『羣青』下巻読了:愛について語るのは難しい/院政というバブル:本郷恵子『蕩尽する中世』を読み始めた

Posted at 12/06/18

【『羣青』下巻読了:愛について語るのは難しい】

今日は朝から体調が今一つ。疲れがたまっていることもあるが、台風が近づいていて気圧状態が変だったり、蒸し暑さに体が慣れていないことなど気象条件による面もありそうだ。昨夜は11時に寝て今朝は5時に目が覚めたのだけど疲れを感じてもう一度寝て、起きだしてから昨日買ったカーテンをPCを置いてある東側の部屋に取り付けて今までのカーテンを洗濯したり、この部屋の照明をやはり昨日買ったシーリングライトに取り換えたり、いろいろやってから朝食をとり、少しテレビを見たりネットを見たりしていたがまた疲れが出てきて1時間ほど休んだ。

羣青 下 (IKKI COMIX)
中村珍
小学館

ここ数日、ものを書きながら読みかけになっていた本やマンガを片付けていたのだけど、昨日は中村珍『羣青』下巻(小学館IKKIコミックス、2012)を読了した。上中巻が出て評判になってからずいぶん下巻が出るまで時間がかかった気がするが、モーニングツーでの連載がIKKIに移って上中巻が発行されたというごたごたがあったことを考えれば、上巻が2010年3月、中巻が2011年2月に出て下巻が2012年6月になったのはそんなにひどく遅いわけではないのだと思った。

ずいぶん重いというかハードなマンガなのだけど、下巻は智代美の兄と兄嫁、甥っ子たちとのやり取りがかなり続く。理解すること、差別すること、愛すること。草子の(ブックガイドと同じ名前だということが今わかった)可哀そうだと思われたくない気持ちと助けて、さみしいという気持ち。好きだという気持ちと可哀そうだという気持ち。なんというかやっぱり見ているうちにある種の仏教説話を読んでいるような気持ちになってくる。「恵まれた」智代美の兄の無理解の愛情も愛されるより理解されたかった智代美の気持ちとの徹底的な擦れ違い。理解されて上手くやりたいという気持ち、愛さえあれば乗り越えられるという気持ち。こういうのは私にはうまく描写できないな。それは智代美がレズビアンで、そういう感情が理解しにくいから、ということとは違う。なんというか、ここまで深いところにある障壁をいかなる手段を使ってでも乗り越えていこうというそういう愛への取り組み方をしたことがないからなんだなと思う。たとえばいろいろなことで自分が苦しんでいたのは愛とは別のところの何かなんだなということがよくわかるし、ここまで徹底しきれればまた何か別のものが見えたかもしれない。

シーンとしては、浅草で智代美が外人向けの漢字Tシャツを試着するところが好きだ。微妙なギャグは結構あるのだけど、これが一番いい気がする。

今上中巻をぱらぱらとめくったら三巻通し読みするとさらに理解は深まるだろうなと思ったのだけど、とりあえずはそこまでやるパワーがない。『1Q84』もBook3が出たとき、前のストーリーを思い出せない部分があって困ったが、あれも多分読み返さなかった。どうもすごい本だとは思うが好きだとは違う、というものに取り組むのはなかなかハードだ。しかし、『進撃の巨人』も最初は読み返すのに凄く拒否感があったのだけど今では何度も読み返しているから、どこかで心境の変化が来ることはあるかもしれない。

ちなみに「羣」という字でamazonで検索したら、出てきたのはこの『羣青』と『羣書類従』だった。塙保己一か。


【院政というバブル:本郷恵子『蕩尽する中世』を読み始めた】

昨日のお昼ごろ、ボーっとしてたら宅急便が届いた。何かと思ったら親戚の法事のカタログギフトの注文で出したランボルギーニのショルダーバッグ。革の部分がグリーンで、注文のデザインとなんか違う気がするが、カタログ自体が手元になくてわからないのと、たぶん店頭で探したらこれは買わないなと思うものだったので、ちょっと面白いからいいかということにした。

さっそくそれを背負って買い物に出かける。途中図書館の前を通ったらしまっていてあれ?と思ったら9月まで改装により休館だという。軽くショック。先ずドイトへ行って網戸の張替の道具をチェック。どうやら自分でもできそうだなと思い、やる気があるときにやろうと思った。ファイル用具とタンスの防虫剤・乾燥材などを買う。それからイオンへ行って昼食の買い物。アリオのヨーカ堂よりごたごたと混雑はしているが、食品的には自分の欲しいものがよりあった感じがした。帰りにクリーニングによってシャツを二枚受け取る。

