体調が悪いと苛々するわけ

Posted at 09/10/21

昨日仕事10時まで、帰宅後夕食、入浴、就寝。今朝の起床は6時50分、だいぶ遅くなった。そのまま活元運動をし、朝食を食べて、朝の打ち合わせをして、松本に出かける。だいぶいろいろ調子が悪かったところを見てもらって、いまの感じではいろいろなところがよくなってきた感じがする。本格的には一度寝て起きてからでないとよくわからないのだが、減食ももうやめていいし後は活元運動をやればいいということなので、ちょっとしばらく時間をかけて取り組んでみたいと思う。

帰ってきて昼食を済ます。山麓に出かけるが、甘いものが食べたくなってローソンによってドラ焼きを買う。車のなかで大体食べて、通勤バイパスを通って山麓へ。今日はいろいろと手間取って、出るのが遅くなった。途中でおなかが痛くなってトイレに行ったり。すっきりした。

また缶コーヒーのカフェオレが飲みたくなってけっこう一気のみ。おなかが落ち着いてきた。いの状態はだいぶよくなってきたようだ。耳鳴りはまだあるが、鳴り方が変わってきた。

***

具体的には書かないが、今日はいらいらすることがあった。調子が悪いというか、マインドが内向きになっているときがある。誰でもそうかはわからないが、私は調子が悪くなると心が内向きになり、あまり人と話をしたくなくなる。そういうときに話し掛けられるのは負担だ。いつもだったら適当に相槌を打ったり言い返したりするのだが、調子の悪いときは返事をしなきゃと思っているうちに苛々してくる。そうなってくると不機嫌になって、辛辣なことを言ったり不機嫌な沈黙をしたりしてしまう。そういうのって、実は自分を防衛しているのだが、話し掛けているほうにはそういうことってあまり伝わらないので、よけい苛々してしまうのだ。

相手に伝わるのはただ不機嫌なんだな、ということだけで、そうすると適当に機嫌を取ろうとされたり、ますます喋りかけられたりして、よけい苛々してくる。「黙れ」というのも言いにくいし、心を閉ざしたりするとよけい疲れてくる。ただでさえ調子が悪いのに、何でこんな目に合わなければいけないのかという気がしてくる。

しかし、よく考えてみると、相手も多分調子が悪いのだ。調子が悪いととにかくいろいろ喋りたくなる、そういうタイプの人というのはいる。お互いに調子が悪いから、お互いに思いやれないし、お互いに相手の反応に不可解さを感じることになる。人間というのはいろいろだ。調子のいいときは相手の欠点でも平気で受け入れられても、体調が悪くなると相手のどうでもいいところでも気になってしまう。

ぎっくり腰をやり過ごすのと同じように、とにかく鼻から息をすうっと吐き出しつづけると、少し防衛できるのだが、いつまでもそればかりしているわけにも行かない。何か気分転換できるようなことを思いついたり、出来事が起こったりすればいいのだが、調子が悪いからそういうことも思いつかないし起こったりはしないのだ。なかなか嫌なサイクルから脱け出せない。

まあいろいろ考えていると、そういうときというのは「自分の体調の悪さ」という観念に閉じこもっているんだなと思った。それにとらわれていてそこから脱け出せなくなっている。もっとやるべきことについて頭をめぐらしていれば、自分の体調は二の次になることもあるわけで、体調の問題から頭を離すべきなんだとあとで思った。

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by Luke Peterson

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