『江口寿史のお蔵出し夜用スーパー』/『このマンガがすごい!2011』

Posted at 10/12/15

頭の中が賑やかだ。というか、最近いつも忙しいなと思っていて、頭をからっぽにする時間がないなと反省して、ふっと息を吐いて心を空っぽにして瞑想しようとして、それはできるのだがその状態から帰ってくるときにさらにごちゃごちゃしたいろいろな思考を連れて帰ってくるという感じがする。まあもう少し長時間瞑想状態にしておかないといけないんだろうな。書きながら思っているのだけど、活元運動よりもその前後の瞑想状態が自分にとっては必要なんだなと思う。二種体操は毎日一度はやっているけど、もう少し自分を「天心」の状態に置く時間を長くしないといけないなと思う。

昨日帰郷。出かける前にブログを書いて、少しは小説の直しもしようと思ったのだけど、昨日は東京都の条例のこととか書いていたせいもあって話が重く、書くのにも時間がかかってしまって、結局小説の直しはできなかった。出かける前に片づけておかなければいけなかった家事を大急ぎで片づけたが出かけるのが少し遅くなってしまい、結局久しぶりにタクシーで最寄り駅まで行った。これは多分、山崎将志『残念な人の仕事の習慣』でMKタクシーの話とか出てきて、何となくタクシーに乗りたいな、と思ったせいもあるような気がする。私が乗ったタクシーもていねいな運転手さんで、感じはよかった。個人タクシーだったような気がする。

江口寿史のお蔵出し 夜用スーパー
江口 寿史
イースト・プレス

しかし東西線はタッチの差で目の前で電車が出てしまい5分後のに乗った。大手町で降りて時間が少しあったので何とか丸の内丸善に寄る時間が出来た。ツイッターで話題になっていた江口寿史『江口寿史のお蔵出し夜用スーパー』(イースト・プレス、2010)と『このマンガがすごい! 2011』(宝島社、2010)を買う。急いでいたのでカバーをかけてもらわなかったが、これは失敗だったとあとでわかる。

時間がないので弁当を買わずに中央線に乗り、新宿で弁当とお茶を買う。特急はもう開扉していて、席に座って『夜用スーパー』を読み始める。この本は「全裸で巨乳の看護婦がまじめな顔をして男子の脈をとる」という絵が表紙になっていて、さすがに電車の中で読むのは恥ずかしい。帯に工夫があるかと思って帯をとるとさらに恥ずかしい。そういう本を読むときは二つ手段があるわけで一つはもちろん書店でカバーをかけてもらうことだが急いでいてそれを怠ったのでもう一つの手段、カバーを外すという挙に出てみたら、本体の表紙の方がもっと恥ずかしかった。(笑)どう恥ずかしいかはネタバレになるので、買ってビニールを破って表紙を外してもらうしかない。みごとにやられた。これはまあ装丁家の勝利だが、それが可能なのも江口寿史の絵があればこそであって、なんというかこの装丁には江口愛のようなものを感じた。いい仕事してますね。

内容は文字通りさまざまな理由から単行本化できなかった作品が長短合わせて(一番長いのでも『イレギュラー』の連載5回分なのだが)収録されていて、江口寿史の明暗それぞれの面が堪能できるという趣向になっている。いや、ダークサイドの方が多いかな。(笑)なんというか、私にとって江口寿史はやはり『ストップ!ひばりくん』と『すすめ!パイレーツ』の作家なので、特に『ひばりくん』のような超メジャー作品ではやはり出し切れない脳内のヘドロのようなものの排出が、「その後」の江口寿史の作品群の一つの柱になっているような気がするし、そういうものが作品としてメジャーに流通して行き得るところが江口寿史の凄さなんだとも思う。脳内ヘドロというか、リビドーというか、まあそういうものが、江口にかかるとたいへん魅力的な絵になってしまうというところがすごいわけで、なんというかダリとかキリコとかに何か共通するものがあるような気がする。

『ひばりくん』の「完成」を数十年待ったファンは多かったと思うが、その後はすでに彼には作品の「完成」を求めないようになってもいたと思うし、そういう作家が常に人気作家であったというのもすごいことだと思う。企業広告のイラストの仕事では度々江口の作品は目にしたが、マンガでは時々思い出したように遭遇するという感じだった。売るための作品を描くのが画家だが、描いた作品が売れるのが芸術家だ、という言葉があるけど正直言って江口は後者だと思うし(本人の認識はもちろんそうじゃないだろうけど)この『夜用スーパー』はまさにそんな感じがする。とにかく全体に絵は上手いし面白すぎるのだけど、誰にでも勧められるかというとちょっとどうかなと思う。中学生の頃、「マグリットの絵っていいよね」と言うには相手を選ばないといけないな、と思っていた感じに似ている。

多分本人は吾妻ひでおのマンガの解説マンガで「サービス精神こそが才能なんですよ絶対」と言っているように、自分としてはサービスするんだ、という気持ちがすごくあるのだと思うし、実際本当に見たいものを見せてくれる(いろいろな意味で・笑)ところはすごいと思う。それは多分ピカソとかダリとかキリコとかも同じような作品を量産したのは求めに応じてサービス精神で描いたであろう、ということと同じで、売る側の商業主義と描く側のサービス精神のはざまで相当苦しんだ(としか思えない)江口の本音というか、「サービス精神」とさらに「その枠に入りきらない業」みたいなものが現れているのがこの本なのかなとも思う。描きたいものを描くとか描かせられたものとかよくわからなくなってくるし、さらにいえばどうでもよくなってくる。そのくらい江口寿史は上手い。絵が上手いということが一番の業なのかもしれない。それじゃモーツァルトだな。

それとも関連するが、今回読んでいて気がついたことの一つは、この人にはインテリ臭がないということ。私がふだん読むようなマンガとどこが違うのかということを考えていたのだけど、インテリ的自意識というフィルターを通っていないので生で何かが現れている、ということなのではないかと思った。そしてそのあたりに多分、私がこの作家の全体をつかみきれない感じがする理由があるのではないかとも思う。っていうか、マンガという表現形態全体がつかみきれない感じがする理由もまたその辺にあるのかもしれないなとちょっと思った。

***

このマンガがすごい! 2011
宝島社

『このマンガがすごい!』と、その同趣向のシリーズは、取り上げられている中で自分が何を読んだかとか、どういうところが「受けた」のかということを見ることで、自分の嗜好が世の中でどのあたりの位置を占めているのかを探るのに役に立つなと思って読んだりするのだけど、まあこの雑誌の立ち位置そのものが世の中全体――出版界ではなく日本全国全体――の中で「偏向」していないわけでもないので自分の歪みも本当には分からない。私が読んだことがある、あるいはアニメなどを通じて多少は知っているという作品は、「オトコ編」では2位の『テルマエ・ロマエ』、4位の『ONE PIECE』、8位の『バクマン。』11・12・13位の『宇宙兄弟』『虫と歌』『GIANT KILIING』。『オンナ編』では3位の『海月姫』13位の『テレプシコーラ』だけだった。もちろん『ちはやふる』とか『大奥』とか『潔く柔く』とか『ガラカメ』とかは存在は知ってはいるが。もう一つ、こういう本を読む意味は自分が知らない作品で面白そうなのを探すということがあるけれども、『HER』とか『ウツボラ』とかは読んでみようかなという気がした。『進撃の巨人』は販促用の小冊子を立ち読みしてみたが今のところ面白さがあまりよくわからない。

久々にほぼレビューのみの内容になった。やっぱり何か江口寿史の毒にあてられたな。(笑)単純に「中二のころの妄想」みたいなものに戻る通路を開けられるような感じが、江口の作品にはあるような気がするな。

でもこういうのを読んでいると、どうも精神が斜に構えてしまう。小説世界に戻らないと。

今日は天気はいいが風が強い。

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