自分が書きたいぎりぎりのもの/ザ・インタビューズに答えてみる/アウトドア般若心経/人が役者であるということ

Posted at 11/10/06

【自分が書きたいぎりぎりのもの】

なかなか案がまとまらずに小説執筆にかかれない。どういうものを書きたいかということをいろいろ考えたり、これを書くことによってどういう場所に自分が到達したいのかということを考えたりしている。源氏物語のように「小さい子を理想の女性に育てる」という少々危ないネタを考えてみたりもしたのだが、それもまあ二番煎じではあるし、そういうことにそんなに理想があるかというと似たようなことをやってみようとして失敗した(爆)こともあったりするのであんまり気が進まなかったりする。自分が書きたいもの、というより書いたあとでこれを書いてよかったなあと思えるものを書きたいと思うのだけど、暁美ほむらではないので時間を巻き戻してやり直すことはできない。まあまだアマチュアだから何度でも満足のいくものにトライすることはできるのだから、自分の書きたいぎりぎりのものになるべくチャレンジしていければいいなと思う。


【ザ・インタビューズに答えてみる】

何か今日はノリがあれなんだけど、それはさっき「ザ・インタビューズ」に答えていたせい。何かつい一生懸命答えていると、自分の中からいろいろな情報が引き出されてきて面白い。私は割と小話めいたエピソードを小説の中で書くのが好きなのだけど、そのルーツを考えていたら松田道雄『私は二歳』だったことに思い当った。岩波文庫とはいえ育児書を読む幼稚園児というのもどうにも変なものだが(よく考えてみたらなぜ幼稚園のときに岩波文庫を読んでいたんだろう)私の中のイメージの世界のごった煮はその頃からのものだったんだということが分かって興味深かった。


【アウトドア般若心経】

アウトドア般若心経
クリエーター情報なし
幻冬舎

昨日帰ったら家にamazonマーケットプレイスで注文していたみうらじゅん『アウトドア般若心経』(幻冬舎、2007)が届いていたので読んで(見て)みたのだが、やはり噴き出した。たとえば「菩」という字はほとんど『菩提樹』という名の喫茶店の看板なのだが、全部店が違うというのも可笑しい。「若」という字に若乃花の「ちゃんこダイニング若」の看板が使われているのも可笑しかったが、あれはもうつぶれたんじゃなかったっけ。「羯諦羯諦」あたりはさすがに字がないらしく「掲」「帝」なんて字を使っているが、確かにお寺以外でそんな字を使う看板はないだろうな。『死後裁きに会う』みたいな看板の字を使っていたりするのは可笑しい。すごく意味があるような気もするし徹底的に無意味な気もするところがおかしい試みではある。切り張りしてつなぎ合わせて脅迫文みたいな文字列にすると面白いとも思うんだけど。


【人が役者であるということ】

今朝読んだモーニング、面白かったのは「ジャイキリ」と「デラシネマ」かな。特に「デラシネマ」はアイドル女優の役者開眼みたいな話で、こういうエピソードは自分が演劇をやってたせいもあるけどすごく心を動かされる。演技という仮面を剥いで素の自分で役に立ち向かうことができたとき、人は役者になる。そんなことを思った。


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