転倒防止器具/地震恐怖症/個性と責任/私にとって必要なもの

Posted at 11/03/22

昨日帰郷。ここのところ、毎日忙しくてブログを書く暇がない、というか無理に作ればないこともないのだけどその時間をツイッターに使ったりして落ち着いてものを書く時間にならない。東京の家の片づけは、一応地震の災害復興という意味では取りあえず終わりにしたのだけど、もともとどうにもならず片付けが必要なところもあったので、途中から災害の片付けなのか機能性と住み心地を上げるための整理なのか分からなくなって来た。もともと本も多すぎるし書類なども基本的にあんまり必要のないものでも捨てられない方なので、結構つまらないものが取ってあったりする。それも一応の方針を立てて整理してやはりいらないとなったら捨てればいいと思うのだけど、まあ始めるとなかなか終わらない。本もなかなか集中して読めないし、日経の記事で計画停電を「二次災害」と表現しているのがあったが、いろいろな意味で影響が出ている。とにかく11日の地震で倒れた本棚はすべて対策を施して、一応同じ程度の地震ならたぶん大丈夫だろうというくらいにはした。この住宅に入ったのは1983年で今年で28年になるが最大の地震だった。

おとといは友人に電話して地震のことなどひとしきり話す。ヤマダ電機に掃除機を買いに行ったが電気が消えていて音楽もかかっておらず、店員も少なくて忙しそうで何かあんまり行きたくない感じだったので一万円台後半の紙パック式のを買ってさっさと帰った。昼前にトピレックプラザのイオンに昼食を買いに出かけ、その先にあるドイトで家具転倒防止器具を一万円くらい買った。ガムロックひと組2980円というのは高いなと思ったけど実際にやってみるとこれがけっこういい感じで、わりとファンになった。

昨日は友人からメールが来たので日本橋に出てお昼を食べることにした。ここ二週、東京に来ても家の片付けだけをやってる感じだったから時間はなかったが丸善に出かけて3階のカフェでハヤシライスを食べながら話す。別の友人と電話した時もそうだったが、やはり地震後最初に会ったわけだからまず地震の話題になってしまう。昨日会った友人は基本的になるようになるよという感じだったので話していて気楽だった。いろいろ情報交換したくらいで終わりになったが、やはり都心の落ち着いた空間で美味しいものを食べて話をするというのは和む。私にはこういう時間が必要だなとつくづく思う。せっかくなので本を一冊買おうと思い、山田雅夫『スケッチは三分』(光文社新書、2006)を買う。アート関係の本を一つ買おうと思ったのだがなぜかスケッチの練習本になってしまった。どうも今は内省的な「読む本」より実践的な「使う本」の方に関心が傾いてしまうようだ。

スケッチは3分 (光文社新書)
クリエーター情報なし
光文社

帰りに東京駅に出て友人を送り、ついでに特急が動いているかどうか確かめる。午後の計画停電は中止になったとテレビで言っていたので一応動くだろうとは思ったが、予約機で最終の特急の予約状況を見るとちゃんと表示されたので動くんだなと思ってこれで行くことにした。8時40分新宿発の高速バスと9時発の最終の特急が地元につくのはほぼ同じ11時半くらいになる。高速バスは正規運賃で3060円で特急は回数券で4200円なので高速バスの方がお得ではあるが、体に対する負担が違うので私はまず特急に乗る。

帰って洗い物をしたり洗濯をしたり(洗濯機は壊れてなかった。これで家電は全部OK)少し本をつめたり書類を少し整理したりして、本棚を見ると最近読んでなかった本だとか最近目を通していなかった書類とかが実はけっこう面白そうだったりすることに気が付く。その中の一冊を持って帰ることにした。1996年に友人が私にくれたと巻頭に書いてあったが、いろいろ事情があって今まで読んでなかったのだけど、今なら読んでもいいと思って読み始めたらいろいろと面白い。また感想を書くことがあるかどうかは分からないが、面白いとだけ書いておこう。昨日は一応ブログを書こうと思ったのだけど、結局書けずじまいだった。

