この世は最悪の場所かもしれないけど

Posted at 10/11/23

昨日は早く寝ようと思ったが、結局12時を過ぎた。『猫の恩返し』と同時収録の『ギブリーズ episode2』は見たのだが、『おもひでぽろぽろ』はどうも見にくくて、途中でつい止めてしまう。60年代後半の小学校エピソードとか、なんだか今あまり見たくない。まあ見たくなってから見ることにしようと思う。ネットで調べると高畑勲は宮崎駿の先輩であり、先生であり、ジブリにおいてもどうも「客分」的な感じで、宮崎作品以外でも若手監督の作品には宮崎の意志が透徹している感じがするが高畑のものはどうもそうでない感じがする。その微妙な色ぐあいの違いが、今の私にはすごく受け入れにくい。「ベトナム戦争で飢えている人たちもいるのに給食を残してはいけない」なんていうネタが出てくるが、時代を感じさせるとともに同じような発言の同工異曲が無限に繰り返されてきたんだなあと思うとちょっとうんざりする。

森田宏幸監督作品
猫の恩返し / ギブリーズ episode2 [DVD]
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

『猫の恩返し』はなんかすっきりした作品だし、位置づけも『耳をすませば』のスピンオフ的なところもあり、割と楽しんでつくっている感じがして、悪くない。こういう肩の力が抜けた作品は見ていていいなと思う。主人公が簡単に猫になってしまったりするところが可笑しくてしょうがない。

一日一絵〈第七集〉 画文集
野崎 耕二
JTB

朝のNHKで野崎耕二という『一日一絵』という画文集を出しているイラストレーターの紹介をしていたが、彼は筋ジストロフィーと闘いながら毎日一枚27年間描き続けているのだという。この世という場所が行きにくいのは誰でも同じだが、病を患っている人にとっての生きにくさはわれわれの想像を絶するものがあるだろう。しかし、その中でも書き続けることによっておそらく彼はそれを乗り越えてきたのであって、それは彼だけの、彼にしかできない生き方として結実したものがそこにあるんだなと思う。生き方というものは、結局誰のマネもできない、最初は誰かに触発されて誰かと同じように生きてみようとする場合もあるだろうけど、結局モデルというものはあるときから消滅し、自分ひとりで道を切り開いていかなければならなくなる。そのときに毎日これをやる、ということがある人は強い。ということをテレビを見ながら思った。筋ジスとはいえ、さすがにプロフェッショナルで絵がとてもうまく、感嘆した。

まあ、この時代に生きにくさというものを感じていない人はいないと思う。どんなに強者でもそれは同じで、この時代のアイコンである堀江貴文や勝間和代であっても崇拝者は多いだろうけどしんどそうな生き方だ。ただ、自分の生き方を持っている人はそれでもわりあい何とかやっていける。『猫の恩返し』のテーマはそれらしいが、なんかそんな教訓的なものというよりはもっとのほほんとしていて、そこがいい。

朝びらき丸東の海へ (ナルニア国ものがたり (3))
C.S. ルイス
岩波書店

自分の48年間を振り返ってみると、生きにくさがピークに達した時代というのは少年時代、というか中学生のときと30代後半、時代でいえば70年代後半と90年代後半だった。考えてみればオイルショック後と平成不況の時代で日本経済の動向とある程度シンクロしている。それはともかく、ここ数日、なんでその時期を乗り切ることが出来たんだろうかと考えていたのだけど、中学生のどん底を乗り切ることが出来たのは『ナルニア』の物語の力だったなというように思う。自分を取り巻く現実は大変だけど、こんなに素晴らしい世界が、たとえ物語の世界にはあって、人間の本当の生き方というのはもっと素晴らしく、美しいんだというふうに考えることが出来たから、乗り切れたんだなと思う。中学生のころにいわゆる青春の文学、芥川や漱石や太宰の方に行かなかったのは、現実とかけ離れた素晴らしい世界というものを提供してくれるものではなかったからなんだと思う。逆にいえば、その時期に引かれるものというのは、自分を取り巻く現実とある意味対極にあるものが自分を導く強い力になるのかもしれないと思う。

最近いろいろものを書いていて、やはり自分は、読む人の生きる力の助けになるようなものを書きたいと思う。「生きにくさ」という問題に、今まで私はあまり正面から向き合ってこなかった。それと向かい合うよりもまず生きることの方が大事だと思っていたから。しかし、それは私の個別の問題というよりも、私の生きるテーマというか、取り組むべきテーマとしてそこにあるんだなと思う。人に「生きる力」が必要なのは、どんな時代であっても人にとってこの世というものは、この世界というものは、「生きにくい場所」だからなのだ。この認識は多分大事なことだ。

生きにくいこの場所をどう生きていくか。それは自分の生き方を持って、少しでも生きやすいように生きていくしかない。そしてその生き方は、結局は自分で選び取らなければならない。もちろん手助けはある程度いるし、ひとり立ちしたってぜんぶ自分だけでやっていけるとは限らない。ある程度以上レールを敷いてあげた方がいい人もいるだろうし全くその逆もある。人の敷いたレールを破壊しつつ生きていきながら最終的にはそのレールに戻ってくる人もある。人は皆それぞれだ。

この世は生きにくいけど、楽しく生きることも出来る。それが分かると本当に辛い時代には本当に助けになる。小学校高学年のときに読んだ『ナルニア』のシリーズを、私は何度も繰り返し繰り返し読んだ。そのキリスト教的な倫理観は、今では少し自分の持つものとの違い、違和感のようなものはあるけれども、当時の自分にとって自分のものでない、でも高潔な倫理観がそこにあるということがどんなに救いであったことか。

大学時代やそれからしばらくは、人はどれだけ、どこまで自由になれるのか、というようなことを無意識に追求していたような気がする。まあ若気の至りというものだろう。私などは基本的に考え方が固いのでおのずと限界はあったけれども、自分としてはかなり遠くまで行ったなと思う。アンジェイ・ズラウスキの『狂気の愛』とかレオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』とかあるいはフェデリコ・フェリーニの『甘い生活』とかが当時の自分の「行けるところまで行った」感じの象徴だった。

甘い生活 デジタルリマスター版 [DVD]
フェデリコ・フェリーニ監督作品
アイ・ヴィ・シー

30代後半の教員生活後半の落ち込みは、もうめちゃくちゃだったな。蜘蛛の糸にすがるような気持ちで大学院にも通ってみたが、結局違うものだったことがやってみてわかった。あの時期を乗り切れたのは何のおかげだったのだろう。友達に助けられたということは大きいのだけど、それだけでは乗り切れはしなかっただろうな。自分とさんざん向き合ったり、そのおかげで自分を破綻させかけたり、いろいろなものに手を出したりしてみたけれども、結局書くことだけが今の自分に残っている。

この世は最悪のところかもしれないけど、それでも楽しく生きていくことは出来る。それはそっちの方に心を向けて生きることだろう。結局、生きるということは「面白きこともなき世を面白く」なのであって、「住みなすものは心なりけり」なのだなと思うのだった。35年前の私に生きる力を与えてくれたのはナルニアだったから、今の私はそのときの私のためにも、今を生きる35年前の私たち自身たちのためにも、今を生きる力になる物語を書きたいと思う。

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