蕩尽する中世 (新潮選書)
本郷恵子
新潮社

書くということに注意の中心が移っているせいか、新しい本を読もうという気があまり出ないのだけど、とりあえず何か探してみるかなと思い、夕方に日本橋に出かける。丸善で本を物色して、一周した時点では何も買いたいものがなかったのだけど、疲れたのでカフェで休もうと思い、3階で芸術書のコーナーとかを見て回って、目についた本郷恵子『蕩尽する中世』(新潮選書、2012)を手に取った。ヨーロッパの中世の棚にあったのだけど、内容は日本中世。いきなり最初から『梁塵秘抄』だ。頭の中の一定の部分に清盛が住んでいる人には面白いのではないかと思い、ぱらぱら読んでから買うことにした。カフェでコーヒーを飲んで休憩後、プレッセで夕食の買い物をし、帰りがけにツタヤによって『コネクト』のCDがないかと探したが見つからなかった。それから隣のニトリへ行き、照明器具を見たらシーリングライトが3000円台のがあった。これは安いから失敗しても許せるなと思い購入することに。ついでに夏向きのカーテンと人が来た時だけ点灯する外用の常夜灯を買ってみた。これだけ買って8000円台。やはりニトリは安いなあ。ヤマダ電機でもノジマ電機でもシーリングライトは平均1万円台後半だったからなあ。

内容についてはまだ読みかけというか、メモを残しておいて後で疑問点について考えたり調べたりしたいと思って読むのをストップしていたのでここに少しメモ。バタイユのいう『蕩尽』というキーワードで日本中世を読み解こうという試みで、そういうことはあまり考えたことがなかったが、確かに言われてみれば中世は昔話的には豊穣のイメージが結構ある。最初に引用された『梁塵秘抄』の今様が

黄金の中山に 鶴と亀とは物語り 仙人童の密かに立ち聞けば 殿は受領に成り給ふ

という私の好きな歌だった。受領階級が平安時代、中級貴族の蓄財の手段だったことはよく知られているけれども、9世紀以降の「国司」が「徴税請負人」化して、中央に対して一定額の租税を請け負い、その責任で任国支配を行って、その余剰を自らの富とした、という構造は理解していなかった。徴税請負人というと西洋史出身の私はアンシャンレジーム下のフランスの18世紀の、ラボワジェみたいな人やその制度のことを考えてしまうが、もちろん除目によって任命される国司は徴税見込み額の入札で決めるフランスの制度とは違う。しかし受領の強欲がなぜ可能なのかよくわかってなかったので、この辺は勉強になった。

特に院政期に受領の任命が院によって独占され、知行国化が進められたことは知っていたが、後三条天皇以降の荘園整理は考えてみたら国衙領の強化ということであって、荘園領主よりも受領の方が優位に立つ改革であり、その任命権を持つ院の権力を高める改革であったということが初めて理解できた。荘園整理というと古代律令制への復帰を目指す動きとばかりとらえていた(だから荘園整理の意義がよくわからなかった)が、むしろ中世の荘園公領制における国司の地位の強化という意義があったのだということをようやく理解した。古代への復古を装った中世化だったのだ。そして院の権威を借りた受領たちは院への「受領の功」を収めることは熱心だったが(ということは国司が領家で院が本家というような関係にもとれる)寺社への納入は滞り、そのために寺社による荘園開発が進んだというのもなるほどと思った。

院、特に白河院がその莫大な富を寺院の建築や仏像の造立につぎ込んだためにバブル状態になり、富の流通は蕩尽という出口を得てなお活発になった、という展開もすごい。日本企業がメセナと称しすごい値段で絵画を買っていた時代を思い出す。院政バブルはどのように続き、どのように崩壊したのか、かなり興味がわいた。まだ30ページ、これから。

歴史は結局今のところ職業ではなくなっている(職業であった時代もあるのだけど)のだけど、楽しむ力みたいなのは今でも結構あるなあと思う。専門は西洋だけど純粋に楽しむのは日本の方が楽しみやすい。結局自分は日本的伝統の上に生きているからなんだろうなと思った。

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