形式知と実践知:ふたみちかける

Posted at 10/05/01

昨日。10時まで仕事。帰宅して夕食、入浴、就寝。昨日はドラッカーを読んでいたらずいぶんいろいろ発見があった。中の一つは、引用されていたヘルマン・ヘッセの『ガラス球遊戯』に付いて調べたこと。ヘッセといえば、1962年8月9日死去。私は13日生まれなので彼の死後4日後に生まれたことになる。まあドイツから日本まで4日かかったんだ、私はヘッセの生まれ変わりだ、などとむかしはよくほらを吹いていたのだけど、ヘッセという人について実はあまりよく知らないできた。というより、うまくイメージできないで来た。

ヘッセといえば、多分大方の人のイメージは『車輪の下』で、私も高校か大学の初年に読んだ覚えがある。本棚にも確かにあるのだけど、内容はまるっきり忘れてしまった。しかし『車輪の下』のイメージから、青春小説の作家という印象が強いように思われる。私が次にヘッセを読んだのは、大学の第二外国語、必修のドイツ語の授業で、『メルヒェン』から「詩人 Der Dichter」という作品を読んだときだ。中国人の詩人、というものが出てきて、chinesischen とかいうつづりで「キネーズィッシェン」とかいう変則的な読み方をする単語が出てきたことを覚えている。かなり平易なドイツ語で、でもメルヒェンらしく何を含意しているのかはうまく思い出せない。しかし、次に出てきた作品がトーマス・マンの「幻滅 Enttuishung」(ドイツ語のつづりは不確か)で、これがやたら難しく、ドイツ語が難しいだけでなく日本語で読んでも意味がわからなかったので(今読んだら結構単純なんだがこういうこと考えはしなかったからね、当時は)ドイツ語をすっかり敬遠してしまった覚えがある。でもヘッセは、「分りやすい」という印象は残った。

数年前になって、ヘッセのいくつかのエッセイを読んだ。庭に関するエッセイ、文学に関するエッセイ。詩。それらはなんだか硬い印象で、今まで認識していたヘッセのイメージと違い、またどう認識していいのか分らなくなった。まあ何というか、群盲象を撫でるという感じで、ヘッセの本質をつかめないでいたのだ。

しかし、「ガラス球遊戯」――この作品でヘッセはノーベル文学賞を取ったのだという――では人文的伝統、人文的審美眼というものを乗り越えていく架空の世界の天才である主人公の話だということを読んだときに、そうか、と雷鳴に打たれたような(大袈裟だな)感があった。この人の苦しみというのは、私自身の苦しみなんじゃないかと思えたのだ。人文的伝統、人文的審美眼というのは、言葉を換えて言えば形式的知、形式的美といってもいい。知は形式性も必要だが、実践的でもなければならない。実践知、機能美、と言ったものもある。まあ人は生きていればある種の実践知や、ある種の機能美の審美眼というものを身につけていくけれども、形式性と実践性の乖離、そしてそのどちらに自分が立つのかということで引き裂かれるような思いをすることは、決して私だけの問題ではなく、普遍性のある問題なのであり、ヘッセはそれに苦しんで膨大な著作を残し、そして私自身もまたそのジレンマに苦しんでいるのだということに気がついたのだ。

「知」と「能力」の問題で私が分らなくなってしまっていたのは、知が形式知と実践知があるのと同様、能力にも形式的能力と実践的能力があるからだ。形式的能力というのはいわば学校で学んだり本を読んだりして身につく能力で、実践的能力というのは仕事をする現場で身につく能力といえる。そしてこの両者は、残念ながら現状においては相当乖離している。

私は伝統知、形式知に惹かれるところも強いが、実践知に惹かれるところもまた強い。どちらにより強く惹かれるかといえば、甲乙つけがたい。逆にいえばそのあたりが非常に中途半端だといってもいい。簡単に言えば、その両方を大事にしたいと思っている。

だから、と言っていいのだろうか、知的世界、つまり大学や大学院にいるときは、その実践知軽視の雰囲気になじめないものを感じ、現場、つまり底辺の高校で働いているときにはその形式知を軽んじる雰囲気によって相当精神的に傷つけられた。私は少年時代(高校2年まで)の環境が形式知軽視の環境だったので、そこからの脱出が自分の大きな目標で、「大人になったらこういう環境から脱出できる」ということだけを念じて毎日を耐えていたから、「大人になっても泥沼から脱け出せない」ということが自分にとって最悪のことだったのだ。

で、結局現場にも知的世界にも適応できず、両方からスピンオフしてしまったわけだが、今はまあそれなりに両立できる環境を作れたのである意味安定している。

「ふたみちかける」ことは一番よくない、といわれるけれども、その両方が大事に感じられるのはまあ因果なことだが仕方がない、避けようがないことなので、結局第三の道を行くしかない、ということになるんだなと思う。まあそうやって茨の道を歩いた人たちが今までもたくさんいたわけで、まあヘッセもそういう人なんだなと思ったのだけど、一つの世界に安住できないのであれば二つの世界を一つにまとめる第三の世界を、それは幻を現実にするような大変なことではあるが、やるしかないというかやらなければ生きて行けない、生きていく場を確保することが出来ない、ということなんだなと思う。

そういえば、私が以前書いていたウェブ日記の題名は『第3の私』だった。それを直感で見抜けるようになりたいと思って『Feel in my bones』という題名に変えたんだな。そういう意味ではそろそろブログの名前も変える時期に来ているのかもしれない。と思った。

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