ショパンをいろいろ聞く/哲学史上の悩みを悩む:意志が先か、概念が先か

Posted at 09/08/03

一昨日。疲労困憊して上京。地元の駅の文教堂で本を見て、宮本福助『拝み屋横丁顛末記』の12巻が出ていたので買った。全部ゼロサムで読んだことのあるものだが、読み直して見るとああこんな話もあったなあという感じ。

拝み屋横丁顛末記 12 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
宮本 福助
一迅社

このアイテムの詳細を見る

昨日。朝、あることをある人に伝えなければならないということがあり、それが結構こころに引っかかっていてちょっと辛かったのだが、どうもその辛さが結構あとを引いてしまって困った。体調ももともとよくないと言うこともあって、どうもあまり。

ただ日曜日にやらないとやれないことが結構たくさんあって、10時半ころには出かける。雨。面倒なときには面倒が重なる。以前横浜の元町で買った緑の傘を差して出かける。少しでも心が軽くなるように。

図書館に行ってショパンのCDを借りる。5枚まで借りられると言うので5枚借りた。マリア・ジョアン・ピリスのノクターン集とプレリュード集。マウリツィオ・ポリーニのソナタ。外山啓介。バラエティもの。プレリュードは作品28の24の前奏曲がすべて収められていたが、ノクターンは全部ではないと言うことに気がついてしまったと思った。まあ仕方がない。雨が降ってきて、傘を差して街を歩く。銀座に出て交通会館まで歩き、ブルックスブラザーズのカード会員のセールへ。結構客はいたが、あまり目玉と思うものは無かった。でも一つベストが2000円弱のがあり、あと腕時計のデザインが気に入って、二つで7000円使った。それからヨドバシカメラに行って音楽用のCD-Rを5枚買う。食事をしようと思い、銀座三越の地下街で食べ物を見ていたら携帯に着信あり。かけてみたら、友人が新型インフルエンザで外に出られないという。ひとしきりそんな話をして、表に出た。

とりあえず日本橋に出て高島屋の地下でイベリコ豚とほうれん草のカレー。丸善に行ってモーニングページ用の原稿用紙ノートを買い、店内を物色。結局、ショーペンハウエルの伝記を買った。ニーチェを読んでいると、やはりショーペンハウエルも少しは知ったほうがいいと思い。

ショーペンハウアー (Century Books―人と思想)
遠山 義孝
清水書院

このアイテムの詳細を見る

雨の中傘を差していろいろなものをもったまま歩いて返ってきたが、なんだか疲れてしまい、夜は『天地人』は見たがほかのことはほとんどせずに寝た。

古橋広之進逝去のニュース。戦後を象徴する人たちが次々に退場していく。時代は否応なく変わっていく。人の死と生が、時代を変えていく最大の原動力なんだなと思う。

朝は5時ごろ目が覚めて、モーニングページは書いたがブログまではなかなか書く気にならず、テレビばかり見ていた。10時ごろ友人から電話がかかってきて話していたが、昼前に横浜で会うことになり、出かける。車内でショーペンハウエルの伝記を読んでいたが、これが面白い。ショーペンハウエルという人はほとんど知らなかったのだけど、ヘーゲルと同時代でヘーゲルが概念の哲学者だとしたら彼は意志の哲学者、という対立があり、カント哲学を源流とする二つの流れの一つをになう重要な人物なのだということを知る。今までニーチェやキルケゴール、あるいは現象学などがどうやって出てきたのか全然わからなかったのだが、ショーペンハウエルの存在を知るとその流れが格段によく見えてくる。倫理の教科書でもちゃんと扱ってくれたらよかったのになあと思う。

ショーペンハウエルの意志と、ヘーゲルの概念と、どちらがより重要か、あるいはどちらがより根源的なのかということは結局それが自分の中の葛藤でもあるということに気がつき、自分は実はこういう哲学史上の悩みを悩んでいたのかということに気づいて、哲学というものが身近になったように感じた。言葉(現象)と物自体。ショーペンハウエルの自由論は、人間は物自体としては自由な存在だが、現象としては完全に縛られた存在だ、という整理の仕方で、これは甲野善紀が「人間の運命は完全に決まっていてしかも完全に自由だ」ということに通じるように思った。著者の遠山はショーペンハウエルよりカントのほうが深い、という言い方をするが、カントをちゃんと読んでないので断言は出来ないけども、ショーペンハウエルはカント哲学を一つの方向に確実に進めていると思う。

横浜で友人と会い、南インド料理の店でドライカレーのようなものを食べる。香辛料がよく利いていて、なんだか元気になった。そのあとアフタヌーンティー、スタバと梯子し、屋上庭園で空を見て、久しぶりにだいぶたくさん話せた。普段一対一で話す相手がいないので、やはり友人と話すということは自分にとって大切なことだなと思う。なんでもない政治の話や世間話でも、普段どういうことを感じているかということを人に話すということは意味のあることだなと思う。このブログでもあまり政治のことは最近書く気がしないし、自分の考えも口に出して見るとああこういうことなんだなあと思ったりもするし、だいぶ考えがビビッドになって面白かった。帰りに青山フラワーセンターで青い花瓶を買い、東海道線で東京駅に出て新丸ビルで夕食を買い、丸善でショーペンハウアー『意志と表象としての世界・I』(中公クラシックス、2004)を買う。

意志と表象としての世界〈1〉 (中公クラシックス)
ショーペンハウアー
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

帰って来てCDを録音しながら新型インフルエンザの友達と話をしていたら、携帯で1時間も話してしまった。

こうして書いて見ると、この週末はかなり散財した。これから結構使う予定もあるのだが。少しセーブしつつ、上手く気晴らしをしていかないとと思う。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday