水木しげるのマンガより子どものころ見た怖い夢のほうが怖い

Posted at 10/07/27

昨日。何をやったのかあまりよく覚えていない。洗濯とかはまたさんざんやってたとは思う。昼過ぎにクリーニングを出し、郵便局に寄ってお金をおろし、銀行やらの用事をしに出かけて、ついでに蕎麦屋で親子丼と蒸篭のセット。久々にそういうものを食べたが、どうもあまり旨くない。そばを食うならせめて神田の松屋くらいに出ればよかったかもしれない。量も少し多すぎた。でも見ていると、女性もたくさん食べるな。

芸術新潮 2010年 08月号 [雑誌]

新潮社

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そのまま銀座に出て、まず山野楽器で少しCDを見るが、結局買わなかった。マイナーなものを買うのは、結局amazonとかの方が便利なのかもしれないなと思う。教文館に行って書籍を探すが、これも見つからず。森毅なんて亡くなったばかりなのに、どの書店も特集を組んでない。勿体無いと他人事ながら思う。ブックファーストにも行ったがここにもなく、結局雑誌のコーナーでいろいろ立ち読みして、『芸術新潮』の8月号、水木しげる特集を買った。

劇画ヒットラー (ちくま文庫)
水木 しげる
筑摩書房

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私は水木しげるのファンであるつもりはなかったのだけど、本棚をみると10冊以上はある。全部文庫で、『昭和史』とか『近藤勇』とか『ヒトラー』とか『神秘家列伝』とか実録・伝記ものなのだが。鬼太郎・悪魔くん・河童の三平という水木の代表作を持っていないので自分としてはファンというつもりはなかったのだけど、関心範囲は重なってるんだなと改めて思った。ああ、そういえば岩波新書の『妖怪画談』『続妖怪画談』も持っている。やっぱり絵は達者だ。

カラー版 妖怪画談 (岩波新書)
水木 しげる
岩波書店

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何で水木のファンであると思ってなかったかというと、やはり「子ども向けの漫画家」だという気持ちが強かったんだろうなと思う。でも、手塚治虫や石森章太郎は「好きだ」と思っているわけで、そのへん説明がつかないのだけど、何でだろう。『ヒトラー』とか『近藤勇』とかの風刺性というのはすごいと思うんだけど、なんかあまりに圧倒的だからかな。結構色々微妙な感情が、この人のマンガに対してはあるんだなと、今書きながら思っている。

結局絵が怖いというか、子どものころ見た悪夢に出てくる魔物に似ているとか、なんかそういうトラウマ系の理由なのかもしれないと思ってみたり。いや、マジで「人面疽」が出てきたりしたから、そういうものの存在を知る前に。ややや、子どものころの怖い夢シリーズを急にどんどん思い出してきてしまった。水木のマンガというのは、そういう子どものころの怖い夢を思い出させはするのだけど、でも本当はそんなには恐くない。夢の方がずっと怖いから。でもそういう地獄の釜の蓋を開けるような、そんなところはあるとは思う。

水木のマンガに出てくる魔物って、基本的にどれもなんかチャーミングなんだよな。徹底的にコワイという感じのするものがあまりない。っていうかそれは多分水木の哲学で、「どんな魔物よりも人間(個人というより社会とか国家というものいうべきか、つまりシステムということ?なんか村上春樹的でもあるな)の方がずっと恐ろしい」という考えがあるんじゃないかという気がする。まあそれはそれでわからないこともないし、それはそれである意味気が利いたというか、人間社会をとにかく生き抜こうという決意が感じられてある意味清々しいのだけど、本当に何も生き物がいない孤独というかそういう恐ろしさの方がもっとコワイ気もするし、多分その恐さ感覚は違うところがあるんじゃないかなという気もする。

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