人間とはどういうものかとか

Posted at 10/10/09

いろいろと思うところがあって、モーニングページなどにはいろいろ書いているのだけど、ブログで人に見せるほどには考えがまとまっていないと言うか熟していないと言うか。
人間とはどういうものかとか、人間として生きるというのはどういうことか、ということ。それをどう考えているか、無意識にどうとらえているかということが、小説を書いてみるとはっきりとわかる。自分はこんな風に人間というものをとらえているのかとびっくりするところもある。それはどちらかというとディテールに属するところなのだが、そのディテールが小説全体を左右したりする。

そのとらえ方に共感できる人というのは、私の場合、実はあまり多くなくて、そういう部分が、面白いと思う小説が少ないことに現れているんだなと思う。しかし逆にいえば、私のような人間のとらえ方をする作家はあまり多くないということで、であるならば逆に自分が文章を書く意味もあると言うことになる。

つまり、人間とはこういうものではないかな、というとらえ方を書くのが小説というもので、そのとらえ方というのは感覚的でもあり、理性的でもあり、その人その人によって全く同じということはないだろう。よい小説というのは、その人なりのその人でなければとらえられないような人間性の特徴と言うものをとらえている部分を持っている文章なんだろうと思う。私は小説というものを読んでも「本当に共感する」ことはあまりない。かっこいいとか、すごいとか、こう言うのもありなんだなとか、そういう部分で感心することはあっても、人間の捕らえ方で勉強になるとか、心のそこからそうだなあと思うとか、そういうことはあまりない。そういう意味では、あんまり人の小説を読んでも役に立たない。確か同じようなことを言っていた小説家がいたけれども、その人も私とは違った意味で同じようなとらえ方をしている人がいないということなのかもしれないなと思う。

物語の筋の作り方とか、構想とか、キャラクターの立て方とか、登場する組織だとか背景だとか、人間というものの見方というものはその全てに関わる。そこのところを自分でちゃんとつかんでおけばなんでも書けるが、そこがつかめないと何をかいても説得力がなくなる。嘘っぽい小説というのはその歯車がうまくかみ合っていないということで、逆にどんなに嘘っぽい筋の作り方でも説得されてしまうということは、ちゃんと物の見方をつかんでいるということなのだ。

そういう意味では、誰でも小説を書くことはできるかもしれないし、誰もが小説を書くことによって何かはっきりするものがあるのではないかとも思う。

私は、かっこいいものを書こうとするのではなく、自分がつかんでいる、わかっていることについて書かなければいけない、と思う。今日は、そんなことを考えている。

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