自分を支配するもの/高野竜「アラル海鳥瞰図」/「生きているだけの人間」に頼る気持ち

Posted at 10/02/18 Trackback(1)»

昨日はだいぶ長いブログを書いて、いろいろ考えたこともあって、どうもだいぶ疲れたらしい。今朝はなかなか起きられず、8時の朝食ぎりぎりになって起きた。夜中の間に雪が降っていて、道路も一面真っ白だったが、そんなに積もってはおらず、朝食の前に箒で軽く掃いておいたら朝食の済んだ頃には融けていた。日ざしが戻ってきて、時々明るい早春の日光にあたりが包まれる。いまも窓の外を見ると、白とグレーのくもの隙間から青空が見える。今日は二十四節気の雨水。旧暦の頃は、雨水が含まれている月が正月だったので、歳時記的な一月というのはこういう頃なのだなと思う。日本が季節感を失った大きな原因は暦を失ったからだと思う。旧暦の正月のもつ明るいイメージが新暦の寒さのどん底の時期には似合わない。便利さやグローバルスタンダードを採用することで失うものがあること、その一つ一つの価値を、文化や伝統というものを受け継いでいくために、それぞれちゃんと見定めておきたいと思う。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)
梨木 香歩
新潮社

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梨木香歩『西の魔女が死んだ』を読んでいる。後もう少し。最初は自立に伴う軋轢からスピンオフしたまいに、おばあちゃんとの生活が癒しを与えるというテーマのストーリーが続いたが、置かれている現状を乗り越えていくための「修行」が始まる。

「不快になるのはとめようがなかった。こういう、私自身を支配するような感情が生じないように、自分でコントロールできるようにならなければいけない。」p.134-5

 その通りだと思う。自分を支配してしまう感情。感情に支配されること。そうされないためにはどうすればよいか。自分なりの答えはあるが、先を読もう。

「自分の直感を大事にしなければなりません。でも、その直感に取りつかれてはなりません。……あまり上等でなかった多くの魔女たちが、そうやって自分自身の創りだした妄想にとりつかれて自滅していきましたよ。……大事なことは、今更究明しても取り返しようもない事実ではなくて、今、現在のまいの心が、疑惑とか憎悪とかといったもので支配されつつあるということなのです。」
「わたしは……真相が究明できたときに初めて、この疑惑や憎悪から解放されると思うわ」
「そうでしょうか。私はまた新しい恨みや憎しみに支配されるだけだと思いますけれど…そういうエネルギーの動きは、ひどく人を疲れさせると思いませんか?」p.138-140

 直感に取り付かれる。と、妄想に支配される。何かとんでもないことをいつのまにか信じ込んでしまっている、ということが私にもよくある。中学生の子どもの課題になるようなことが、できないこともあるというのは、まあ残念なことだが、心の動きが弱っているときなどは往々にしてそうなるのだなあと思う。

先を読もう。

「まいは、なんだかもっとしみじみと悲しみたかったのだ。針葉樹林の中を歩いた。この林の向こう側は沢になっている。霧はそこから立ち昇るのだ。晴天のときとはまた違う、どこかひそやかな草いきれが、細かな緑色の粒子となってまいの肌の毛穴や鼻孔に浸み込んでいく。」p.174

 いい文章だ。何度も読み返したいような。

読了。人の死というのは、どうしてこう何もかも浄化してしまうのだろう、と思う。最後の、ゲンジさんとまいの会話は美しい。美しいものをみると人は感動する。本当の最後の最後の、まいとおばあちゃんの心の交流は、本当に自然で、そしてこの愛すべき物語をファンファーレとともに終わらせ、そしてまいの新しいストーリーの始まりを予感させる。よくできた、抑えのよく利いたよい小説だと思う。

「渡り」。「西の魔女が死んだ」の後日譚。少しだけでてきた転校後に仲良くなったショウコとまいのある秋の一日。みずみずしい掌編。まいの「魔女」っぷりがおかしい。

解説を読む。少し説教臭いなと思いながら読んだが、表紙の絵を書いた画家だと分って驚いた。そんな例、今まで読んだことがなかった。最後までびっくり箱みたいなところがある文庫本だった。

***

昨日の午前中にアマゾンで注文していた『テアトロ』が届き、演劇をやっていた時代からの友人の高野竜君の宇野重吉賞受賞戯曲、『アラル海鳥瞰図』を読んだ。

テアトロ 2010年 03月号 [雑誌]

