「高めあう恋」はうまくいくのか

Posted at 09/05/23

文藝 2009年 05月号 [雑誌]

河出書房新社

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『文藝』穂村弘特集の感想続き。

穂村弘と角田光代との対談も面白かった。歌人の男と小説家の女。作る対象の違いと性別の違い。小説家の男と歌人の女の対談だったらこんなに面白かったかどうか。

「高めあう恋は是か非か」というテーマは面白かった。私は無意識に「それが理想」と思っているところがあったが、この対談を読みながらよく考えてみるとあまりに無意識にそれを肯定しすぎてたんだなと思う。

高めあう恋といってもいろいろあるのかもしれない。たとえば、あなたが頑張ってるから私も頑張る、みたいなのもあるかもしれない。それだとあなたが落ち込んでるから私も落ち込むってことになってしまうのではないか。というかそういう実例は結構見た覚えがある。高めあう恋だったはずなのにいつのまにか傷を舐めあう恋になってしまうこととか。
あるいは励ましあう恋。しかしこれも、励ましあっているうちに励まされないと出来なくなる、いつも励ましがほしい、みたいな感じになったりする。相手が修羅場のときに相手を励ますのではなくて自分が励ましてほしいとばかり思うような。何かこれも厄介だ。なんていうか、日本人ってそういうウェットな関係が割と好きだとは思うが、それだと突出した才能を開花させた、余人をもって代えがたい「個人」というものにはなかなかなれないなと思う。そういう関係の中で枯れていった才能も、実はたくさんあるのではないかという気がする。

角田は、「高めあう恋は私はダメですね。無関心がいちばんいいと思います。自分は自分のことだけを頑張ればいいと思います。……ここが好きっていうのは「状態」であって高めあう「状況」ではない。人間として立派になるとか仕事を成功させるとか前に進むとかは一人でやりたいし、相手にも一人でやっててほしい。」という。それは全く正論だと思うが、「でもこういうのって、私が二十代のときに、高めあう関係がいいっていう情報や価値観がきっと過剰にあったからなんですよ。」というのもそうだったよなあと思う。

今私がぼーっと考えても、「高めあう関係がいい」といわれると何か正しいような気がしてしまう。実際に私などはそう考えて付き合ったことが多いから、それだと結局うまく行かなくなる、という実感がある。価値観の違いが明確化してきてお互いがお互いの助けにはもうこれ以上なれない、ということでうまくいかなくなったこともあるし、お互いがお互いのことに一生懸命なときに「ここをこうした方がいい」と言われていつもならプラスに受け取るのに心がささくれ立ってそれが相手への思いを著しくマイナスさせる、ということもあった。だから、角田が「今の状態でダメだしされようものなら、そのへんの床に伏して泣いて「まだダメなの!?」って叫びますよ。」という感じはよく分る。頑張ってるとき、落ち込んでいるとき、恋人から本当に必要なのは、励ましでも、ダメ出しでもないと思う。(そういう時、いちばん必要なのは、相手の肩の力をふっと抜くようなことではないかと思う。なんとなく冷静になる、ことができればいいのだが。なかなか。)

人間は究極的には孤独というか、自分のことは自分でやらなければならない。人のやった勉強が自分の身につくわけではない。しかし人間は完全ではないから、他の人から見たら分るけど自分では分らない問題点というものはたくさんある。でもそういうものを指摘したりすることと、恋愛感情というのは別のものにしておいた方がいい、という感じはわかる。相手が自分の言ったことでよくなってくれると嬉しい、という感情にも、実はどこか功利的なところがある。恋愛感情そのものは、功利的な感情を離れた方が長持ちすると思う。

あれ?「高めあう恋」とは功利的なもので恋愛の本義に反する、という結論が出てしまった。正しいですかこれは?

***

昨日。午前中、蔦屋と平安堂に出かけて東村アキコ『ひまわりっ』の6~7巻、昨日発売のサライネス『誰も寝てはならぬ』の11巻を買った。読了済み。豪い勢いで読んでるな。メジャーなものに食いつくとどこでも本が手に入るからこういうことになってしまう。

ひまわりっ~健一レジェンド 7 (モーニングKC)
東村 アキコ
講談社

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『ひまわりっ』は2007年後半から2008年初頭に掲載された作品。だいぶこなれてきてどんどん面白くなってきた。6巻ではまだ一話完結、二話完結も一つだけあったが、が基本のコメディ路線なんだが、6巻の終わりから副部長(歯ブラシ)のシリアスな物語がはじまり、7巻にかけて4話連続になる。一話完結ながら蛯原と副主任のシリアス(めいた)話が二話続き、アキコ一家の沖縄話が二話つづく。このあたりから長尺になってきたせいか、話のスケールが大きくなっていて、どんどん世界が広がってくる感じがする。現在連載中の『ひまわりっ』は、ロングロングストーリーが展開中(いろいろな話が混じっていてどれがメインなんだか混乱中だがそれがそれで元気がよくて面白い、という半ばネ申の領域(ああ、ネ申って言葉こうやって使うんだな)に入っているけれども)なのでそういう作品なんだと思っていたのだが、もともとはスタンダードっぽいギャグマンガだったんだと改めて思う。

誰も寝てはならぬ 11 (モーニングワイドコミックス)
サラ イネス
講談社

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『誰も寝てはならぬ』11巻。昨日発売で、昨年秋に読み始めた私が読んだことのある作品が載っていたので、これで連載に追いついたことになる。『ひまわりっ』もいいのだけどハイテンションでぶっ飛ばしていて、この『誰寝』のゆるさは何物にも代え難い味がある。ゆるいだけでなく実在感、実話感がすごく溢れているのが上手さだなと思う。

午後から夜にかけて仕事、10時半頃帰宅。夕食、入浴、就寝。起床5時半。ふと高台から湖の景色が眺めたくなって立石公園まで車を飛ばす。曇り空に沈んだ湖と噴出しそうなくらいみずみずしい新緑。一息ついて家に戻ったら6時になった。モーニングページ、愉気、朝食。午前中は『文藝』を読んで穂村弘と谷川俊太郎の会話に取り組んだり、蔦屋に出かけて『ひまわりっ』の8~10巻を買ってきたり。

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by Luke Peterson

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