神は細部に宿る/力を発揮して生きる

Posted at 12/09/06

【神は細部に宿る】

おとといの帰郷の特急の車中で調子を崩し、就寝中は転げまわっている感じだった。昨日朝起きたら痛みもだいぶ引いていたので取りあえずはおとなしく過ごそうと思っていた。何となく物を書き始めたら20枚ほどの短編小説が一本書けた。ただ、読み直して見ると後半に急いでいる感じがあり、前半が掘り下げが足りない感じがあって、また調子のいい時に書きなおさないといけないなと思う。まあ中間の展開部でちょっとつくりが難しい部分、奔放に書きたいことを書けばいいということだけでは済まない部分が大きいからだろうなと思う。でもそれにしても私の書く小説は想像力がいのちだと思うので、想像が広がらないようなものになってしまったら仕方がない。特にディテールの書きこみが足りないなあと思う。神は細部に宿るというけど、結局読む人が引きこまれたりするのはディテールを呼んでいるうちに自分がその世界にどうかして来るという現象が起きるからなんだと思う。仕掛けとかばかりに意識が行きやすいけれども、小説で一番大事なのは文体なのだと改めて思った。


【力を発揮して生きる】

今日は一カ月ぶりに整体の操法を受けに松本へ。活元運動をしているうちに、自分の身体に対する考え方の直した方がいい部分に気がついた。これは教員時代にさかのぼるのだが、無茶な仕事をし過ぎて体を壊したという前歴があって、つい無理をしない方向にばかりものを考えてしまう傾向があり、少し調子が悪いとすごく体に対して弱気になる傾向があるということに気がついたのだ。考えてみればなくなった先生にも「もっと力を発揮して生きた方がいいです」というようなことを何度か言われたことがあり、それがどういう意味なのかあまりつかめてなかったのだけど、身体とか健康の状況に対して慎重になり過ぎるそういう傾向に対して言われたんだなということを思った。

やりたいことを本当にはやらないで生きてしまう。そういう生き方はしたくないと思う。やっていてよかった、生きていてよかったということをしたい。まあそんなこといつも考えているわけではなくて、考えてみればやりたいことやってるなあ、ということでいい。常にそんなことばかり考えてるのも変だから。最近ごちゃごちゃいろいろ考えてはいるが、基本的にやりたいことはやれるようになってきているなあと思う。私はものすごくこだわりだのひっかかりだの決めつけだの思いすごしだのが多い人間なので、そういうものを整理して自分の本体がどこにあるのかを確認して行くのは大事なことだと思うし、そういうものを体できちんと感じなければいけないなあと思う。やりたいことが分からなくてそのための補助線を引いてやりたいことに少しずつ近づいて行くということをけっこう長い間やってきたのだけど、だんだん本当にやりたいことの本体に近づけてきたかなと思う。まあ回り道の長さだけは負けないぞ、みたいな。

40代は年を取るのを恐れていたけれども、50になってみるともうどうでもいいというか、年とか考えても仕方ないということをかなり実感として思うようになってきた。人間20だろうが50だろうがいつまでもは生きられないことだけはみんな同じだ。そして50になってみると思うことだけど、20代は10年間しかないし、30代も10年間しかなく、40代も10年間しかないのだ。人より長く20代を生きられるという人間は誰もいない。みな年を取って行くことだけは平等なのだ。

だったらその間に本当にやりたいことがやれるのか、少なくとも本当にやりたいことに近づけるかということがいかに大事かということだ。試行錯誤であれ何であれ、とにかくやってみなければ近づくことはできない。やりたいことがやれたら、それはそれだけで人生の鉱脈だろう。その鉱脈に、じっくりと取り組んでいければいいと思う。

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