お嫁に出すような気持ち/1月に読んで面白かった本、など

Posted at 11/02/02

昨日帰郷。電車の中では朝吹真理子『流跡』を読んだり、ナンプレをしたり。でもかなり寝ている時間が長かった。実家に戻って少し母と話をしてから職場に出たら、隣組の配りものが届いてそれを届けに行ったり。仕事は夜10時まで。何だか、自分に厳しい態度が出来ていたのだけど、そうすると人にも厳しくなってしまってなんだかなあと思う。人にやさしく、自分に厳しくと言うのはなかなか難しい。帰宅して夕食、母の活元運動の後ろにつき、入浴、就寝。

流跡
朝吹 真理子
新潮社

今朝は何となく緊張感がなくなってしまい、適度な緊張感を持つにはどうしたらいいかとか寝床の中で考えたり。職場に出て用事を済ませて帰宅し朝食。今日は地デジ対応のテレビとレコーダーが届くのでその周りを片付けたり。それからちょっと自分のブログの読書記録をまとめてみたり、去年書いた短編を某小説大賞に応募することにしてその原稿をまとめたり。その表紙に載せるプロフィール(略歴)をまとめたり、あらすじを直したり。それからプリントアウトして穴をあけて紐で綴じ、封筒の宛名を書くために黒と赤のサインペンを買ってきたり。結構なんだかんだとやることがあるんだよね、こういう仕事というのは。すべて済ませて郵便局から発送したが、なんだか原稿をお嫁に出した気分。日本中の読者に届くようなお嫁入りになるといいのだが。婚家に合いますようにというか。銀行でちょっと仕事を済ませ、また郵便局でお金をおろしたり切手を買ったり年賀状の当選したのを交換したり。今年は切手シート2枚。もらった枚数から言って妥当なところ。そんなこんなをやっていたらあっという間にお昼になった。気分転換に蔦屋に出かけ、セロテープを買い、ふと気になった岡本綺堂『江戸情話集』(光文社文庫、2010)を買った。

江戸情話集 (光文社時代小説文庫)
岡本 綺堂
光文社

昼食を済ませてから自室に戻っていろいろやっているうちに眠くなってしまい、うとうとしていたらヤマダ電機の配送の人が来て、古いテレビを移動してもらったり新しいテレビとレコーダーを設置してもらったり。HDMIケーブルがないからテレビのリモコンで録画はできないよと言われた。買った時にはそんなこと言われなかったんだけど、要するに担当者が理解してなかったということなんだな。全くもう。でもまあリモコンを二つ使えばいいわけだし、まあとりあえずはいい。何とか実家も地デジ化を実現した。結果的にエコポイントも使えたし。

***

何となく最近、インプットが充実してないなあと思い、ちょっとこの1月に読んだ本を振り返ってみることにした。昨年はすごくたくさんのものと出会って、読書も充実したし自分が作品を書く上でもそういう感動はすごく原動力になったのだけど、1月はどうもあまりそういうものがなかったなあと思う。ちょっと分野別に振り返ることにした。

小説は4作品読んだ。斎藤智裕『KAGEROU』、村上春樹『ノルウェイの森』上下、近藤史恵『サクリファイス』、朝吹真理子『きことわ』。この中で一番良かったというか、鮮烈な印象を受けたのは『きことわ』だった。

きことわ
朝吹 真理子
新潮社

『ノルウェイの森』もいいのだけど、何というのだろう、今になってみると物足りないところがある。すごくよくわかるのだけどその先がないということだろうか。「その先」というのが小説にそれを求めるべきものなのかどうか、もよくわからないのだけど。でもレベッカ・ブラウンなんかには「その先」を感じさせるものがあるんだよな。友人と話していて、村上春樹には信じているものがない、という意見を言っていたけど、それはわかる気がする。信念はあると私は思うけど、信じているものがない、という指摘も私はよくわかる。その先、というのは多分そういう領域に入ることだ。

『きことわ』は新聞で作者の言葉とかを読んでまだまだ発見があって驚いた。朝吹真理子は1984年生まれだから、80年代の記憶はあまりないだろう。しかしそれを丹念に調べて80年代の空気を再現した、というのはすごいなあと思った。また、「貴子」とは貴様とかと同じく「あなた」という意味、「永遠子(とわこ)」というのもフランス語の「トワ」で「あなた」という意味で、二人のあなたが主人公だというのも意表を突かれた。それは気がつかなかった。読んでいる限りではあまり感じさせないが、実はものすごくじっくり小説世界を構築しているのだ。確かにこの小説は簡単に読み飛ばせるものではないと思ったけれども、文体の密度が濃い。それでいてくどくない。変な刺激物がない。でもきっと、引っ掛かり始めるとものすごくまとわりついて来るような、そんな文体と言っていいんだろうなと思う。それはそれですごいと思うのだけど、でもまあ、私が求めているような、読みたいものというのとは違うんだよな。やはり私は、小説では物語を受け取りたいし、メッセージも受け取りたい。そういうのは小説においては場合によっては荒々しい、洗練されない部分なのかもしれないが、純化された文体だけを読ませるような小説というのはどうものどごし的にもどうなのかなあという気がする。この辺は好きずきなんだろう。そして私の好みはやっぱりあんまり一般的ではないんだろうと思う。

『KAGEROU』は正直、話題だから読んでみたもので、読んだときはまあそれなりに面白いと思ったが、やはり今考えると素人臭さが強すぎるなと思う。『サクリファイス』も自転車の魅力を教えてもらったという点ではよかったと思うが、ストーリーとしてはあんまりなあ、と思う。いわゆるミステリーってこういうものなのかなと思う。キャラクターがストーリーの下僕になっているような感じというのはあまり好きではない。

