お前なんか所詮ニセモノだ

Posted at 11/08/28

昨日上京。なんか妙にハイになっている。身体的にも精神的にも疲れているんだけど、ここでいつもの週のようにまず徹底的に寝て身体を休めるという手もあるのだけど、今回は今日一杯ハイなのに任せて動けるところまで動いてみようかなと思う。ハイなときはどんどん前に行動して行って結果よくわからなくなることもよくあるのだけど、落ち着くべきところが着たら落ち着くだろうという自分の体感をもう少し信じてみようかと思う。

ローな時にものすごく自分に対峙してよくよく自分を見る感じが、少しハイになってきても出来るかなという気がしてきている。ハイであっても自分の体調に気をつけたり、活元運動をして体を緩めたり出来るようになれば自分として出来ることが広がる気がするし、そういう感じが大事なのかもしれないな。

昨日夜帰りがけに駅から打ちに歩いてくる途中で思ったのは、自分はやはり剣呑な人間だなということ。普段あまり意識していないし出さないように多分何かが止めているけれども、攻撃性というものはかなりある。少し前まで時々暴発して困っていたのだけど、最近少し精神的余裕が出てきたせいかあまり暴発はしなくなった。しかしそれはなくなったわけではなくて、局面によってはかなり露骨に表れたりする。暴発はなるべくしないようにとは思うけど、攻撃を性を発揮して許される局面だと自分が感じると結構出したりするんだなあと思う。

攻撃性を出すこと自体はインテリゲンチャの世界では基本的に無作法なこととされているけれども、一つだけそれが許される局面があるとすれば、無知なくせに知ったかぶりをしている人間に対して罵倒することではなかろうかと思う。まあ思想的に相容れない人間と戦うこともまたある種の攻撃ではあるけれども、でも当然ながらそれは単純な攻撃ではなくて、自分を防御しつつ戦わなければいけないから結構いろいろと面倒くさい。しかし知ったかぶりを攻撃するとき、インテリゲンチャはほんとあらゆる表現パターン、あらゆる攻撃パターンを持ってストレートに、時にネチネチと相手をいたぶる。四十八手どころではない。で、結構みんな楽しそうだったりするし、そこに知識人の悪魔性みたいなものを垣間見ることも珍しくない。

まあつまりそういう部分が自分にもあるなと昨日いろいろ考えながら思ったのだった。まあこれは長い間生きていると知識人に限らずそうなると思うけれども、新しく出会った人が付き合うに値する人間かどうか、結構短時間で値踏みして付き合う価値なしと思ったらまあ少なくとも深入りはしない感じになる。この「値踏み」というのが結構難しいもので、人生経験だけじゃなくて個人的なあまり根拠のない好き嫌いみたいなものがかなり大きな要素になっていたりするから、人の値踏みというのは難しいし、岡目八目というか自分に本当に合うものが自分には見えなかったりすることも多い。だから、本当に信用できる人に紹介されたものは最近では抵抗があってもなるべく試すようにしている。

宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』はまあそういう感じで読み始めたのだが、早速衝突している。まだ上巻の54ページで、上巻全体460ページの一割ほどしか読んでないのだが、ここまで読んだところではある種のリアリティーを組み立てるのがうまいなとは思った。ただそれがなんと言うか、自分の嫌いな、むしろ排斥したいと思う感じのリアリティーなんだよな。ドキュメンタリーならそれでもいいのだけど、なんか類型的な家庭の、でもその中に生活しているややエキセントリックな家族たちとか、ちょっとうますぎていやだ、という感じだろうか。まだまだ地味だけど。大松家の怪しげな三人が現れてようやくほっとしたというか、まあもちろんファンタジーなんだからこれからもっとそういうものが出てきてもっと読みやすくはなるんだろうけど、今までのところ通るべき関門が大きいというか、まだ喉元を過ぎてないから熱さが忘れられないという感じなんだろうなと思う。

それから前に書いたのだけど、この人本当に分かって書いてるのかな的なことを何か感じてしまうところがあって、それはたとえば上級生の石岡たちが「そもそも学校とは何をするところかということが分かっていない。」なんて記述してるのは、頭の悪い学校教師が言ってることとまったく同じで、ぜんぜん本質に踏み込もうとしていなくて、そういう常識的な記述を読んでいると私はどうしてもいらいらしてきてしまうところがある。

剣呑だなと思うのはそういうときに表面上はニコニコしてへえよくご存知ですねとか言いながら心の中で思いっきり馬鹿にしたり悪態をついたりしていることが多いということなのだ。「郷原は徳の賊なり」と孔子は言ったけれども、「お前なんか所詮ニセモノだ!」とか簡単に思ってしまうわけだ。で、そういう人に対してはもう表面上はともかく内面的な交流は一切シャットアウトしてしまうわけで、こういうところは自分でもう少し考えたほうがいいところはあるなあとは思う。

まあそんなことを宮部みゆきを読みながら感じてしまったのだが、まあそれはそれとして。ちょっと橋本治の『愛の矢車草』をぱらぱらと読み直したけど、あんまりはっきり自覚はしてなかったけど、私が「小説を書くというのもアリかもしれないな」と思ったきっかけはこの本だったのかもしれないなと思った。もう20年以上前のことだからはっきりとは分からないんだけどね。

まあとにかく『ブレイブ・ストーリー』はちゃんと最後まで読もうと思う。

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