プリンシプル

Posted at 12/10/25

【プリンシプル】

昨日から気持ちが落ち込んでいて、というかここのところのどこかしらの無理が積み重なってきた感じがあって、驚くくらい急速に落ち込んだ。仕事の内容や日常のつまらないことの一つ一つが後悔の対象になったり、自分を支えるものが何なのかが分からなくなる悪循環に陥りかけていた。今朝ふとそういう状態になっているのはなぜかということに思い当ったのだが、つまりはある言葉に囚われて自分の本当にやりたいことを見失っていたと言うことだった。

その言葉は、凄く自分のやる気を出してくれる、踏ん張る力を与えてくれる言葉だったので、ついその言葉を反芻してそれを実現しようとする勢いがついていたのだけど、どうも逆にその勢いが自分をあらぬ方向へ持って行ってしまったらしく、道に迷ってしまった感があった。

こういうときは素直に落ち込んでリセットすればいいなと思い、夜は落ち込んだまま寝たのだけど、朝はゆっくり寝られて、職場の資源ごみを出しに出かけるときにふとこういうことをモーニングページに書けばいいんだよなということに今更ながら思い当った。そう思いながら車に乗ってセブンイレブンへ行ってモーニングを買おうとして車を降りるときに、自分がしたいことをしているかどうかのチェックを怠っていることに気がついたのだった。

モーニングはいつもセブンイレブンで買っているので、セブンイレブンへ行くぞと思って車に乗って、でもローソンの方が職場へ行く道だなという案も思い浮かんで、いやでも最初にセブンイレブンに行くぞと思ったのだからセブンイレブンへ行こう、と思ったことで「はっ」となったのだった。私はセブンイレブンへ行きたいと思ったのだ。だから便利だからとか都合かいいからとかそういうことでなく、行きたいところへ行けばいいということをそこで再確認したのだった。

これは何をつまらないことをと思うかもしれないが、自分にとってはもっとも重要なプリンシプル(原理・原則)である「やりたいことをやり、やりたくないことをやらない」ということを徹底するために、自分にとっては重要なことなのだ。今はセブンイレブンとローソンの選択であっても、もっと重要な選択のときにきちんとやりたいことを選択するための意志の道の始まりなのだ。

言葉には魔力があるからそれに囚われることがある。魔力というか、魅力と言ってもいい。しかし魔力とか魅力というのは本当は好きではない、やりたくないことでも自分の都合とか見栄とか自己満足とか昔の願望の残滓とかを材料として自分を簡単に動かしてしまうことがある。それがやりたいことであるかのように簡単に偽装されてしまうのだ。だからそれを意識的に無力化しなければならないときがある。つまり、捨てるのだ。

私を今回惑わしたのは、「自分や自分の身の回りを支配する」という言葉だった。その言葉のせいで、「自分を支配したい」と思ってしまった。これは大変魅力的な言葉だ。自分のすべてが自分の意識や意志のコントロール下に置けたら、何もかもうまくやれるような気がしてしまう。しかしそうしたい、と思った途端に自分を支配したいという気持ち自体が暴走してしまったのだ。そうすれば人の期待にもこたえられるし自分の昔の願望の残滓も実現できるかもしれないと、変に盛り上がってしまった。そして実際に自分が起こした行動によって自分がショックを受け、動揺してしまった。そしてあとは奈落への道、負のスパイラル。やるべきことをやっていれば天が味方するという言葉から考えれば、今の自分はやるべきことをやっていないことだなとさらにああ、と思ったり。

今思うと、「自分を支配したいと思うこと」と「自分を支配すること」は全然別のことなのだ。特に私の場合は、やりたいことをやるために自分を支配するとかではなくて、自分を支配するという言葉自体に酔ってしまうようなところがある。その酔いに任せて行動したら、それはあとで落ち込むのも当然なのだよなあと思う。

私は、やりたいことをやると言うプリンシプルを見失ってはならない。私は上手くやろうとすると本当に危ない。私を酔わせる言葉はいくらでもある。そういう酔いをもたらす言葉はよけいなもので、ただやりたいことを我慢しないでやればいいのだ。

負けたくないとか、いいところを見せたいとか、期待にこたえたいとか、そういうことはすべて余計なことなのだ。本当の意味で自分を支配すると言うことは、そういうことを捨てることなのだ、と思った。

極端にいえば、「やりたいことをやる」と言うことは、「それ以外のすべてを捨てる」ことなのだと思う。それを実際にすべてのことを捨ててやりたいことをやったのがかつての茶人たちであり、あるいは西行や一休のような「風狂」の生き方だったのだと思う。

草子ブックガイド(1) (モーニングKC)
玉川重機
講談社

帰ってきてモーニングを読むと、玉川重機『草子ブックガイド』が掲載されていた。今回はサマセット・モームの『月と六ペンス』。ゴーギャンをモデルにした小説だ。主人公ストリックランドが妻子を捨てて絵に没頭し、唯一自分を評価してくれた画商の妻を寝取り、捨てる。自死した妻とストリックランドが残した絵を見た画商は絵を破こうとするが、破れない。そのストリックランドと絵を評価されずに暴れる画家の父とを草子は見くらべて、父に宛ててブックガイドを書く。「死にたいなら死になさい 生きたいなら生きなさい 捨てたいなら捨てなさい」と記されたブックガイドを見て父は草子と話をする。草子は、ストリックランドは大嫌いだけど、自分から目をそらさずに生き続けて自分の絵を描いた、その生き方はさわやかだ、という。だから父にはもし私を捨てたいのなら捨ててでも、本当の絵を描いてほしい、と。シンクロニシティというものはあるものだと思った。

期待にこたえたいと思うのはよけいなこと(邪心)だが、そう思わないでやりたいことをやって結果として期待にこたえることはあるし、いい恰好をしたいと思うのはよけいなことだがそう思わずにやりたいようにやった方がかっこいい、ということでもある。すべてを捨ててやりたいことをやった方がかっこよくもあり、結果的に期待にこたえることになると言うことも、あるのかもしれないと思った。

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by Luke Peterson

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