「私を護って」という科白/夜は犬が吠え、朝は鶏が鳴く

Posted at 10/05/25

このところ、どうも気持ち的に引きこもり的になっていて、あまり外に出て行きたいと思わないし、また内側にあるものを外に表現したいともあまり思わない感じになっている。体調の問題なのか、あるいは時期の問題なのか。まあ、両方とも同じことなのかもしれないが、やらなければならないこともあるので少しずつはやっていかなければならないなと思う。

Landreaall 16 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
おがき ちか
一迅社

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昨日はずっと雨だったが、午後からは降ったり止んだりになり、夕方には大体上がった。3時ごろ神保町に出かけ、書泉ブックーマートでおがきちか『ランドリオール』16巻を買った。この号は「革命の真実」が話の中心になっていて、今後の展開の上でも重要な号になるのだろうと思う。なんとなく見たことのないコマがあったので連載時の雑誌を引っ張り出して読み直してみたが、リゲインが王を斬ったときの王女の言葉、これはリゲインの胸中に浮かんだものだが、「私の一番の騎士 私を護って」というのは雑誌にもあった。「護って」、という台詞が、漢字が難しいから(笑)なんとなくぴんと来ない感じがあったのかもしれない。それからリゲインが逃亡し、都に戻ったときの様子をDXに説明する場面で「俺とオズモは無二の親友になってて俺が革命の旗頭になってた」というリゲインの台詞の横に「そんで折れ剣てアダ名がついてた」という小さな吹き出しがついていたのだが、これは雑誌にはなかった。まあ軽くこの程度の説明はつけておいたほうがいいんだろうなと思った。ゼロサムは今週また新しい号が出て続きが読めるのが楽しみだ。

朝鮮民謡選 (岩波文庫)
金 素雲
岩波書店

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神保町に出たついでに何軒か本屋や古書店を回り、自然食品の店ものぞいた。東京堂ふくろう店の「古本文庫屋さん」のコーナーで金素雲編『朝鮮民謡選』(岩波文庫、1973)を買う。朝鮮民謡を意訳し、日本語で韻文にしたものだが、これが魅力的。朝鮮民衆世界の精神像を垣間見る、なんていうお勉強気分で読むと面白くないけれども、素直に読むとああそういうものだよなあというあたたかさが浮かんでくる感じがある。一番印象に残ったのは「逢瀬」という詞で、

塀を越すときゃ/犬めが吠えて/しきい越すときゃ/鶏が鳴く

というものだ。逢瀬の短さを歌ったもの、と解説があるが、それもいいのだけど、夜には犬が吠え、朝には鶏が鳴く、というくらしを、そういえばもうずっと長い間していないんだなあと思ってしみじみしたのだった。我々の子供のころのマンガでは、夜の場面では犬が、大体は月に吠えているものがよく描かれていたし、朝を現わす場面では鶏が鳴いていたものだった。谷岡ヤスジのナンセンスギャグマンガでも「アサーッ」と鳴いているのは鶏だった。最近はそんな表現はとんとご無沙汰だ。それだけ人間が生き生きとした生命とのふれあいが失われてきているんだなとちょっと愕然としもした。最も、都会生まれの人たちには稲がたわわに実った秋の水田を生まれてから一度も見たこともない人も多いようなので、この感傷も誰にでもあるものでもないのかもしれない。そのほか「柚子」という詞は

一つ枕に/なぜ寝てわるい、/揃て実るぞい/柚子さえも。

とあり、「人の妻」という詞では

見ても食えぬは/描いた餅よ/焦がれて添えぬは/人の妻。

とある。同じことを歌うのでもやはり日本人のセンスとは微妙にずれているところが面白いと思う。

帰りにがいあプロジェクトでお弁当とラパンノワールのカンパーニュを買って帰った。

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