マンガはかなり読んだ。連載物で買った単行本は『ランドリオール』『王様の仕立て屋』『風雲児たち幕末編』『ジャイアントキリング』の4冊。ランドリ、風雲児、ジャイキリは安定して面白い。『王様の仕立て屋』は以前も書いた気がするが少しもう無理をしすぎてるんじゃないかという気がする。一度終わらせて違う構造の話にしたらどうかなという気はするんだけど。スタイリストの話にするとか。

単発や初めて読んだものは、こうの史代『平凡倶楽部』諌山創『進撃の巨人』山岸凉子『甕のぞきの色』『鬼』ヤマザキマリ『世界の果てでも漫画描き』『涼子さんの言うことには』高野文子『棒がいっぽん』『黄色い本』『るきさん』上野顕太郎『さよならもいわずに』金平守人『エロ漫の星』アンソロジー『短篇集himitsukiti』と12作品ある。そのほかに中村珍『羣青』もあるがこれはまだ読んでいない。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)
諫山 創
講談社

このなかではやはり諌山創『進撃の巨人』が一番印象深い。まだまだ粗削りだが、今までにない面白さがあると思う。恐怖というものをこれだけうまく表現した作品は今まで読んだことがないんじゃないかな。ゴヤの『わが子を食うサトゥルヌス』みたいなもろという感じの怖さではなく、何か本当に奇妙なものが迫りくるという非現実的な恐さ。何というか、現実的に理解できるものというのは、大人にとっては嫌なものではあっても怖いものではなかなかないと思うのだけど、恐さというのは非現実性が伴うからより怖いのだなということを久しぶりに思った。永井豪の「ススムちゃん大ショック」なんかも初めて読んだときはすごくこわかったが、何ていうか人格的な未熟性というか、そういうものが恐怖ものを描く上では必要な資質なのかもしれないという気がした。あるいは崩壊性か。

山岸凉子は何を読んでもはずれがない。上の二作品はやや試行錯誤時代のものだと思うけれども、深刻になりそうなテーマをうまく深刻にならないように処理していて、何というかそこに希望が見える感じがする。深刻度にどう対処するかというのは山岸の作品の一つのテーマなのかもしれないなと思う。それが極まったのが『テレプシコーラ』第一部だ。児童ポルノの問題から始まって最後は将来を嘱望された姉の投身自殺。あのあたりの場面を思い出すと今でも私自身が来るものがある。もともと天才的な漫画家だと思うけれどもやはり一番すごいのは『テレプシコーラ』第一部じゃないかなと思う。いや、話がずれた。『鬼』は明るい雰囲気の中で間引きと人食いの問題を描いている(仏教の教えの力をかなり使ってはいるが)し、『甕のぞきの色』も澄んだ青のイメージがとても好きだ。

ヤマザキマリは『テルマエ・ロマエ』の人だから読んだという感じだな。この人自身相当面白い人だということは分かったが、作品としては『テルマエ・ロマエ』ほどではない。

高野文子の旧作三本。私は『ラッキー嬢ちゃん』までの高野作品のファンなのだが、この三作は私にはどうもという感じがどうしてもする。まあ高野という人は、本来はこういう傾向の人で、逆に初期の作品のバリエーションのある部分が私の心にこの上もなくフィットしたということなのかもしれない。一言でいえば、なんかお洒落じゃないんだよな。泥臭いと言ってもいい。やっぱり『ラッキー嬢ちゃん』までは基本的にファッショナブルな中に何か考えさせられるものがあった。しかし多分高野は、意識的にそういう部分を切り捨てたんだと思う。そして私は切り捨てられた側にいたということなんだろうなと思う。まあそれは、それで仕方のないことだ。それがおそらく、作家的な欲求だったのだろうと思うし。

その他。『さよならもいわずに』はやはり私小説的過ぎる気はする。『エロ漫の星』はこのジャンルの業界の実態が垣間見えたところは面白かったが、やっぱり資本が描きたがる漫画家と犠牲になりかねない子どもたちを搾取してる構図のようなものにはまだまだ甘い気がする。まあそこまでは描けないかなとも思うが。いっそのこと誰か都条例賛成マンガを描かないものか。もっと喧喧囂囂になってもいい話だと思う。『短篇集himitsukiti』は玉より石の方が多い気がした。

小説以外の書籍では山崎将志『残念な人の思考法』と『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界』が印象に残った。後者は12月から読み始めてまだ読みかけなのだが。『残念な人』は、仕事というものに関しては全くそうだろうなと思うようなことが多かった。

***

こうして書きだしてみると、全く収穫がなかったわけではない。特に『きことわ』と『進撃の巨人』はそれぞれ文学の世界、マンガの世界を広げる画期的な仕事だと思う。しかしまあ、そうではあるのだけどそれによって自分がインスパイヤされるかというとそういうわけでもない、というところが不満なところなんだなと思う。ここでは取り上げなかったけれども、エロチシズム・性愛方面のものもそれなりに買った。しかしどうもあんまり読む気にならない。昨年末から次の作品のテーマはこっち方面かなという気がしてけっこう読んだりしていたのだけど、だんだん買っても読まなくなってきた。どうもこのジャンルはあんまりインスパイヤされないんだなと思う。

甕のぞきの色 (秋田文庫)
山岸 凉子
秋田書店

一番インスパイヤされそうなのは実は『甕のぞきの色』かもしれない。病気治しの霊水をめぐる騒動の話なのだけど、こういうテーマは引かれるものがある。何を信じ、何を否定するのは感覚でしかないところがあるから、書くのは難しいけれども、これはきっとそのうち書くだろうな。上手く書けるかどうかは分からないけど。

ああ、ちょっとは何か少し見えてきたのかもしれない。

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