オーデン詩集/諸星大二郎作品の変化

Posted at 09/05/05

朝からずっとPCで作業していたので、まだブログを更新していないと言うことに気がつかなかった。

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昨日は午後友人と日本橋で待ち合わせをし、丸善でオーデンの詩集を買い、ハヤシライスを食べて山本山でお茶を飲む。茶器を少し見たり、家使いのお茶を買ったり。分かれたあと、また丸善に戻って本を物色し、諸星大二郎『闇の鶯』(講談社、2009)を買う。しかしなあ、最近諸星の中国物以外の作品はなんだかあんまり読む気がしないんだよなあ。それなら買わなきゃよさそうなものだが、やはり買ってしまうのはひょっとして面白いんじゃないかという期待をしてしまうからだ。どうしてそうなったのか。

闇の鶯 (KCデラックス)
諸星 大二郎
講談社

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なんと言うか、諸星の作品は昔は「知」優先的というか、他に描いている人が絶対いないような世界を描くために枠組をきちんと作らなければならない感じがあって、その感じが好きだったのだが、今のはどうも枠組よりも「感情」優先的なストーリーになっていて、どうもそのあたりについていけない感じがするのだ。感情優先の話は読みたくないかというと必ずしもそうでもないのだけど、どうも諸星のこの性質の作品は私には馴染めない。『西遊妖猿伝』などでも最近はその要素が増えてきているのではあるけど、中国ものなら読める。それは「中国ものという枠」がしっかりしているので、その中で自由に動いても気にならないからなんだと思う。でも、『西遊妖猿伝』も再版の際に昔の内容がかなり描き直されていて、私は昔の方がいい。

とぼやいても仕方がないのだが、帰りに夕食の買い物をして帰宅。

今朝は朝からぼんぼん不要なものをゴミ袋に詰めて捨てる。それこそ感情のまつわりついたものがたくさんあるのだが、そういうのをなるべく処分するようにした。指して広くないスペースの中でそういうものが空間を占めているのは、私の現在にとっても未来にとっても過去にとってもあまりよくない感じがする。まだまだ処分した方がいいものはたくさんあるんだけど、なかなか手をつけ切れていない。

オーデンの詩集を原書と翻訳とを照らし合わせて読んでいたら、訳者がかなりいじって原文を切り捨てたりしていることがわかった。詩の翻訳というのはいろいろやりにくいところが多いのだけど、忠実に、でも言い回しは自分の気に入るように訳していくと面白いと言うことに気づく。"Taller to-day"という言葉を中桐雅夫は「きょうは顔を上げて」と訳しているが、私は「きょうはもっと愉快に」と訳してみた。オーデンの言葉は、私の言葉に近い感じがする。

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