東京駅に出て、オアゾの地下で安売りしている神戸屋のパンを買い、駅構内のサウスコートの「大地を守る会」へ行ったがすでにしまっていたので普通の丸の内、もとい幕の内弁当を買って中央線で新宿に出る。最終の特急は空いている。まあ、動くかどうか当日まで分からないようでは移動する気がそがれるだろう。せっかく観光シーズンなのに。特急の中で何の気なしにツイッターをしていたらジブリの番組についてのツイートが多く、仕舞ったなと思った。

地元の駅に着くと雨が降っていた。外に出ると、母が迎えに来ていた。寝ていていいと言っていたのだが、起きてたから、と言って。うちに帰ると段ボールが積んであって、何かと思ったら父の大学で古書を集めてそれを売って寄付金にするという企画があるらしく、父の蔵書のうちもう読まないものを送って家の中の本を減らし、地震対策をやろうということのようだった。うちは地盤がしっかりしているところなので何も影響はなかったのだが、ちょっと何か先走っている。どうも地震恐怖症になっているのではないかと思う。あれをやるこれをやるといろいろ言うので自室に戻ってから考えたが、あんまり変なことをされても困るのでとにかく高いところにものがあるところだけ片づけることにした。またこれでずいぶん仕事が増えたが、まあ家の整理はいつかやらなければいけないと思っていたことなので、仕方がない。いつかと言っても今とは思っていなかったが、まあ仕方がない。やれば懸案がひとつ片付くことは確かだ。母はすぐ寝たが、私は1時近くまでテレビを見て、入浴して自室に戻り、少し本を読んで寝た。2時近くになっていた。

朝起きたら6時半。布団をたたんでモーニングページを書く。どうも右の中指が痛くて、万年筆でも書きにくい。どうも上半身、特に方から先に力が入って抜けない感じになっているようだ。朝食のときにいろいろ話をし、家の中を見て回ってどこを片付けなければいけないかということを確認。一昨年の暮れに父が亡くなって以来、ほとんど手をつけていないところが多い。ということは父が自由が利かなくなってきた2008年の半ばごろから全然そのままということだ。そろそろ3年になるからさすがに片づけないといけないなと思う。父は家の中にいろいろ仕掛けをするのが好きな人で、二階の廊下の真ん中に両開きの扉をつけて暖房効率を高めるとかいろいろしていたが、いつも邪魔に思っていたのでこの機会に外す。そんなことをしているとすぐ時間が経ってしまう。本棚から本を下ろし、読まないと思うものを段ボールに詰め、読む可能性があるものは二階に運ぶ。

最初はそんなに本格的に作業をするつもりではなかったので外出用のズボンをはいていて、これじゃあすぐ痛むなと思って適当に作業を切り上げて自室に戻った。古いズボンを出してはいてみると膝のところにかぎ裂きがある。どうせ外にははいていけないので切り落とした裾を当て布にしてかぎ裂きを補修。まあやってみると思うが裁縫って本当に器用さが必要だ。待ち針なしでやるにはちょっとな、と思うような作業ではあった。特にズボンなので、気がつかずに何度も反対側まで縫ってしまい、足が通らない結果に。苦笑いしつつ糸を切ってもう一度縫う、ということを何度かやった。

昨日ツイッターでも書いたのだけど、私は個性より責任に対してこだわりを持ってしまうタイプの人間なんだなということに気がついた。誰がどういう責任を持つべきかとか、誰の責任はどこまででそこから先は誰が担当すべきかとか、結構そういうことを無意識のうちに考えている。逆に、責任があいまいな組織は苦手なのだけど、それでも有機的に全員が意識を共有しているような組織はそのうち慣れるしわりと仕事をしていてい気持ちがいい。しかし逆に責任があいまいでしかもみな逃げ腰の組織にいると心底疲れる。そういうのって結局リーダーの在り方次第なのだ、というか、リーダー=マネージャーの素質はただ一つ、「真摯さ」だ、という『もしドラ』みたいな話になるのだけど。リーダーに恵まれない組織は不幸だ。それでも民間会社なら淘汰されるからいいけど、役所は生き残るから不幸が増幅される。公立学校の統廃合とか、社会保険庁の解体法人化とか、そういう組織はときどきちゃんとひっくり返さないとだめなんだなと思った。まあ平安時代からずっと、行政改革の必要性は変わっていないのだ。

