一日本を読む/「政権投げ出し」に思う

Posted at 08/09/02

昨日。朝からおおむね本を読んでいた。塩野七生『ローマ人の物語』32巻読了、現在33巻の40/166ページ。ついに軍人皇帝時代に突入。このあたりの話、あまり知らないので興味はあるのだが、読んでいてあまりパッとする話でもない。日本の戦国時代の話と同じで、足利将軍家や関東管領の話を読もうと思っても、あまり面白くないので地方の戦国大名の方に話がシフトしてしまうのと本質はよく似ている。戦国大名に当たる勢力があるわけではないから話を持たせること自体が大変だと思う。

堀田善衛『ミシェル 城館の人』は第二部、210/494ページ。1572年8月24日に起こった聖バルテルミーの大虐殺についての記述が延々と続く。この記述によれば主犯はカトリーヌ・ド・メディシスとアンジュー公アンリ、実行犯がギュイーズ公アンリをはじめパリの市政体、パリの民衆その他ということになるが、そう言い切っていいのかどうかはよく分からない、というのは、堀田がどの本を底本にしてこの記述をしているのかがよく分からないからだ。しかし最大公約数的にいってこの記述どおりに世間で考えられただろうなあとは思う。私の読んだこの時代の記述ではここまでカトリーヌ主犯説をはっきり言い切ったものはなかった気がする。

しかし、その陰謀を企んだのが彼女であったとしても、これだけ規模が拡大し、虐殺と言われるほどにプロテスタント殺戮が行われたのはパリの市政体や民衆の反プロテスタント感情がそれだけ強かったからというしかないだろう。またそうしたストレスが高まったとはいえこういう行動が起こってしまうということに、パリという都市のある種の特殊性があるのか、フランスという国のせいか、あるいは人類の業というべきか、などということも考えさせられる。虐殺は地方にも飛び火し、オルレアンで500人、ボルドーでも344人が犠牲になっているという。これが全土に及び、また期間的にも1572年いっぱい続いた出来事であるということは正直認識していなかった。堀田の引用するミシュレーの記述によってそのあたりははじめて認識した。

この大きな事件について、実はモンテーニュは全く言及していないのだという。しかし、寛容や信仰の危険性についてはかなり強いことばで述べているということで、あまり生々しいことは書くのを避けたということなのだろう。そうした時代に生きた思考の人がどのような考えでこれから記述に臨んでいくのか、そのあたりも興味はある。

エセー〈1〉

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午後神田に出かけ、何軒か本屋をはしごした後、書泉グランデでモンテーニュ『エセー』第1巻を買った。7巻物で、今3巻まで出ているようだ。こうしたスローペースの著作を買うのも楽しいものだと思う。帰りにかげろう文庫に出ていた有元利夫を特集した芸術新潮を買う。ガイアプロジェクトであんぱんを買って帰る。

本を読み疲れて早く寝た。朝起きていろいろやってからミクシイにアクセスしたらいきなり福田首相辞意表明の記事が出て驚いた。ちょうど6時だったのでテレビをつける。本当だということはわかった。

いろいろ見たり聞いたりしていると、みな任期途中での「政権投げ出し」ということに腹を立てているらしい。私は去年の安倍首相の辞任には衝撃を受けたが、それは途中辞任ということではなく、安倍首相に期待していたからショックを受けたので、今回の辞任に関しては特に何も感想はない。というか、だいたい首相というものは決まった任期はないんだから、ある意味みんな中途辞任なのではないか。少なくとも党総裁任期切れとか、総選挙に敗北するとか、あるいは死去するとか以外はみな途中辞任だ。今回みな憤っているのは簡単に言えば辞めると思っていなかったからだろう。日本の総理大臣は権限の割には中途辞任が多く、それが政策遂行上の難点であるのは確かで、高度成長期の池田・佐藤などは長期政権だった。現在のような困難の多い時期に長期政権は難しく、また小泉のような長期政権になるとその政策によってある種の傾向が固定化してしまうという逆の難点もある。

福田首相の辞任理由はよく分からない。あまりに親中的で、またロシアに対してもほとんど無反応であることがアメリカの忌避を買ったという説はないことはないだろう。これで麻生政権に反対するのは野中広務くらいのものになるだろうが、野中にしても去年の総裁選では表に出て来なかったし、今になって何を騒いでいるのかということになると、背後に中国の影を感じなくもない。米中露のパワーゲームの影が日本の政局を左右しているのだろうということになると、まじめに考えるだけ馬鹿馬鹿しいのだが、こうしたぐちゃぐちゃの状況の中で何がどうなるかは見えてこない。

現代の日本人はまじめで責任感が強い人が多いので、とにかくとちゅうで「投げ出す」ということに拒否感があるんだなということは今回わりとへえええと思ったことの一つ。国政の舵取りというのは雇われて働くというのとは違うし、何かの筋書きもなくはないと思うのだけど、でもそういうところで総すかんを食うんだなということは勉強になった。というか、鈴木善幸も政権を投げ出した覚えがあるんだが、あの頃もこんなに叩かれたかなあと思う。その頃はそんなに関心がなかっただけだろうか。でも細川護煕が政権を投げ出したときはこりゃあだめだなとは思ったな。それを考えると、人によって私が持つイメージが違って来ているということになる。それはどういうところなのだろう。

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