村上春樹『1Q84』Book2

Posted at 09/05/30

目の前に、カンパニュラの花が揺れている。この花の形は、私にホタルブクロ、という名前を思い出させる。ホタルブクロという植物が本当はどんな形をしているのか、私は思い出せない。しかし私の中のホタルブクロのイメージと、この花はみごとの呼応している。

私は昨夜、この花を花瓶にいけた。午前中に買ってきてずっと水あげをしておいた。深夜、自分の部屋に戻ってこの花を生けて、それから村上春樹『1Q84』Book2の続きを読んだ。夜の間には、最後まで読めなかった。2時に寝て、6時過ぎに起きた。そして本を読みながらモーニングページを書き、7時半に実家で父に愉気し、朝食を取り、母の話を聞いて、自室に戻り、そして続きを読み始め、読了した。読み終わったとき、私の左右の目からは涙が流れていた。


1Q84(2)
村上春樹
新潮社

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書くべきことが多すぎるが、順序だてて書くよりも、思いつくまま書いて、このくらいでいいとおもったところでやめようと思う。いずれにしても、いつもそのようにこの日記を書いている。書き足りないところもあれば書き過ぎのところもあるだろう。無理に変なことを書いたこともあるし、書くべきと感じたことを書かなかったこともある。しかし結果として、私のブログと呼ばれるこの日記は、このような形になっている。他の、書かれなかった日記は、ない。私は、この日記がこのように書かれた世界にしか生きていないし、ここで生きるしかない。

結論めいたことから言えば、…………そうそう、この記述は小説の内容に関わることをふんだんに書こうとしているので、昨日も書いた楊に近いうちにこの小説を読もうという人はあまり読まない方がいいかもしれない。村上は、この小説の内容を発売まで一切漏らさないという方針で臨んでいた。その理由は、今ではよくわかる気がする。つまり、この小説の内容には、非常に微妙なものが多く含まれている気がする。そして、この小説をたとえば途中で読むのをやめてしまったら、ものすごく多くのことが誤解されたまま終わってしまう。たとえば村上が何を言いたかったかとかそういうことが。私は読んでいて途中でそういうことに対する自分の考えが全然違う方向に行くのを感じていた。村上はこういうことと戦っているのか、こういう考えをもっているのか、と考えながら読んでいたことが、物語がお仕舞いの方に行くに連れて、全然見当違いであったことが判明していく。ある意味これは大変危うい小説だ。読者というものは、必ずしも真剣に小説を読まない。たとえば、中の一節を切り張りして自分の言いたいことを装飾するのに平気で使ったりする。もしそういうふうな使われ方をしたら、この小説は本当に村上の言いたいことの反対のことを補強するのに大変有効に使われかねない。

しかし、物語というものは作者が送り出してしまえば一人歩きをするものだ。そして村上がこの小説を2009年の今送り出したということは、このような形でこの小説を送り出してもいいと本能的に考えたからだろう。多分、それは正しいと私も思う。でも、日本の国内的にはけっこう難儀なことがあるかもしれないと思う。しかし、世界的に見れば、この小説は今書かれるべくして書かれた、本当に必要な小説なのだろうと思う。村上がイェルサレムでスピーチしたことは、多分直接には大きな影響を及ぼさないと思うけれども、今後、多分かなり長い間影響を保持する可能性があるような、そういうスピーチだ。あのスピーチとこの小説は、表面的には何のつながりもないが、おそらく相当深いところで繋がっている。もちろん一人の人間から出てくるものに何のつながりもないはずはないのだから、そんな思わせぶりなことを書いても何も言っていることにならないかもしれないのだけど。

これは村上のコミューン論であり、小説論であり、「愛」論である。小説論であり、純愛論であり、世界論である。村上という作家がなぜこんなに人気があるのか、私ははじめて認識した。村上は不可能になってしまったように思われていた「愛」を語る作家なのだ。今まで、愛という言葉を彼は使わなかった、ように思う。少なくとも私には印象に残っていない。しかし、村上の読者たちは、きっとそこに「愛」の姿を、表面的に出あれ象徴的にであれ示唆的にであれ直感的にであれ、見ていたに違いないと思う。私は村上の読者ではなく、鑑賞者として読んでいた。そこに何を見出そうと読むものの勝手だと思って読んで来た。この小説では、村上はストレートに愛について語っている。しかし、考えてみれば『ねじまき鳥クロニクル』も「愛」についての小説だったのだ。今そのことが明瞭に、あまりにも明瞭に認識される。どうしてそのことに気がつかなかったのか不思議なくらいに。

