わけもなくむしゃくしゃするとき

Posted at 10/04/30 Trackback(1)»

現在11時50分。お昼前。昨日は8時まで仕事。帰ってきて夕食。久しぶりに、NHKの9時のニュースを最初から最後まで見た。その後入浴、就寝。いつもより早めに寝たせいで、大分エネルギーが余ったのかどうか。

今朝は6時前に目が覚めた。活動し始めたのは6時半くらいになっていたが。寝床の中で小説の先行きについていろいろ考えたことを、書きとめておく。それから少し活元運動をして、それからモーニングページ。いつもより少し早めに朝食を食べ、それから母と墓参りに行く。母は、納骨の日から毎日墓参している。私は5日ぶりだ。25日に供えた花がまだきれいに咲いている。気温も低かったということもあるだろう。墓参りは気持ちが落ち着く。はずだったのだが、あとの予定が詰んでいたのであまりのんびりもできず。車を乗り換えて職場に出、ガス暖房の故障状態を見てもらう。排気部分に問題があったようで、一応直してもらって、様子を見るということになった。

修理にかかったのは30分くらいで、その間にブログを書こうと思っていたのだけど、どうも書く気が起こらず、結局そのまま職場を出て、綿半へ。ちょっと必要なものを買う。どうも朝からイライラがたまっている。理由はよくわからない。そういうことがときどきある。何かよくわからないが、何もかもに不満だ、ということが。それはいろいろ理由はあるだろうけど、体の点から見ればエネルギーが余っているということなんだと思う。つまり使うべきエネルギーを使っていないということ。綿半を出て、新しい道を通ってセブンイレブンに出て、コーヒーを買ったついでに立ち読みした本が面白くて買ってしまった。

よくわかる長野県の名字
森岡浩
しなのき書房

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森岡博『よくわかる長野県の名字』(しなのき書房、2008)。長野県で一番多い名字は「小林」だということは知っていたが、いかいろいろ面白い。東日本なのに西日本の名前(田中とか中村とか)が多いとか。長野県が突出して多い名字とか。丸山、柳沢などは長野県ではベスト10に入るが全国的には少なく、柳沢という人の名字の4割は長野県に住んでいるとか。私の名字がないので買うのをやめようと思ったが(笑)、やっぱりいろいろ面白いので買ってしまった。私の名字は北陸に多いということは読んだことがある。

国道を行こうと思ったがずいぶん混んでいる。やはり連休の影響か、高速のインターに向かう道運んでいるのだろう。道を変え、あちこち流浪して蔦屋へ。この道が早かったのかどうかは分からない。途中、仕事の電話が入って信号待ちのたびにかけ直しては留守電になり、走行中にまた掛かってくるので出られない、ということをくりかえしてしまった。蔦屋でWILLを立ち読み。結局買わなかったが、『ゴー宣』は面白かった。

運動を進める人は「理解されないことを恐れないでやる」ひとと、「理解されないと怒る」ひとたちがいる、という話はそうだなと思った。「自分たちは正しいことをやっているのだから人は理解すべきだ」と。まあなかなかそうはいかない。思想に、つまり「正しいか正しくないか、客観的・合理的には結局は判断できない」世界に携わってきた人にとっては、「理解されない」あるいは「賛同されない」「反対される」ことは織り込み済みというか、そういうことを恐れていては発言できない、ということであるけれども、そうでない世界でやってきた人にとっては「なぜ理解しないんだ」、と腹を立ててしまうことはあるだろうなと思う。特に、自営業や経営者など自分の意図通りには世間が動かないということをよく知っている人たちはそういうことは理解できると思うのだけど、人の下で働いた経験しかなく、上司に文句を言うだけで来ている人などはそういう感覚に陥りがちなんだと思う。大河原遁『王様の仕立て屋』26巻(集英社、2010)を買う。

王様の仕立て屋 26 ~サルト・フィニート~ (ジャンプコミックスデラックス)
大河原 遁
集英社

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なんとなくむしゃくしゃがおさまらないので、さらに平安堂まで行く。サンリッツロードはわりと流れていた。平安堂で本を物色し、岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書、2009)を買うことにした。他に何かないかと見まわして、教育関係の本が気になり、古荘純一『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』(光文社新書、2009)と諏訪哲二『間違いだらけの教育論』(光文社新書、2009)を買うことに。色々考えたが、このイライラを鎮めるには、もっとイライラするような勉強の本を買った方がいいのではないかというよくわからない結論に達したからだ。これはきっと、昨日ウェブで読んでいた「ホメオパシー」の考え方に影響されている。

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)
岡田 暁生
中央公論新社

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日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか (光文社新書)
古荘純一
光文社

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間違いだらけの教育論 (光文社新書)
諏訪哲二
光文社

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それから、例によってドラッカーがいろいろ積んである。私は流行りものは基本的に買わない主義なのだが、創作をしているときは何でも気になってしまう。色々選んでみたのだが、結局上田惇生『ドラッカー 時代を超える言葉』(ダイヤモンド社、2009)を買った。解説本とかを買うより、生の著書を読んだ方がいいのだけど、『マネジメント』は上中下の大作なので、とりあえずとっつきやすそうなものの中でましに見えるものを選んでみた。

ドラッカー 時代を超える言葉―洞察力を鍛える160の英知
上田 惇生
ダイヤモンド社

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それでも『マネジメント』の冒頭だけ読んだのだが、「自由よりも責任」という言葉が目にとまった。自由と責任、か。

自由というのは、私にとって、生理的に必要なものだ。未定の沃野と言ってもよいが、何も決まっていない、何を選んでもよい、どう進んでもよいという状況が、自分にとって生理的に必要なことで、たぶんそういうものがなくなったら私は生きていられないと思う。というか、それに近い状況は今までの人生の中で往々にして起こったけれども、とにかくそういう状況からは脱出するかあるいは破綻するかしてきた。これはもう本能的なもので、誰が何と言おうと、状況がどう変わろうと、自由がない状態は私にはだめだ。

しかし、責任が重要だというのはよくわかる。自分がどういうことで記憶されたいか、というドラッカーの言葉はそれはそれでよくわかる。逆にいえば、どういう責任を追うか、を選ぶ自由が人間にはある、と言ってもいいのかもしれない。

こういう経済本というのは今まで避けている部分が多かった。ドラッカーも、何か資本主義の枠内で何か効率を追求するような、そういう人かなという感があったので、食指が伸びない感じがあったのだけど、資本主義だろうがなんだろうが人間は生きて行かなければならないわけで、もっと幅広い、奥の深いことを言っているような感じが断片から読み取れる感じがあり、ちょっと読んでみる気になったのだった。

読んでいる本もたくさんあるので、どういう順番で読むことになるかはよく分からないのだが。

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