自分の恋愛と向かい合う

Posted at 10/09/28

昨日は疲れが出たので早めに寝て、結局土曜日に借りたDVDもまだ見ていない。今日は帰郷するので田舎に持ち帰って土曜日に帰京した時に返却することにしようと思う。このところいろいろなものを少し詰め込みすぎていて、いっぺんには消化できない状態になっている。

いろいろ考えていて、少し愛について書いてみようかなと思う。愛について書くのは照れるのだけど、愛について考えることが今の自分には必要な気がする。

と書いてみて、いろいろ考えてみると、愛について語れることは意識してストックしてないのですぐには書けない。逆にいえば、いつも書いているようなことはいつも意識的にしろ無意識のうちにしろ考えていることだからすぐ出てくる、すぐ書けるオプションがある程度はあるということだ。

20歳になった頃から特定の恋人ないしパートナーがずっと大体切れ目なくいたのだけど、21世紀になってからしばらくしては女友達のレベルの人しかいなくなっている。だから恋人がいた時期のことをあまり思い出さなくなっていて、思い出しても記憶が曖昧だしあやふやだ。分かれた時の身を切られるような辛さというものは思い出せるのだけど、うまく行って幸せだったころのことはあまり思い出せない。まあどの人と付き合っていてもうまく行っている時期とおかしくなってしまった時期と、考えてみるとおかしくなってから何とかしたいと思って懸命に何とかしようとしている時期の方が長かったりしたなあと思う。そんなふうになる前にさっと分かれてしまえばよかったのかもしれないな。そうすればいい思い出のほうがたくさん残ったのかもしれない。そのあたりは、あまり恋愛が上手であるとはいえないなあと思う。うまく行かないとわかったらあまり拘泥するべきではなかったと思う。それは仕事に関してもそうなのだけど。

付き合っていた期間のことで思い出すのは、家で濃い時間を過ごしていたときとどこかに出かけたときのこと。なんかいろいろ思い出すと、いいことも思い出すけどイヤなこともたくさん思い出すなあ。だからこういう記憶というのは意識の中で封印していたんだなあと思う。そういうイヤな記憶が自分をそういうことから無意識のうちに遠ざけているということはあるようだなあと思う。

ああ、そんなこと書いていても仕方ないな。うまく書けないし。もう少し自分の中で書く練習をする必要がありそうだ。

まあでも思ったけど、イヤな記憶とか、失敗したこととか、ブログに書くかどうかはともかく小説に書くときには貴重なネタにはなるなあと思う。まあそういうものを書くことによって自分の中の葛藤を昇華していくのが作家というものだし、そういう意味でこういうことはブログにはあまり書かないと思うけど、ノートにはしばらく書いてみようと思う。自我が崩壊しそうで怖い部分もあるが。

自分の恋愛と向かい合うというのはそういうことなのかもしれないな。

***

まあ、恋愛しているときってホント、男ってみっともないんだよな。でもみっともないから人間はいとおしいのかもしれない。そんなフレーズもどこかにあったね。

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