慣れというもの

Posted at 10/09/10

静かな朝だ。今朝は用事が二つあったので6時45分ごろ車で出かけたのだが、一つだけだったら歩いて出かけたのになと思う。6時ごろの気温は20度だった。さすがに秋らしい。少し肌寒い位の曇り空。カーラジオの天気予報は、暑くなりそうだと言っている。そんな言葉が信じられないような涼しい朝。

色々あって、元気はあるのだが、元気があるから文章がどんどん書けるかと言うとそういうわけでもない。文章と言うのは元気がないよりはあった方がいいけど、あったからと言っていい文章が書けるとは限らない。ただ、心境が違うと、多分書く内容もかなり違ってくるだろう。特に小説は、その時の精神状態を如実に反映している感じがする。なぜだろう。詩を書くときは精神状態を反映させるつもりで書いているが必ずしもそうならず、小説を書くときは精神状態のことなど考えていないのだけど如実に反映される。面白いというか何というか。


ガラスの街
ポール・オースター
新潮社

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ポール・オースター『ガラスの街』。以下ネタバレあり。192/216ページ。もう一息なのだけど、ここにきて急に渋滞し始めた。急に読み進めにくくなったのだ。186ページの第12章からそれまでのクインの一人称的な文体(三人称は三人称なのだけど)が本当に三人称的なところが導入されてきて奇妙に現実離れしていく。その前の作家ポール・オースターとのドン・キホーテをめぐるやりとりから、誰がドン・キホーテの作者なのかという新たな謎が導入され、それが物語を奇妙に歪めている。作中人物であるクインが作者であるオースターに嫉妬するなんていう設定は、いったい何がどうなっていくのか、とても奇妙な感じがする。残り20ページ強なのだが、すでにかなり頭の中に「?」がたまってきている。このあたり、読めば読むほど「?」が増えそうな感じだ。大体最初からこの小説は「?」が大量にやってきて、その都度その奇妙な筋立てに慣れて行く、人間慣れというものは恐ろしい、こんな小説にまで慣れられるのか、という感じがする。ラストに来て大?の群れが次々にやって来るという感じ。えらいことだと思う。

朝買ってきたスーパージャンプとビックコミックを読む。やはりモーニングの方が充実している。記憶に残った個所を二つだけメモ。「バーテンダー」に引用された寺山修司の言葉。「ふりむくなふりむくな うしろには夢がない」。なるほど。うしろ=過去をどうしても見ようとしてしまう。感情というものは、過去に属するものだろうか。未来を見つめるときの高揚感というのもまた感情か。過去を思い出して高揚するのは、未来にまたそれを見たいという願いからだろう。ふりむくなふりむくな/うしろには夢がない。残してきた苦い後悔。それを二度と味わいたくない。それが糧になるのか、躓きの石になるのか。それは夢の強さによって違ってくるだろう。怒りの苦さまた青さ。というのは宮沢賢治だが、その過去にこだわってしまう自分を賢治は修羅と呼んだ。その鮮烈なイメージ。前門の夢、後門の後悔。夢に向かって進むしかない。

「王様の仕立て屋」注文時計に合わせたコーディネート、というテーマでしばらく話が続いているが、なるほどそうかと思ったのが「時計は薄く小ぶりであるほどにフォーマル度が増す」というセリフ。スポーツタイプのクロノグラフを薄く作ることでダークスーツと合わせることが出来るようになるという話。技術的にはとんでもなく難しいことのようだけど。フォーマル度、ということではないけれども、私も個人的には腕時計は小さい方が好きだ。小さくて、しかも女ものには見えない時計と言うのがあればいいなあと思っている。昔出来心で買ったTakeo Kikuchiデザインの時計があるが、小さくてかっこいいと思うのだけどなかなか合わせづらい。

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自分の頭で考えるということ
羽生 善治,茂木 健一郎
大和書房

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10時過ぎに本を買いに出かけたのだが、帰ってきたら12時になっていた。羽生善治と茂木健一郎の対談本を買った。ときどきこういうものを読んだ方が頭のバランスがとれそうだ。

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