神保町で本探し/自分を癒そうとするより何かを作ったほうがいい

Posted at 11/05/30

【神保町で本探し】

昨日。夕方出かけて神保町へ。雨が結構強く降っていたけど、傘をさして。新御茶ノ水で降りてがいあプロジェクトに寄り、ショパンのカレンズとクリームパンを買う。店は空いていて、そのあと通ったとおりの店も閉まっているところが多かった。三省堂を通り抜けて書泉ブックマートへ。こういう日は出入り口が傘を閉じたり傘袋に入れたり出したりする人で混雑する。3階に階段で上り、高瀬理恵『公家侍秘録』7巻(小学館、2009)を買う。これはずっと楽しみにしていたのに出ないなあと思っていたら、既に2009年に出ていることに先日気がついたもの。月に何度か神保町に行っているのに分からないものだなあと思う。

公家侍秘録 7 (ビッグコミックス)
高瀬理恵
小学館

そのあと三省堂に戻り、トイレに立ち寄った後、石畳の町の写真集などないかと思っていろいろ物色。結局建築本の書棚で福井憲彦ほか著『パリ 建築と都市』(山川出版社、2003)と堀本洋一『ヨーロッパのアール・ヌーボー建築を巡る』(角川SSC新書、2009)を買った。なかなか私の思い描いているような石畳の街と普通のヨーロッパの都市の町並みの写真というのはないのだけど、自分がヨーロッパに行ったときの記憶をたどるためのよすがというか、古い井戸の呼び水のような働きとしてはいいような感じがした。後者はまずバルセロナの町並みから始まっていて、ガウディだけでなくあのころの建築家のいろいろな建築が取り上げられていてへえっとも思ったし懐かしいとも思った。

世界歴史の旅 パリ―建築と都市
福井憲彦ほか
山川出版社

思い出してみるとパリからサンセバスチャンに行ったとき、乗り換えのイルンの駅で外に公衆便所があったのだが、その入り口に紳士用にCABALLERO、婦人用にSENORAと書いてあって、その字体が奇妙だなと思ったのだけど、今考えてみるとあれはアールヌーボーの書式だったということに気がついた。もう27年前の記憶だし、変わっちゃってるとは思うけど。

ヨーロッパのアール・ヌーボー建築を巡る―19世紀末から20世紀初頭の装飾芸術 (角川SSC新書カラー版)
堀本洋一
角川SSコミュニケーションズ

そのあとどうしようかなと思いつつすずらん書店で本を見ていたら、おがきちか『侍ばんぱいや』(太田書店、2011)の単行本が出ていたので、ちょっと迷ったけど買った。『マンガ・エロティクス・エフ』に連載されていて第一話は読んだのだけど、結局それ以上読んでなかった。まあしかし単行本で見せられたら買わなきゃなあと言う感じではあった。

侍ばんぱいや (F×COMICS) (F COMICS)
おがきちか
太田出版


【自分を癒そうとするより何かを作ったほうがいい】

いろいろな本を読んだり何かをしたりするとき、自分を癒そうとして何かを見聞きするのと何かを作ろうとして何かを見聞きするのとでは根本的に違う、と思った。昔いろいろな本を膨大に読んでいたのは、自分の進路が分からず、興味の持てるものは片端から読んでいて、今でもそういうものがたくさん書棚にあるし、またある方向性を目指していた時にその関連書籍をたくさん読んでいた、その痕跡も書棚にはたくさんある。

フィクションを書く、という方向に自分の方向性を定めてから、フィクション以外に対する関心があまりなくなり、あまり本を読まなくなっていたのだけど、それは自分にとってはよくないことで、フィクションを書くというのは逆にすべてのものに対して関心を持たなければいけないんだと最近思う。ただ関心の持ちかたが以前とは違う方向でなければならないので、そこのあたりの調整がなかなかうまく行かないとでもいえばいいのだろうか。歴史研究をするつもりで歴史書を読むのとフィクションを書くつもりで歴史書を読むのとではこころの方向性が完全に違う。まあ昔も歴史論文を書くために読んでいるのに妄想ばかり出てきて困ったものだが、フィクションを書くというのは単なる妄想とは違うわけで、そこから読み取るべきものを読み取ろうという意識になる。吸収したものがすぐ書くものに生かされるわけではないけど、その読んだ感動のようなものが自分の中に蓄積されていくことが大事で、それは知識ではない。自分は今まで知識を得るためにという意識がやはり強くて、それが本を読むときに邪魔になっていたのだけど、今では逆に新しい知識はもういらないという感じがデフォルトになってしまっていて、これはこれであんまりいいことではない。でも読んでいるうちに面白くなってくるとそういうことはどうでもよくなるし、昨日買ったアールヌーボー建築の本などは読んでいてそういう感じになってきて、まあいいことだとおもった。

自分を癒そうとして何かを選択すると、結局それは『既知のもの』のうち、自分の「趣味にあう」もしくは「安全な」ものを探すことになるから、何かこっちから追いかけているような感じになってどうも癒しとは逆の方向性が生じるのだが、何かを作るために「いいもの」を味わいたいと思って探すと「趣味に合う」「安全な」という枠が外れるので新しいものがどんどん入ってくる。あんまりネガティブなものは「いいもの」という枠から外れるから入ってこないし、いいものが向こうからやってくる感じになって、得るものが多い。積極的な姿勢で探した方が結局自分自身も癒されるものが見つかるんだなと改めて思った次第。

さてそろそろ昼ごはんを食べないと。

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by Luke Peterson

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