ソフトと野球/老荘的統一

Posted at 08/08/22

昨日。午後から夜にかけて仕事。かなり忙しかった。帰宅後、ソフトボールが優勝したことを知る。しかも上野が完投。すごいことだ。今朝、BSで再放送をやっているのをつい最初から最後まで見てしまった。一方野球は韓国に敗戦。これで優勝はなくなった。いろいろ理由はあろうが、勝てなかったという事実は残念。

淮南子の思想―老荘的世界 (講談社学術文庫)
金谷 治
講談社

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『淮南子の思想』読了。「老荘思想」を老子の思想と荘子の思想に分け、荘子を「対立に満ちた世俗の束縛を離れて自由な観念の世界に憩い遊ぼうとする精神主義の立場」と見、老子を「激しい現実的な欲求、世俗的な成功主義のひびきを聞く」ことができる、無為をとくのは万能を求めるためであり、無私になるのはよく私を成し遂げるためだとする。そして荘子の理想を「真人」、老子の理想を「聖人」であるとし、その立場を統一的に表現したのが淮南子の思想である、としている。

これはほぼ、現行の老荘思想の理解に等しいように思う。老子の立場というものは基本的に私にはよく分らないのだが、無為自然を自己実現の手段とするのが老子、それ自身に遊ぶ目標とするのが荘子、ということになろうか。いずれにしてもこうした立場は武帝の時代に董仲舒によって確立された官学としての儒学の立場に対抗するもので、淮南王の没落とともに衰えたという指摘はなるほどと思う。魏晋期の本格的な清風、老荘・道教思想の発展の基盤を作ったのが淮南子であったという解釈である。

しかし一方で古来の神仙思想から登仙の思想、つまり自ら修行によって仙人になることを目指す思想が現れたのは武帝の時代だという。それは淮南王の宮廷に集まり、その後四散した方士たちの活動の結果であり、荘子の「真人」の思想に神仙思想が結びついて発展したという解釈であり、これはなるほどと思った。その後こうした道教的な思想は仏教と結びついて漢末から大衆的な道教に発展していくが、そうした動きとも大きく関わるということなのだと思う。

また今回読んでみて感銘を受けたのは、それぞれ独立性が高いと思っていた諸子百家の各思想が、じつはかなり影響しあい、また漢代になってからその大統一を図ろうという傾向が現れたという指摘で、淮南子はその老荘の立場からの統一の試みで、儒学の立場からの画一化に対抗するものだったという指摘である。諸子百家の時代は諸子百家という一つの思想的宇宙を全体的に構成していたのだということを改めて考えた。

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