まあそういうわけで責任についてつい考えてしまうからこそ人間の中身というか、個性を特に自分に関しては大事にしないといけないなと強く思っているのだ。しかしまあ、今までそういう自分について自覚されてない部分があったが、作品にはそれなりに反映はしている。これからどういう形で反映して行くのかそこは分からないが、上手い形で生かして行きたいと思う。震災のような危機の時には、その人の本質のようなものが露わになって来る。私は基本的にはこういう時にはやる気が出るタイプなのだ。肩に力が入りすぎたり空回りしたり暴走したりしないように気をつけないといけないが、すべてのことをプラスに変えていくように、自分としてベストを尽くして行きたいと思う。物を書く上でも、何か直接的に行動する上でも、従事している仕事の上でも。

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それに関連して思い出した言葉があった。六波羅蜜という釈迦が真理を自覚するための道として示した六つの道。布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定、般若。布施はまあ寄付をすることか。今まさにそれが必要な時期。持戒とは「戒めを守る」ということだが、自分で決めた自分のプリンシプルを守る、やるべきことをやる姿勢ということだろう。忍辱とはつまりは我慢をすること。今はみんなが大変な時期だから、普段より多めのパワーを出してたいへんなことも乗り切って行かなければならない。精進とは努力をすること。毎日毎日の自分の仕事、自分のやるべきことをきちんとやって行くこと、できなかったことを少しでもできるように進歩して行くこと、と考えればいいと思う。禅定とは瞑想とか、つまりは自分自身を振り返るということだろう。自分自身を振り返り、自分が何をやりたいのか何をやろうとしているのか確かめ、自分の根本をより強くしなやかなものにして行くこと。そして至るのが般若、本当の意味で深い知恵だが、それは世界の実相を知ることであり、実相を見ることだろう。まあまだこれはこういうものだと言い難い感じだが、真理にしたがって行動できるようになりたいものである。

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なんかまあ、私の持っている人生観というのはわりと普通というか、結構伝統的なものなんだなと改めて思ったりしている。この時代の中でいろいろなものに出会っていろいろなことを考えるのは悪くないなとは思うけど。

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実家にいて、何が足りないんだろう、どうして居心地がしっくりこないのだろうと飾ってある絵葉書とかを見ながら考えて、そうか、絵がないからだ!ということに気がついた。え、それもオリジナルのタブロー、最低でも版画の作品。この部屋には本もマンガもたくさんあるし音楽も一応聞けるしパソコンを使えばDVDもみられるが、何がないと考えてみれば絵がないのだ。いちおうエミリー・ウングワレーのポスターは張ってあるが、それだけでは足りない。ふっと眼を置きたくなる場所を、家の中に何箇所か作っておかないといけない。昔はあまりそういうことを意識していなかったのだけど、最近はそういうことが自分にとってとても大事なことだと感じられる。自分の好きなもの、自分の好きな個性が現れた作品が、手元にあることで自分が過不足なくエネルギーを出すことが出来る。絵は自分にとって、生活必需品なのだと思った。

とにかく自分にとって、人の個性と無意識のうちに会話することはどうしても必要なのだ。

今度の上京の折には、またギャラリーなど行って買えそうなものを探して買って来ようと思う。

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昼間で作業して、母が不調を訴えるので掌のくぼみにある鎮心という心を鎮めるつぼを押さえた。すぐうつらうつらしたのでだいぶ緊張が高じているのだろう。地震では胸椎8番に変動が出ると言うので、夕食後に愉気しておこうと思う。

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by Luke Peterson

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