『ねじまき鳥クロニクル』が、少し遅れて第三部が書かれたように、この『1Q84』もBook3が書かれるのかも知れない。書かれないかも知れない。でも書かれるといいなと思う。この物語の「先」を読みたい。「先」は未来に向かって開かれている。それこそが村上のメッセージであるとするならば、この小説はこれで終わりなのかもしれない。「先」が書かれると、何かが閉じてしまうのかもしれない。『ねじまき鳥』では、行われるべき戦いが第二部までには行われず、第三部ではじめて書かれた。『1Q84』では行われるべき戦いはすでに終わっているのかもしれない。少なくとも、「ワタヤ・ノボル」との戦いよりは建設的な戦いがすでに行われている。しかし出会うべき人は、十分に出会っているとはいえない。いえない、と私は思う。作者が思うかどうかはわからない。

木曜日の午前中に買って、今、土曜日の9時47分。もう読み終わって30分くらいは経っている。今までだったら、もう少し余韻に浸っている時間なのだが、もう多分私には、そんなにゆっくりしている時間はない。何かを書いて、何かの行動をはじめなければならない。昨日は結局35ページのメモを取り、今朝は6ページのメモを取った。でも今書いていることは、ほとんどメモに取った内容とは違う。全体的なことは部分的なメモから再構成することはできない。全体的なことは部分的なこととは別に心の底に形成され、浮上したりしなかったりする。こうして書くことで、そのうちの一部は浮上してくる。しかし、多分大部分はまだ海の底で海鼠のように眠っている。そしてそのうち、私は寡黙になってしまうだろう。

私が数年前に書いた何篇かの短篇小説の、そのモチーフとほとんど違わないものがいくつもこの小説の中に出てきて驚いた。友人に見せたその小説は酷評を受け、そのまましまいこんでしまったが、そういうものは本当にわかる人にしか見せるべきでないということは学んだ。しかし誰にそれがわかるのだろう?ここに書かれているものは同じモチーフでももちろん徹頭徹尾村上の作品で、村上のレシーヴァ―としての性能のよさが存分に発揮されている。私はパッシヴァーであってもレシーヴァ―としての技量が不足していたのだ。私の中でその二つが両立するものであるのかすら今でもよくわからない。作品は、技能的に書かれなければならない。「わけのわからないもの」が明確に提示されるには、それなりの条件が必要だ。ただわけがわからないだけでは、人はただそれを拒絶するだけなのは当然なのだろう。

私は多分かなりパッシヴァーで、でもそれは何についてでもというわけではないから、変なものをいろいろとすぐ背負い込んでしまう。猫の町に行ったらお払いが必要なのかもしれない。それが何を意味するのかはよくわからないが。

少々、つまらないことを書いてしまったな。部分的な感想は、多分これからしばらくの間、フラッシュバック的に言及するかもしれない。あるいはしないかもしれない。今までだったらしただろう。今の自分がするかどうかはわからない。

この作品は、村上の最高傑作であるかどうかは、まだわからない。ただ、自分にとっては、私という人間にとっては、いちばん身近な感じのする作品だったことは間違いない。いろいろな意味で。『ねじまき鳥』で語られた暴力は抽象的だったが、今回はかなり具体的な形をとって現れた。強姦とか手錠プレイとか拳銃とか。『海辺のカフカ』で語られたこの世ならぬ風景も、もっと現世的に、永遠の瞬間として描かれた。少女や若い女性がある種の通路としてたち現れる、つまり巫女的なものとしてたち現れる様子は、加納クレタやふかえりや、そういう女性の存在があることはあって、それはいわばこの世界のルールなのかもしれない。青豆という非常に能動的な女性像を、今まで村上の小説で読んだことがあっただろうか。私は熱心な読者ではないので、見逃しているだけかもしれない。この小説には、今までの村上の作品や、村上が翻訳したアメリカの作家たちの作品世界、ないしは村上が創出した翻訳世界や、現存する、あるいは過去の偉大な作家たちの作家世界や、また私の者をも含めた多くの人の中に存在する――そしておそらくは「井戸」で通じている――集合的無意識のようなものや、多くが流れ込んで複雑な渦を作っている。存在した歴史、存在しなかった歴史も。「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない。」この言葉が発せられたとき、私はたとえようもない救いを感じて、涙が出てきた。それをそのように感じるのは、私だけなのかそうでないのかはわからない。

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