村上春樹インタビュー「僕らは間違った世界の中で生きている」

Posted at 09/05/26

昨日。帰ってきて花を生けて、ブログを更新しようと写真を取り、PCに取り込もうとしていたら友人から電話がかかってきてしばらく話す。最近の懸案の話などしていた。『モンキービジネス』の村上春樹インタビューを読み続けるが、なかなか終わらない。今ページを見てみたら、なんと75ページもあった。まだ15ページほど未読。小説と違って、全部読まなければ受け取れるものがないかというとそういうことはないので、むしろ書いてある一つ一つのことを消化するのに時間がかかり、それで時間がかかると言うこともある。

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柴田 元幸
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自分が以前書いた小説を読み直してみる。今読むと、この部分は独りよがりだとか、後半はペースが出て面白くなっているけど前半はだめだとか、そういうことがよくわかるが、そのときにはあまりよくわからなかった。どこまでが独りよがりでどこからが受け入れられるかの一線、というのは谷川も書いているけれども、それがわかるかどうかが一つ作家としてやっていけるかどうかを決める重要な線だ。

『モンキービジネス』を読んで思ったが、もう一つ大事なことは作品を作るときの自分のやり方というのを確立していることだ。村上春樹は朝2時に起きて4時間ほど集中して小説を書くという。一日24時間のうち4時間、というと少ない気がするが、誰かに邪魔をされないで書けるその時間をフルに使って毎日仕事をするというのは大変なことだ。谷川俊太郎は「地下」から言葉が上がってくるまで待つ。

面白いなあと思ったのは、谷川も村上も「地下」という感じを好むことだ。上からではなく、下の方から来る。村上の井戸のイメージはまさにそれだが、谷川もそうだとは思わなかった。やはりこの二人、世代も売れた時代も違うが、共通する点が多い。二人とも平易な言葉で文壇の主流にない作品を作っている。一般受けがするので作家内部では必ずしも評判がよくない。しかしデビューしてから持続的に売れ続けているので、新しい作家たちはみなこの二人の影響を受けて出てくるため、いつの間にかパラダイムを形成する中心の位置にいる。二人とも成熟を目指していない(これは戦後民主主義的だ)。二人とも自分のやっていることが「仕事」だという意識を強く持っている。谷川はそれで食っている、という側面を強く意識しているし、村上はそれをやり続けるためには「体力」が必要だと言うことを強く意識している。受け取り方の違いは、詩と小説が日本の中で置かれている位置の違いだろう。二人とも、制作していないときは翻訳をしている。谷川は『ピーナッツ』(スヌーピーの出てくるマンガね)の翻訳を、村上はチャンドラーやサリンジャー、フィッツジェラルドの翻訳をしている。どちらもアメリカの作品で、どちらかというと純文学というよりは、大衆的な作品であることが共通している。

だからなんだかんだ言っても、この二人が作ってきたものが今の日本のそれらの分野の事実上の定番を作っている面が大きい。ということは、次の世代がやるべきことは、彼らの存在を「古い」ものにしてしまうことだ。時代はもう新しい方向に展開し始めている。村上がいっているように、911の衝撃はあまりにも大きかった、特にアメリカで。私は2001年以降のアメリカにいったことはないのでよくわからないのだが、村上は「ぼくがいまのアメリカに行って、人々と話して感じるのは、われわれが生きている今の世界というのは、実は本当の世界ではないんじゃないかという、一種の喪失感――自分の立っている地面が前のように十分にソリッドではないんじゃないかという、リアリティの欠損なんですね。……言い換えれば、この今ある実際の世界のほうが、架空の世界より、仮説の世界よりリアリティがないんですよ。言うならば、僕らは間違った世界の中で生きている。それはね、僕らの精神にとってすごく大きい意味を持つことだと思う。」と言っている。

アメリカも世界も、そういうリアリティを取りもどすのに必死なのだ。その一つの現われがブッシュ政権の狂気を内包したような二つの戦争であったわけだし、(ブッシュJr.という人は、911が起こらなければ史上最も平凡な善良な大統領として4年間過ごせた人だと思う)多くの人が驚いた黒人のオバマの大統領当選だったのだと思う。何かやらなければならないと言う思いが多くの国で考えられなかった事態をいろいろ引き起こしている。北朝鮮がそれこそ狂ったように核やミサイルをものにしようとするのも、911と全く無縁とはいえない。みな失われたリアリティを回復しようとしている。

日本でそういうリアリティが大きく失われたのはもう少し早く、バブルとその崩壊から阪神大震災と地下鉄サリン事件だったと言う指摘はその通りだと思う。ある種急激な保守回帰現象が起きたのは、飽和状態になっていた「終わりなき日常」の崩壊によって、急激に崩壊しつつあったいろいろなもの、それが経済のレベルでも完全雇用や終身雇用、あるいは土地価格上昇の神話が崩壊して、我々が立っている基盤がよくわからなくなったことと非常に関係があると思う。私が社会党政権や戦後民主主義がだめだと思ったのはやはり阪神大震災と地下鉄サリン事件に対する村山内閣のひどい対応が大きかった。「政治はだれがやっても同じ」というのはある種幸福な時代だが、危機が厳然と存在することが意識されてきたら、きちんとしたリーダーシップを取れる人、自分が今たっている基盤を守ってくれる人、そういう政党を頼りにしたいと思うのは人間の自己保存本能にとって極めて真っ当なことだと思う。

インタビュアーの古川日出男はそれを「崩壊先進国」と表現していて笑ったが、まあそういう意味で時代をリードしていく可能性が日本にはあるし、村上自身も言うようにだからこそ村上の作品がアメリカをはじめとする多くの国で読まれたのだと思う。村上の作品は自分と言うもののとらえ方が西洋の作品とは明らかに違うのに、でも多分彼らにとっても受け入れられる現代的な文脈と言うものがある。そして何か予想外のところに読者を連れて行く、そういう不確かさが崩壊の時代を生きる人にとって何かの救いとか指針とか「自分」の安定化とかそういうものに資するところがあるのだと思う。アメリカで村上の評価が急激に上がったのはやはり2001年以降だと言うし、1990年代以後で一番読まれた地域はドイツとロシアなのだと言う。

時代はさらに動いていて、オバマ以後、あるいはリーマンショック以後、混沌というよりは再建、リコンストラクションの時代に入っていると思う。文学がその時代に何ができるかというのはまた別の議論になるが、混沌の時代とはまた違ったものが世界的に求められていくだろう。

まあ、なんと言うか私はそういう基本的に楽観的なビジョンを持っているのだけど、世界はもっと流動化していくというどちらかと言うと悲観的なビジョンを持っている人も多いだろうな。そういう人にとってはまた求められる文学というものは違うものに思われると思うのだけど、まあ文学に関してはいろいろなものが出てくればいいことだ。

今朝は6時前に起きてモーニングページを書いたりいろいろやっていたらどんどん時間が経った。ウツギはきれいなんだけどどんどん花が散るな。今週末に帰ってきたときにはどんなふうになっているか。

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