カモミール社

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高野竜「アラル海鳥瞰図」(『テアトロ』2010年3月号所収)。今まで読んだことないタイプの「戯曲」。ダイアローグがゼロというのは初めてだ。7つの場面、7人の登場人物、7つの独白。冒頭に「オード」として「夢の鞍」と題された詞がついている。この詞は、彼が作詞家として参加しているユニット「Fomalhaut」の曲と同じように、助詞の「を」を省略するという詩体で書かれていて、先日読んだ谷川雁の直接的な影響を感じた。彼の活動全体が谷川が示唆したもののある意味での「あるべき姿」を感じる。「アラル海鳥瞰図」は谷川がテキストとして愛したんだろうなあと思う宮沢賢治の、地学的・農学的・文学的・社会的な世界をある意味超えた先にある感じがした。そういうものにリリシズムと日常、知識と体験を加えて、作者が生きてきた生というものを丸ごとぼんと投げ出している感じがする。

超えているというのは、単に時代が進んだということかもしれないけど、高野が経験して賢治が経験していない前衛的・小劇場的・あるいはアングラ的な演劇経験から吸収したものと、高野の地球放浪経験という要素で、そうした彼でしか語れないものを闇鍋的にぐつぐつ煮て戯曲にした感じがする。しかしその背後にあるのが本質的な土への、あるいは土地への志向、あるいは嗜好であるところが、彼の一番の特色なんだろう。ある意味「風とともに去りぬ」である。

スターリン政権による朝鮮系住民の中央アジアへの強制移住政策や、無理な農業振興によるアラル海の消滅という社会主義の犯罪的大失敗を、高野は国家というものそのものの持つ原罪の現出と見ている。国家が気まぐれに人びとを振り回し、気まぐれに大失敗をやらかしても、人びとはそこで生きている。高野はそれを熱くかつ冷静に語ろうとしている。

七つのセリフに七つのストーリー。それぞれいろいろなものを背負った人の独白。最後に、「あの子」が長距離トラックの運転手にならないか、「交易」の荷い手にならないかと。そして消滅しつつあるアラル海がいつかまた現れるのではないかという二つの希望とともにストーリーが終わる。

アラル海が消滅しつつあるということは新聞やメディアで何度も取り上げられ、かつての湖面が茫々たる土漠となり、漁船がその真ん中に打ち捨てられている図は黙示録的な光景として認識はしていたが、この戯曲を読んで、私たちは「アラル海」が干上がる時代に生きているのだ、という実感をもった。そして現実と虚構とがまぜこぜになり、本質的な指摘とおそらくはとんでもない誤解が同居しているのではないかという感じがするこの戯曲の中に、やはり作者の祈りに似た信念が立ち上がってくる気がする。

国家の、あるいは人間の全ての思惑を超えて、「アラル海」はいつのまにか再生しているかもしれない。現代の隊商であるデコトラの運ちゃんたちによって人々はこれからも物資も文化も伝達されていくのだろう。国家的な犯罪の告発、あるいは表現のために自分の一命を賭ける、そんな芸術かもいるかもしれない。この戯曲はさまざまなメッセージを伝えようとしている。

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隣家の解体作業は昼休みに入ったようで静かだ。仕事に出る前に、一休みしていこうと思う。ディーラーからの電話を待っているのだけど、まだかかってこない。

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最初、批評的なことを書いてみたが、ちょっと今の私の自然な流れからは違うことをやってしまったという感があり、体調を少し崩して腹を下した。文字通り、消化不良という感じだった。今読み直して、感じたことを書くのに留めた。批評的なことも書けなくはないが、私はまだ高野竜という演劇人の才能も本質もまだよく分っていないところが多いので、それはまた次の機会にしたい。彼のやろうとしていることは、今私のやろうとしていること、立てているアンテナと違うベクトルを持っているものなので、なかなかうまく消化できないというのが正直なところだ。

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ショパン:ピアノソナタ第2&3番
ポリーニ(マウリツィオ)
ユニバーサルクラシック

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ポリーニのショパン、ピアノソナタ三番を聞く。息が出来る。自分が正常なルートに戻されていく感じがある。ホロヴィッツのように古い時代のピアニストを聴きたいときと、より現代的なピアノを聞きたいときと、時によって違うなと思う。

隣家の解体作業の音があまりに激しくなってきたので活元運動もできず、車で湖畔に出かけて「モーニング」を買ってしばし読んでから職場へ。今週は「Ns’あおい」がよかった。意識不明の父に頼る、という気持ち、すごく共感した。意識不明だろうがなんだろうがとにかく父が生きているということが本当に心の支えになるなんてことは、これは体験してみないと多分わからないことなんだろうと思う。少なくとも自分には理解できなかっただろうと思う。

意識がはっきりしているときの父は、なんだかめんどくさいところはめんどくさい、ある意味世間一般の父であったのに。「生きているだけ」になった方がむしろ支えになる。そういう意味で、延命措置を取るのか拒むのかというのは本当に単純な問題ではないと思う。しかし、どんな意味であれ、頼るというのはこちらの生のエネルギーの減退現象であり、あまり良いことではない。自分の抱えている何かを投影して妄想のようなものを見ている部分もあった気がする。しかし、そういう状態になったときの人間と一緒に過ごす時間を経験したことがあるということは、人間に深い影響を与える何かがあるようには思った。

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