安宅と勧進帳/村上スピーチ再論/有明の月

Posted at 09/02/19

謡曲『安宅』読了。なるほど歌舞伎の『勧進帳』とは富樫の位置付けがまったく違う。歌舞伎では富樫は基本的に自分のハラ一つですべてを飲み込んだ上で一行を通してやる「いいヤツ」なのだが、能では弁慶たちの迫力に押されて一行を通してしまう情けないヤツで、しかも通した後でお詫びだといって酒を飲ませて召し取ろうとするこすいヤツでもある。能の方が義経主従の危難が浮かび上がって悲劇性が高まるが、歌舞伎は富樫の役者にかなり大きな花を持たせる演出なのだ。義経の位置付けも違う。能は子方でそう重要性がないわけだが、歌舞伎の場合はかなり重要な役者が演じる格の高い役だ。まあスター総出演的な、華やかな大衆性を持った演出にしたのが歌舞伎の『勧進帳』の成功のもとだろうし、富樫の「武士の情け」、義経の貴種の魅力というものを称揚しわかりやすく描く幕末明治以来の新しい価値観が現れているということなんだろうと思う。作能された時代には「武士の情け」という平和な江戸時代ならではの価値観はなかったんじゃないかなと思った。比べてみるのも面白い。

安宅 (対訳でたのしむ)
竹本 幹夫
檜書店

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村上のイェルサレム賞のスピーチ、Googleで「村上 スピーチ」で検索すると膨大に出てきて、久々にホットな話題という感じだ。このスピーチに対する賛否には私はあまり関心がないのだけど、これをどう受け取るべきかということには関心がある。しかしそのためにはまず全文を読まなくては、と思っていたら>原文にアクセスすることができた。読み終わった後、試訳もアップされているのに気づいて読んでみたが、私が読んだ限りでは大きな問題はないと思った。

まとめてみた印象。(mixiでの議論より)

「人間は自分たちの作ったTHE SYSTEMに疎外されている。その疎外のもっとも端的に現れたのがシステムの最たるものである国家によって行われる戦争であり、ガザ攻撃である。我々は疎外を克服し、人間を解放しなければならない。

といういわば「あたりまえ」のこと、ある種の「公式」を発言しているに過ぎないとも取れる。

そう考えると、この「公式」を発言しにわざわざイェルサレムに出かけていったということは意味のあることだろうかと思えてしまう。イスラエルのインテリならば、この程度の、マルクスの疎外論の初歩のようなことは言われなくてもわかっていることだろう。

そしてこの疎外論の正当性はともかく、有効性についてどれだけの人が現在、信頼を置いているだろうか。

このスピーチはうーん、青いというか「純粋まっすぐ君」過ぎるような気がしてしまうんだけどどうでしょう。聞いた人たちも「まあそれはそれで正しいと思うし言いたいこともわかるけど、それで?」と思って終わりになってしまうのではないか。」

***

村上春樹は、「敵」あるいは「権力者」を「怪物」化し過ぎるのだと思う。『ねじまき鳥』にしても、『海辺のカフカ』にしても、権力者は正体不明の「敵」としてたち現われ、そこに人間的な息遣いがない。敵味方が明確な構造になっている。逆にそれが不明確な『スプートニクの恋人』などはやや巧く書けていない印象を受ける。村上にとって味方は常に卵であり、壁は常に敵なのだ。

村上は普通考えられているよりずっと超現実主義的な作家なんだろう。日常レベルから立ち上がっているように思われる印象の作品も、実際にはその設定はかなりシュールであることがだんだんわかってくることが多い。歴史的な事実めかした記述もずいぶん捻じ曲げられている。手の入りすぎたいけばなの枝のように。確かに彼の言うように小説家は嘘をつくのが仕事だから、それはそれでいいのだが。

しかしあまりにその対立構造がシンプルなために、私などは読んでいて不満を、あるいは違和感を覚える。イシグロなどは一見社会正義について書いているようで、実はそんなに単純な構造にはしていない。村上はシュールだからわかりにくいけれども、構造は単純なのだ。

ダリが、好きなものと嫌いなものを書いている記述があった。それは、「好きなもの―ヨーロッパ、嫌いなもの―アジア」とか、あっけに取られるほど単純なのだ。最終的にこうした善悪(好悪)二元論に還元されてしまう構造は、村上のものとどこか共通する。

確かにこの世界は、危険に満ちた世界だ。その世界を描くためには、この世界には「敵」がいる、ということを明確に指し示さなければならないかもしれない。ファンタジックであればあるほどそのことは書きやすいかもしれない。

しかし、「システム」が「敵」だ、といったところで一体何の意味があるのだろう。村上が父の毎朝の仏事について触れたくだりを読んで感動したという人が多いようだが、彼が本当には何を感じてそれをやっていたのかは、もはや誰にもわからない。村上が解釈していたようにではないかもしれない、というふうにも思う。システムに我々を支配させてはならない、我々がシステムを支配しなければならないのだ、という主張には大いに賛成だ。しかしシステムを「敵」と規定して、そのようなコントロールが可能なんだろうか?

