諌山創『進撃の巨人』を読んだ:気高さと苛立ち、日本と周辺諸大国

Posted at 11/01/12

昨日帰郷。色々とやることが多く、出かけるのも少し遅くなったが途中でパンを買い郵便局でお金をおろしコンビニで国保の保険料を払ったら時間がなくなった。東京駅に出て丸の内丸善で諌山創『進撃の巨人』1巻(講談社、2010)と山岸涼子『甕のぞきの色』(秋田文庫、1997)、山岡拓『欲しがらない若者たち』(日経プレミアシリーズ、2009)を買った。指定券販売機で特急回数券を挿入したが乗りたい時間の特急の指定がとれない。どうも時間が迫りすぎていたようだ。結局新宿へ急ぎ、自由席に乗った。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)
諫山 創
講談社

車内では主に『進撃の巨人』を読みながらツイート。面白くないといけないと思って1巻しか買わなかったのだが、完全な失敗。面白い面白い。泣きたくなるほど。この面白さは何なんだろうといろいろ考えた。同時にそれに反応するツイートもいただいたが2巻3巻を未読のため答えられなかった。ぞくぞくするような面白さ。押し寄せる不安と恐怖。この面白さの根源を知りたい、と思う。

車内で3巻まで読めなかったので職場に出る前に地元の蔦屋へ車を走らせ、第2巻をゲット。第3巻も買うつもりだったのだけど、品切れだった。仕事は夜10時まで。最近になく忙しい。まあ一年で今の時期が一番忙しいので、それは仕方がないし、忙しいのはありがたいことなのだが。10時まで仕事をして帰宅、夕食。母に愉気して入浴。自室に戻り『進撃の巨人』2巻を読む。

進撃の巨人(2) (少年マガジンコミックス)
諫山 創
講談社

読んでいるうちに何かやはり不思議な感じが。どこか古風な感じがするのだ。その理由がよくわからず、考える。巨人たちの描写なのか。巨人たちの風体は、私が思い出すのはヒエロニムス・ボッシュの『快楽の園』に出て来る異様な人々だ。これはその絵を連想するということで、そのものずばりというわけではない。

また、絵や構成のルーツをたどると永井豪に行きつくのではないかという気がする。『バイオレンス・ジャック』とか。一番近いのはダンテの『神曲』をもとにしたギュスターブ・ドレの版画を漫画化した『神曲』の「地獄編」だろう。ただ諌山が新しいのは鬼や巨人たちは伝説などでもたいがい頭が悪いとされている(「神曲」でもそうだし、ナルニアの『銀のいす』に出て来る巨人たちもそうだ)のだけど本当に頭が悪そうには描かれてないことが多いのだけど、そこに工夫が凝らされているということだろうか。本当の怖さは理解できる恐怖ではなく、理解できない恐怖にある。巨人が理性的・知性的な存在であれば理解できるかもしれないという点において希望が持てるが、『進撃の巨人』の巨人たちは見事なまでに交流不能であるところが怖い。だから超巨人が知性がありそうだということになったり、エレンの変化した巨人に対してはわけのわからない怖さはない。だから、巻が進むにつれて恐怖感だけでなくドライブ感も衰えてくる感じがするのだろう。

上記の古風な感じというのがなぜするのかということを朝寝床の中で考えていて、はっと思い当った。このマンガは、「気高さ」を描こうとしているのだ。「気高さ」を描くためには反対の愚劣さ、知性のなさ、臆病であること、自分だけ助かりたいという意識、思考停止、恐怖にとらわれること、無謀であること、怒りに囚われること、無力感にとらわれることなどありとあらゆる人間の卑小さを描かなければならない。しかしその中で奇蹟のように浮かび上がって来るのが人間の気高さであって、たとえばいとしい人のことを思う時に人は気高さに心を決めることが出来る、というようなことになる。それがステロタイプに堕す危険はややあるなとは思うが、恐怖の真っただ中で自分が自由に生きるために、あるいは誰かを生かすために戦うことが出来る、そのことそのものが気高いわけだ。「覚悟が決まれば勇気なんて自然にわいてくる」というセリフがあったが、どんなふうに覚悟を決めるか、その決め方が一つのポイントになっているのだと思う。

気高さ、などという話は生活にまみれた汚い大人(笑)になって来ると忘れてしまうのだけど、逆にいえば気高さについて考えるのは若者の特権だと言うところがあるなと思った。

このマンガを読んでいると囚われの身でありそれに甘んじる人間たちと、それを強いる巨人たちへの強い「苛立ち」が感じられる。この苛立ち、特にエレンのそれはまず第一に「自由を求める気高さ」に由来するわけだけど。まあこういう考え方をするとつまらなくなる恐れはすごくあるのだけど、これはアメリカや中国、ロシアなどの「巨人」たちに囲まれて恫喝され搾取される存在である「日本」という「人間の住む国」の現状に対する「苛立ち」と解釈できなくもない。案外発想の源はそんなところにあるのかもしれないという気もした。もちろんそういうふうにアナロジーで解釈して分かった気になるのは読み方としてつまらないので、一つの仮説として提出しておくにとどめるけれども。巨人が痴呆的であるというのも、周りを取り囲む大国たちに感じる本質的なわけのわからなさが上手く表現されている気がする。

しかしそうなると巨人と人間のいわばハイブリッドとして再生したエレンはどういう立場になるのか。また、登場人物の名前はみんなドイツ系の名前で、巨人たちもロシア人やイギリス人の戯画的な像(そういえばこの巨人たちは外国のマンガに出て来る男たちにも似ている…さらにいえばブッシュとかプーチンとかにもみえてこないこともない)に見えて来なくもない感じもしないではないので、それをどう解釈するか。また、ミカサだけが「東洋系だ」という表現が出て来るのもやや気になるところだ。……このマンガ、アナロジーで解釈すると相当危険なものが噴出してくるので、あんまりしない方がいいのかもしれない。

進撃の巨人(3) (少年マガジンコミックス)
諫山 創
講談社

そんなことを考えつつ車で松本に出かけ、操法を受けて帰って来る途中、岡谷で大きめの書店によって『進撃の巨人』第3巻を買った。帰宅後バーっと読んで読了。3巻のテーマはアルミンの覚醒というところか。最後ではエレンが自我の殻に閉じこもったりして先が不安だったりする。ミカサもあきらめかけたエレンの救出をアルミンが試みるところなど、この先に期待が持てるが、その一方でアルミンの出てくる場面はどうしても場面的に静的になってしまうのでドライブ感が衰えるという弱点もある。ちょっと使いにくいキャラだなとは思う。

まあどちらにしても第一巻の世界が崩れていくまさにその現場に立ち会ったような恐怖と不安で何巻も続けていくことは困難だろうから、これから世界の静的な部分も構築して行かなければならないということなのだろうと思う。1巻があまりに鮮やであったからここから先の展開は大変だが、大いに期待したいと思う。

今日はどうも文章が稚拙になってしまったが、まだあまりに不明な点が多いので論理が首尾一貫した文章が書きにくく、こんな感じになってしまった。むしろこんな感じの文章の方がこのマンガの感じを上手く表現している感じがしなくもない。

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