重要度を下げた方が大切なものになることもある/『ノルウェイの森』と中島みゆき

Posted at 11/01/09

昨夜帰京。一昨日の夜は1時半まで『ノルウェイの森』を読んでて読了し、朝は興奮状態だったのか6時に起きてしまった。仕事は大入りでとても忙しかったが眠くて仕方なかった。まあ寝不足のせいかせっかく打ったブログのテキストファイルをUSBメモリに入れ忘れて昨日は感想をちゃんとアップできなかった。6時半まで仕事をし、7時前の特急で上京。車中で朝日新聞を読み、いつものように数独をやろうとしたら昨日の新聞には数独が掲載されてなかった。まだ仏滅の効果は残っていた。地元について文教堂で本を物色し、ビックコミックを買って帰った。

帰ると年賀状がたくさん届いている。これは5~8日に届いたものだからほとんど返信だと思うのだが、明らかに出していない人からも一人来ていたので返信をしなければと思う。郷里に来ていたものでも父の関係と思われる人で母も私も誰だか分からない人がいて、返信のしように困っていたりする。

今回届いた年賀状は私が教員時代の同僚が多く(今見直したら生徒も多かった)、体調を崩して復帰を目指している人、退職して療養している人もいれば伊豆七島に赴任している人や上海日本人学校に赴任することになった人もいて本当にさまざまだなと感慨を覚えた。相変わらず日本を変えるために共産党に投票してくれと書いている人もいて(もうその人も退職しているから何を書いても自由だしね)笑ったけれども、学校から帰って夜一人でチェロを弾いて心のバランスを保っている、と書いている人の年賀状が特に印象に残った。この人は私よりいくつか年下で、担任になるのを避けているようなところがあったので、教員の面白さは担任をしてみないと分からないよ、という話をしたことがあった。今考えると面映いことなのだけど、そんな時代もあったんだなと思う。

私が退職してからもうすぐ12年になるが、あの当時の嫌で仕方がなかった職場で一緒に働いていた人たちからもらう年賀状をこんなにしみじみと読むことになるとは思っていなかった。負け戦だった(その学校も統廃合されて今はもうない)が、ある意味戦友だったんだなと思う。年賀状というのはいつもきたら第一に返信することばかり考えていて内容をちゃんと受け止めてないことが多かったのは、儀礼的な部分にばかり心をとられていて、つまりそういうことを変に重要視しすぎていたんだなと思う。今は何よりも創作が第一で、ほかのことは重要度を下げている。重要度を下げた方が自分にとって大切なものになるということがあるんだということをしみじみ思う。

ああ、『ノルウェイの森』の感想を書く前にしみじみしてしまった。書こうと思えばいくらでも書くことがあるのだけど、書こういうエネルギーのようなものをどう掘り出すかが問題。つまり、この本は読み終えて私は満足してしまったんだな。いつもは読んでも何か言いたいことがでてくるのだけど、今回はそれがあまりないのだ。読み終えただけで満足する。

ノルウェイの森  上下巻セット (講談社文庫)
村上 春樹
講談社

ああ、一つだけ書いておこう。下巻p.281のレイコさんの言葉について。

「あなたがもし直子の死に対して痛みのようなものを感じるなら、あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じつづけなさい。そしてもし学べるものなら、そこから何かを学びなさい。でもそれとは別に緑さんと二人で幸せになりなさい。」

今該当個所を小説の中から探して書き抜いてみるととても具体的な内容でちょっと驚いた。もっと抽象的な一般的な形で書かれているかと思ったからだ。でもでも緑と直子という二つの固有名詞を抽象名詞に変えてみれば誰に対しても通用する言葉になるだろう。死者に対する思いとこれから自分が生きていくということを分けて考えるということ。これはとても大事なことだと思う。ただ、死者に対して感じる痛みを引き受けていくこともまた人間として大事なことなのだと思う。極端な言い方をすれば、人は歴史を背負って生きていかなければならないということで、歴史というのは多くの場合痛みなのだと思う。そればかりではないけどね。死者への痛みや、死者への感謝や、死者への誇りや、そういったものの総体が歴史の本質なのだと思う。その歴史を感じて生きることが人間として大事なことの一つなのだと思う。しかしそれとは別に、人は常に「よく」生きていかなければならない。「ただ生きることが重要なのではなく、よく生きることが重要なのだ」とはソクラテスの言葉だが、村上はそういう意味では一度書いたことだが倫理的な作家だ。

私はこのくだりを思い返すたびに、中島みゆきの「泥海の中から」を思い出す。

親愛なる者へ(紙ジャケット仕様)
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ


「振り返れ 歩き出せ 悔やむだけでは変わらない 許せよと すまないと 謝るだけじゃ変わらない
 お前が殺した 名もない鳥の亡骸は お前を明日へ 連れて飛び続けるだろう
 お前が壊した 人の心のガラス戸は お前の明日を 照らすかけらに変わるだろう 
 振り返れ 歩き出せ 忘れられない罪ならば 繰り返すその前に 明日は少しましになれ」

全曲の歌詞の内容はこちらを参照されたい。非常に厳しい内容だ。正直逃げ出したくなるような内容なのだけど、レイコさんの科白を読んで「泥海の中から」で中島みゆきが言いたかったことがようやく理解できた気がした。まあ中島みゆきがいいたいことはレイコさんの科白の前半部分、痛みを感じ続けろということで、「それとは別に」というのは中島みゆきには多分当然の前提でそうであるならばこうしてくれ、ということを歌っているわけだ。しかし私のような人間にはレイコさんの科白の後半部分がないと何をしたらいいのか分からなくなってしまうところがあるので、この科白を読んでようやく「泥海の中から」の激しいメッセージを受け止め得たような気がしたのだ。

昨日はそうこういろいろしているうちに疲れが出てきて入浴して早めに寝た。今朝は起きたら9時だった。9時間以上寝るなんて凄く久しぶりのことだ。ぐっすり寝て満足できる朝食を食べて。モーニングページを書いてブログを書く。整理しなければならないことがたくさんある。特に頭の中に。

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