二宮尊徳はこう言っている。「道徳のない経済は犯罪だ。だが、経済のない道徳は寝言に過ぎない。」村上のコメントには、問題提起のみがあって、解決策への道筋がない、ように私には思える。

なんとなく、高橋しん『最終兵器彼女』を思い出した。敵は誰だかわからない巨大なグロテスクなもの。個人はその中で精いっぱい生きつつ死んでいく。そして個人に決まった名はない。主人公たちにはファーストネームはあるが、苗字は与えられていないのだ。

作家は別に処方箋を指し示す必要はない、といってしまえばそれまでだ。しかし処方箋を書こうと悪戦苦闘している人たちを見下したり非難したりするのはやめた方がいい。村上がそういうことをしているというわけではないが、少なくともそうしようとしている人たちに対する共感的同情というものをあんまり感じられないのだなあ。イスラエルの人たちだってハマスのロケット攻撃には憤慨してガザ攻撃を支持してはいるものの、人道にもとる行為が行われていることを全面的に肯定して構わないと心の底から思っている人たちはそんなに多くないと思う。

権力は壁、個人は卵。権力者だってある点で個人なのだから、彼ら自身もまた卵なのだ。卵たちによって権力という巨大な壁が運営されている。彼のメタファーは本当はそこまでの射程を持つはずなのだが、彼自身がそうした掘り下げには興味がないようだ。そのあたりに、私自身としては物足りなさを感じてしまうのだ。

とくに、このスピーチがイェルサレムで、イスラエル人たちに向けて行われたということの意味が、私にはどうもよくわからないのだ。イスラエル国家がそこにあるということは、システムとか何だとか言うよりも、ユダヤ人たちの生存への意志そのものだと思う。そういう人たちに向かって、こうした一般論を言うことにどれだけの意味があるのか。コメント欄でshaktiさんが司馬遼太郎が実存主義だとしたら村上春樹は構造主義だ、という言葉を借りるとしたら、村上はある種の歴史を捨象した構造主義者なのかもしれない。歴史そのものがアイデンティティである国家では、歴史を捨象した一般論よりも、メッセージが届く方法があったのではないかという気がする。少なくとも、受賞ボイコットの方がイスラエル市民に対してはよりメッセージ性が強かったような気がする。

しかしまあ、ボイコットでは何の言葉も残らない。このスピーチがいまは届かなくても、イスラエル市民には届かなくても、少なくとも日本でこれだけ多くのコメント欲を煽っているということはまったく無意味なことではないことは確かだ。

でもそれが村上の望んだものだとも思えない。いや本当は村上は何も望んではおらず、ただ自分が正しいと思ったように行動しただけなのかもしれない。それならば構造主義者というより実存主義者になるけれども。最も酷い言い方をしたら究極の自己満足ということになる。しかしいずれにしても少なくとも日本では大変影響力を持つ人であることはよくわかった。

***

『能・狂言の基礎知識』123/285ページ。名前だけ聞いたことのある曲が、ああこう言う内容なのかと一つずつわかっていくのは面白い。『古田織部』203/294ページ。

今日はどうも体調が悪いと思っていたら、午後二時の気温が1.2度。要するに寒いのだ、ということがわかって少し安心。今日は朝から寒かった。午前中、10時頃出かけて隣隣町でメキシコ製のガラスの花瓶を買う。といえば仰々しいが490円。そのあと湖に出て湖面を眺める。少し風があるのか、水面がきらきらしてきれいだった。綿半に出て花を買う。本当は百合を買うつもりだったのだが、いいのがなかったのでチューリップを買った。店頭で桜餅の鯛焼きというのを売っていたので買ってみたら中身がチーズ。だったよ、といいにいったらすみませんと言って無料で桜餅もくれた。ラッキーだったのか?しかし鯛焼き二個はちょっと食べ過ぎだった。

帰って桜をメキシコ製に生けなおし、黒の水盤にチューリップをいけた。

***

朝、6時過ぎに雑誌の束を四つ、資源物回収に出す。その帰りに空を見上げたら有明の月が残っていた。今日は旧暦では25日頃。三日月の反対の鎌の形。崖に並んだ石仏が月に祈りを捧げているように見えて、心が震えた。

   有明の月を見てゐる仏達

私たちの祖先の祈りが、いまも私たちを守っている。


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