ショパンの伝記/自分を駆り立てるために

Posted at 09/07/30

相変わらず『ピアノの森』を読みながらショパンを聞き、ショパンの伝記を読んでいる。『ショパン 人と作品』は現在144/230ページ。そろそろサンドと分かれるかな、というところ。高級品・洗練好みのショパンにとって、サンドと出かけるマジョルカ島などはすごい場所で、サンドと付き合わなかったらそういうところには行かなかっただろうなあと思う。そういうことが彼の創造にとってどういう意味を持ったのかはよくわからないが、ドラマチックではある。音楽家の伝記は作家や画家の伝記より面白いと思ったが、それは音楽家だからなのか、ショパンだからなのかはちょっと良くわからない。しかしベートーベンやモーツァルト、シューベルトなど、子ども向けの伝記で読んだときは存分に面白かった。しかし豊臣秀吉とか野口英世なんかの伝記もやっぱり面白かったわけで。

作曲家 人と作品 ショパン (作曲家・人と作品)
小坂 裕子
音楽之友社

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しかし音楽家というのはやはりほかの人よりも本能で動いている部分が多い、つまり陶酔的なところにかなり軸足を置いている人が多いのだから、当然面白くなるんだろうなあと思う。また、19世紀という時代もその面白さの原因だろう。音楽家は洗練された貴族たちを相手にしていればよかった18世紀と、ブルジョアという名の大衆に受け入れられなければならない19世紀の音楽家とは考えなければならないことが全然違っただろう。ショパンは演奏会が苦手だったというのもはじめて知ったけど、へええと思う。やはり彼の構えは基本的に18世紀的なサロンの音楽家だったのかもしれない。

朝起きてファミマにモーニングを買いに行く。今週号はあまり充実してないなあと思う。新連載がいくつか。「リヴィングストン」。ある種のオカルト。でもなんだかあんまりクールじゃないんだよな。私はこういうものに対しては80年代的な、山田章博のような冷静な構え方が好きなんだけど、この作品は90年代以降的な、半分オカルトに飲み込まれてしまうオウムっぽさというか、そういうものがある。山田章博などは、超常現象などに対して、「そういうものはある。冷静に観察しよう。」というスタンスで、こういうのはすきなのだが、90年代以降になると「トンデモ」として頭から否定するか、こういう半分のめり込み的になるか、どちらかになってしまって、どちらも粋じゃない。どんなことが起ころうとがたがた騒ぐなよ、って感じで行ってほしい。「ビリーバット」話は壮大なんだが、こういうのあんまり趣味じゃないなあ。「風と雷」海老蔵出演の新歌舞伎みの原作の漫画化だそうだが、どうなの?こういうのは『コミック乱』とかでやればいいのに。「宇宙兄弟」怖い展開。月面での運転の危険さ。「シマシマ」これもどうなの。「僕小」セリフ多すぎ。(笑)「ジャイキリ」今週号の救いはこれだけかな。特に欄外の登場人物紹介。まあ何考えてんの的な面白さなんだが。カンチャンスは可笑しい。「かぶく者」うーん。「東京怪童」動かない。「ディアスポリス」久保塚の戦闘。これから面白くなるかな。「特上カバチ」小石川さん。「誰寝」これもオアシス。ヤマダ君ちの烏黒鶏がスーパーの有精卵を孵化させたものであることが明らかに。可能なのか?(笑)「エンゼルバンク」人は感情で動く。経営者は社員の感情を動かす発信源になろうとすべきなんだ、とのこと。まあこれはわかる。

次号は「ライスショルダー」「島耕作」「神の雫」「ひまわりっ」「ラキア」「ピアノの森」(やった!)「へうげもの」、と今週掲載されてない作品が載る予告なので楽しみにしたい。しかし週によってこれだけ掲載作品が違う雑誌ってすごい話だな。

ピアノの森 14 (モーニングKC)
一色 まこと
講談社

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『ピアノの森』。14・15巻あたり、ショパンコンクールに入ってからの部分を何度か読み直している。海が一次予選を弾き始める前に、「不安なんかないよ阿字野。俺はここに来るまで…一人ではなかった」と満足げな、決意と自信に満ちた表情で心の中で呼びかけるところがちょっと唐突な感じがしてそのことについて考えていたのだが、つまりこれは、海が阿字野の思いも引き受けて決戦に臨む、ということを意味するのだということに気がついた。雨宮が父の思いをも背負ってしまうのに比べて、同じことなのに全然違うのがすごいと思う。

シマノフスキに「怖いものから逃げるために走っているの?」と聞かれて海は「ううん。自分を駆り立てるために。」と答える。このことについても考える。というか、そう言う考え方もあるんだよなと思う。不安になったり、苛々したり、思いにとらわれたりするのはエネルギーがあるからだ。それをストレスと感じたり追いかけられるように感じてしまい、それをなくそうとしてもなくならない。それをむしろ、自分を駆り立てるものと位置付けて、創造のエネルギーの源と位置付けて、集中してことにあたる。そうすれば、すべての悩み、すべての迷いがエネルギーになる。そうすればいいんだとおもう。歩きながらそれを考えていて、そう言うことをモーニングページに書いていたら、それがつまりいわゆる「昇華」なんだということに思い当たった。高校の保健体育でやったときには理屈ではわかった気になっていても本当にはよくわからなかったが、初めて心の中でどこをどう接続したらいいのかということがわかった気がする。創造には莫大なエネルギーを必要とする。一方でエネルギーを消して、一方で奮い起こそうとしても無理だ。否応なく湧いてくる莫大なエネルギーを創造のほうに向かう奔流にすること。創造のコツというのはそれだけかもしれない。

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今アマゾンで見たら、昔の「大音楽家・人と作品」というシリーズでショパンは河上徹太郎が書いていた。それもまた読んでみるのもよさそうだ。

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by Luke Peterson

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