『ハーバード白熱教室』と相撲協会の問題の本質

Posted at 10/10/04 Comment(2)»

マイケル・サンデル『これから正義の話をしよう』を読んでいる。現在260/348ページ。ツイッターでも書いたのだけど、この本は読み進めば読み進むほど、普段考えていなかったり、あるいは棚上げしている問題にどんどん踏み込んでいって、どんどん読みにくく、進みにくく、考えにくくなっている。どこかのブログを読んだら『ハーバード白熱教室』の一回分の時間で読めた、と書いてあったけど何でそんなことが出来るのか、と思う。みんな、普段から正義とか名誉とか道徳とかの問題について考えているんだろうか。まあ最初の方の、功利主義とかリバタリア二ズムの問題なら考えていても不思議はない気がするが、カントやロールズ、そしてアリストテレスの思想に踏み込んでいくと、さすがに普段使っていない思考の筋肉を使わざるを得ず、自分が本当にどう考えているのか、どう感じているのかなど自分を検証するのはかなり大変で、全然読みすすめられない。

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今回の東京滞在中にはあんまり読む時間がないということもあって、電車の中で読むことが多いということも関係しているのかもしれないが、それだけではないな。まあ、カントまでは何とかよかったのだけど、ロールズの思想というのが何というか自分の中でちょっと拒否反応がある。考えさせらることが多いということでもあるのだが。6章がロールズの思想の紹介で7章がアファーマティブ・アクションをめぐる論争。カントはまあ、詳しくはともかくこんなことをいう人だということはわかってはいたが、アファーマティブ・アクションという結構不思議な制度がこういう思想の影響で生まれたということは少しわかった。アメリカ的な理想主義というか、というよりもアメリカ的なナロードニキ運動といえばいいのか、ちょっと感じはずれるけどつまり制度というものが人間性や社会の深部に手を突っ込んで自由とか平等という理念を理想どおり実現できるという楽天的な、ある意味楽天主義の怖さみたいなものが現れている思想のように思った。

ただ思ったのは、学歴というものが確かに人間の名誉というものと深く関わっているという実態を正面から見ているということはアメリカらしい正直さだと思ったこと。日本はなんだかんだといって、思想の局面でそこまでやっているのは少ない。やっているのはマルクス主義的な原理主義の方面ではないことはないとは思うけど。でもロールズはマルクス主義とは違うアプローチで物事をよくしようとしているというものだなとは思うし、そういうところからある一定の理想主義傾向の人の支持を集めるということなんだろうなと思う。

たとえば、日本は明らかに学歴社会だが、それを普段は意識していない、特に大卒以上の人は。それは既に自分はその名誉を持っているからで、それを持っていない人たちがどんな痛みを持っているかということについては極めて鈍感だ。私自身も、名誉という問題について考えるのはとても面倒なので、というのはそれがあまりに感情と直結しすぎる問題だからだ。感情的なことをいろいろ考えるのは正直得意ではないし、正直あまりやりたくない。ただ考えたことを書くだけになるが、相撲協会の問題の本質と、実は学歴社会の問題は関係があると思う。

相撲協会は、外部からの干渉を嫌うが、それについて多くの識者は批判的だ。相撲界には非常識な部分が多く改革が必要だという。それはそうだと私も思っていたが、どうも腑に落ちない部分があり、それがなんなのかとずっと思っていたが、つまりは相撲協会というのは一定の伝統文化上の権威があるのにおおむね中卒の人たちが作っている日本でも珍しい組織だということなのだ。北の湖元理事長は中卒。中学1年で入門している。武蔵川前理事長も中卒で一度就職してから入門。放駒現理事長は一度日大に入学しているが退学して入門しているので高卒だが、彼らの現役時代、「高卒の力士は大成しない」といわれていた。現役時代の魁傑も大関どまりだった。大卒で最初に横綱になったのは輪島だったが、けっきょく彼はいろいろな事件を起こして相撲界から離れた。今の力士たちは学生相撲の出身と外国人が多いから昔とはかなり違うといえば違うが、今の親方層は基本的には中卒がメインで、そういう意味では相撲協会は中卒の集団だと言っていい。そして、そのメンタリティが相撲協会を支配していると考えてよいと思う。

彼らは当然、中学を卒業して入門し、相撲に打ち込んできた自負を強く持っている。プラスの面で考えればそういう職人的な強い自負がある。大工にしろ歌舞伎役者にしろ大人になってから(大卒とか)の人は軽んじられている世界だ。それは伝統的に、若い頃からの修業こそに信頼を置く世界であって、それは重く見られるのは当然だし、逆に言えばそれが衰退してきているから日本の技術立国性が衰えて来ていると言う面もある。つまり彼らは学業より相撲や役者の道を選んだからこそ伝統を受け継ぎ得ているのであって、そこに強烈な自負があるとともに、現代が圧倒的に学歴社会であることもまた自覚しているのであって、そこに同じように強い引け目を感じていることも考えに入れなければならない。貴乃花がテレビで、「私は中卒ですから、相撲しか出来ないんです」というようなことを言っていて、貴乃花のような相撲界のサラブレッドでもそう思うんだなと思ったが、逆にいえば貴乃花だからこそそう思うのかもしれない。

その相撲界にやいのやいの注文をつける人たちは、まず間違いなく大卒だ。そして、自分たちの考え方を「常識」として押し付ける。たぶん、まずそういうことで相撲界の人たちは反発を覚えるのだと思う。相撲界の伝統は、今の常識から見てよいと思われることもよくないと思われることもあるが、それは不可分であって、「大卒の常識」で許容できる範囲ばかりにしてしまって伝統が守れるようなやわなものではない、と彼らは考えているだろうし、わたしもそれは考慮に入れるに値することだと思う。外部理事が大幅に介入した昨今の事態は、だから多分回りが考えている以上に深刻なことで、大卒の常識による相撲協会の改革など認められない、と思っているのが正直なところだろうと思う。要するにこの問題の本質的なところには、「進歩的な」大卒文化と「伝統的な」中卒文化の対立があり、中卒文化の側からすれば大卒文化の侵略のような部分は確かにあるということなのだ。

まあこれだけ社会が変化する中で、相撲界と外部との違いがどんどん深刻化していることもまた事実で、実際どうすればよいかという建設的な解決策を示すことが出来るほど私はこの問題に関して見識があるわけではないのだけど、野球賭博の問題にしても相撲をやめた元力士が暴力団に拾われるというようなことはその常識ギャップを考えれば現状では避けられない部分があると思うし、それは個人の問題として切り捨ててよいとは必ずしも思えない。実際問題としてそういうところから相撲界内部にもそういう問題が広がったわけだから、相撲協会の自衛策としても引退後の就職対策や援助などは拡充していく必要があるんだろうと思う。

まあ普段だったらあまりそういうことも考えないのだが、今回『これから「正義」の話をしよう』を読んでいて、正義という立場からこの問題を考えるとそういうこともあるんじゃないかなという気がしたので書いてみた。こんなことを書くのが自分の柄に合うのかよくわからないのだけど。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル,Michael J. Sandel
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"『ハーバード白熱教室』と相撲協会の問題の本質"へのコメント

CommentData » Posted by U at 10/11/07

私も観て気になったので書いてみました。

CommentData » Posted by kous37 at 10/11/07

>Uさん
コメントどうも。ブログの記事も読ませていただきました。私は東大での講義は見てないのでよくわかりませんが、観衆の反応が軽いということはあるかもしれませんね。

サンデルにおいて「正義」というのは一神教的な正義とはとらえられていないようです。もちろん彼の考え方にそういう部分がないとはいえませんが、なるべく公正に多様性に関して寛容であろうとはしていると思います。

まあ、私としては、こういうものは『考えるヒント』になればいいというスタンスなので、そういう意味では十分よかったかなと思っています。

また議論を展開されることを期待しております。

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