪いトライではないということだなと思った。

ハイカルチャーはハイカルチャーでやはりある程度の形式が決まっていて、破天荒なことをやって革命を起こすのも楽しいけど、やはり今までの文脈に縛られてしまうところがあるというのは村上隆の何冊かの著作を読んでいるとそう思う。いわゆるサブカルチャーはそういうものに縛られず、流動的な世界の流れにそのまま沿う形で人の無意識に求めているものをピンポイント的に拾い上げることができるわけで、多分もともとそういうのは日本人がけっこう向いているところがあるから、だからマンガをはじめとするサブカルチャーが日本で隆盛を極めるところがあるんだなと思った。

ただ世界的な強さ、歴史の文脈に裏付けられた強靭さみたいなものは、たとえサブカルチャーの要素を取り入れるにしてもハイカルチャーでなければ実現できないところはあるわけで、そういう点では日本人にもっと頑張ってもらいたいなというところはあるんだなと思った。まあ私の作品がこれからどちらに位置づけられて行くのかは分からないけれども。

新古今和歌集 (新 日本古典文学大系)
藤原定家他撰
岩波書店

たとえて言うならば、ハイカルチャーというのは新古今和歌集における藤原定家や後鳥羽上皇の詠みぶりであり、日本人ならではのサブカルチャー的な視点が息づいている読みぶりというのが西行の詠みぶりということになるのだと思う。日本人の作家(と言っていいかどうか)にはときどきそういうハイカルチャー的な文脈から離れたところに忽然と現れる作家というのがいて、それがその人の独自の世界を展開するだけで芸術的な子孫も残さず、ものすごく後世になってそのあとを慕って新しい流派をつくりだしたりする人がいる。西行もずっと特別の存在だったけど、それを慕って芭蕉が新しい俳句の革新をなしとげたりするような。そういう存在が明治でいえば石川啄木だと思うし、昭和でいえば太宰治なんじゃないかな。現存の人でいえば谷川俊太郎も。こういう人たちハイカルチャーの流れから言えばある種の異端なのだけど大衆からは強く支持され、まるでその時代の代表みたいに思われて行くけどでもそういう人たちだけを追っかけて行っても文学史的な流れは全然見えてこない。流れそのものはハイカルチャーの側にあるわけで、そういう人たちは悪いえばあだ花、よくいえば突然変異的なきらめく星であるわけだ。

だから現代の日本において、ハイカルチャーとサブカルチャーの二つの流れがちゃんとあることはすごくいいことだと思う。サブカルチャーが目立ちがちではあるけれども、ハイカルチャーは目立たないけれども強靭な流れを維持し続けていることは折に触れて思うことであるし、村上隆のようなその中での革新派の人たちもちゃんと頑張っている。お互いがお互いのいいところを拾いながら豊かな作品群を生みだしているという点で、私は現代という時代は決して悪い時代ではないと思う。

創造力なき日本 アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」 (角川oneテーマ21)
村上隆
角川書店(角川グループパブリッシング)

【感想いくつか】

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
コリンズ・ボラス
日経BP社

昨日帰郷の際、丸善で本を物色した。読みかけの本が膨大にあるのにまだ新しい本を買うのか、というのは自分でもあきれるが、何と言うかタタタタターっと宙に浮かんだ道を駆けあがるにはたくさんの本が必要だ、という感じがするのだ。で、買ったのはコリンズ・ボラス『ビジョナリー・カンパニー』(日経BPマーケティング、1995)。この本は昔からなんか気になっていたのだけど、なんか気になるものは買ってしまえと思って買ってみた。まだ最初しか読んでないけど面白い。まだ全然わかってるわけじゃないけど、印象としては、つまりはこの本は「思ったよりずっとうまく行ってる会社というのはどういう会社なのか」みたいな本なのではないかと思った。まあそういうわけで今思っているものとつながってる感じがするのだけど、まあ予想通りになるかどうか。

ゴーグル (KCデラックス)
豊田 徹也
講談社

夜寝る前に、買ったままちゃんと読んでなかった豊田徹也の短編集『ゴーグル』(講談社、2012)を少し読む。昨夜読んだのは「ミスター・ボージャングル」と表題作の「ゴーグル」。この人の作品がいいなと思うのは、決して思ったように筋書きが展開していかないこと。思ったよりずっと悲しかったり、思ったよりずっとほんわりしたりする。でもそこに何かじん性の救いのようなもの、人生の希望のようなものが見えて、読後感に人間のこころとか存在の頼りなさへの豊かな感情の波立ちが自分の中に感じられるというか、まあ簡単にいえばやさしい気持ちになれる。その自分の中にある豊かな感情の波立ちというのがまさに彼の代表作の題名になっている『アンダーカレント』なんだなと思う。『アンダーカレント』はハッピーエンドなのかアンハッピなのかちょっと分からないところがあるけれども、むしろ彼が『アンダーカレント』で描きたかったことが、この『ゴーグル』を読んでいるとよくわかる、という気がする。

アンダーカレント アフタヌーンKCDX
豊田 徹也
講談社

それにしても五十嵐大介といい豊田徹也といい、日本には隠れた巨匠というか凄い存在がいるんだなあとびびらされてしまう。日本は思ったよりずっと面白い、ずっとすごい国なんだと思う。

はなしっぱなし 上 (九龍COMICS)
五十嵐 大介
河出書房新社

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上の文章を書いてからしばらくして『ゴーグル』読了。やはりいい本だった。最後に作者自身が書いた作品ごとのあとがきがあって、それもとても味があった。いとおしい作品を作る人だ。

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