『考える人』の村上春樹ロングインタビュー・一日目

Posted at 10/07/13

書いていたブログが秀丸エディタが変な動きをしたために全部消えてしまった。ちゃんと保存しながら書かないとだめだ。トホホ。

考える人 2010年 08月号 [雑誌]

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『考える人』の村上春樹ロングインタビューが面白い。まだ一日目しか読んでないのだけど。実作者である村上が自分の作品の作り方、作品を書くときにどんなトライをしているのかというようなことをしゃべっていて、これは面白いと思った。

村上のやろうとしていること、すごく「わかる」という感じがするところが多い。自分がそうするかどうは別にして、そういうトライをしているからこういう作品になったんだなと思う。

自分の小説は全35章のうち、5章分まで書きなおした。初稿を書くよりも、書き直す方が大変だ。なかなか書き直す方針が立たず、その姿勢が作れなくて書き始めるのに時間がかかってしまっている。あと半月あまりで何とか全章書き直せるように頑張りたいと思う。

『ねじまき鳥クロニクル』を書いているとき、最初の4章を取り出して別の作品にして、それが『国境の南、太陽の西』になったというのは驚いた。まだ読んでいないが、読まないとと思う。

「『ねじまき鳥クロニクル』を書き終えたとき、これで自分がメイントラックに乗っかったという実感がありました。これがぼくのそもそもやりたかったラインなんだと。」と書いているのを読んで、村上の読者として自分が正しい方向に進んでるんじゃないかということは思ってほっとした。もちろん、読み方に正しいもへったくれもないのだが、自分が読みとっているものが、村上の書きたいものと一致しているなら、それはけっこう幸福なことだと思う。

「『1Q84』は簡単に言ってしまえば因縁話なんです。」というのには笑った。全くそうだな。親の因果が子に報い。また、「1984年がコンクリートに固められていて地下から何も滲みだしてこない世界」なのに対して、「1Q84年は原始的なものが土壌から滲み出している世界」であり、それが例えばリトル・ピープルなのだ、というのはへええと思った。リトル・ピープルはもっと違うものかと思ってたのだけど、村上にとっては「原始的な、土壌から滲み出して」来るものなんだなと。そういうものは、村上が物語を作ろうと穴を掘っていると、自然と出てくるのだそうだ。それは分からないことはないなあ。

謎ときとして小説を読んでも無駄だ、という話は激しく同意。「小説のポイントは解答にあるのではない」そりゃ全くその通り。どんどんパラフレーズして広がって行くところに意味がある、というのはそうだと思う。

なんか、村上春樹ってやっぱりすかしているところがあるので、そういう部分がいまだに鼻につくんだけど、問題関心というかこのあたりがアレだという感覚は、結構私自身のものに近い感じがする。そのすかした部分を苦笑しながら読めばいいということなんだなと思うけど、まあそれもいいけどそういう部分を自らパラフレーズして、村上にも読んでもらえるような小説を書くことをがんばってみたいと思うのだった。

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