私にはフィクションが足りない

Posted at 10/08/19

2時ごろモーニングページを書こうとしていたら急に激しい雨が降ってきた。まだ日が出ていたし空も青かったので、天気雨と言っていいのだけど、それでもかなり激しく降っていて、隣の家の屋根から水煙が上がっているほどだった。家の車庫のトタン屋根の上でも雨滴が白く踊っていて、子ども向けミュージカルでも見ているような感じがした。

朝、松本に整体を受けに行く。出かける前に車庫の前に大きな揚羽蝶がいた。昔は岐阜蝶でもなければそんなに騒ぎはしなかったのだけど、最近ではアゲハを見るだけでなんだか懐かしい感じがする。子どもの頃の夏においてきてしまった何かを、アゲハを見ると思いだす。

6時前に目を覚まして、起きて色々なことをやろうと思ったのだけど、なかなか起きられず、結局6時半過ぎになってのそのそ起きだし、車でファミマにモーニングを買いに行くのがやっとだった。朝のうちにモーニングページを書いて活元運動をして散歩をして草刈りをして、ということを毎朝思うのだけど、なかなか無理。これから日が短くなって行くと朝の時間も短くなって行くし、今のうちにいろいろやっておきたいのだけど、夏の疲れが出ているのか朝はなかなか起きられない。

友人に送ってもらった友人作のブログ小説を読んでいて、色々思うところあり。どんな人生にも、よきにつけあしきにつけ転機というものがある。その転機をストレートに描いていて、何というかいうことがない。私の転機みたいなものはどれもどろどろしていて小説にするにはしにくいものばかりだ。転機がどろどろしているというより、私の内面がどろどろしているということかもしれないのだけど。

若かった日々 (新潮文庫)
レベッカ ブラウン
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レベッカ・ブラウンの、シンプルでクリアな描写に憧れる。以前はこういうものを目指していたんだよなと思う。でも、こういうものでは小説にならない、と思って違う方向性を探るようになった。小説にこだわらなければ、こういう文体もありだよなと思う。ただ、レベッカのようには私小説にこだわる作家にはなれないだろうとも思う。志賀直哉はすごいとは思うけどそんなに憧れはしないが、レベッカには憧れる部分がある。まだ少ししか読んでないし、そんなに読み進められる作家でもないのに、そんなことを思うのは私には珍しいことだ。

私にはフィクションが足りない。それも、本当に読むに足る素晴らしいフィクションが。そういうものよ集まって来い、と念じてみる。

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