靖国神社に参拝した/八月十五日は日本柔道終戦の日にはならなかった/平安美人と縄文美人

Posted at 08/08/16

昨日は1945年に日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏することを国民に知らせた日で、それから63年になる。私が生まれたのが終戦から17年後だったから、私が生きてきた時代の変化の方が、既にずっと大きくなっているのだろうと思う。昨日は本当は朝早いうちに靖国神社に出かけるつもりだったのだが、体調が今ひとつ万全でなく、午後に回すことにして午前中はゆっくり休んだ。14日は本当に忙しかったから。

4時前になって日もだいぶ傾きかけてきたので出かけることにした。2005年の、終戦60周年の記念日から毎年参拝に出かけている。あの年は、酷い雨だった。日本の現状を英霊たちが嘆いているのだろうという話があちこちで出ていた。2006年は小泉首相がついに15日に参拝し、ものすごい人出だった。2007年は安倍首相が参拝を回避したためにいまいち盛り上がりには欠けていた。この三年間は、私も黒の上下で黒いネクタイをして出かけた。昨日はそれだけの気合を入れるよりもまず参拝することが大事だということで、比較的ラフな格好で出かける。九段下に着くと、思ったよりずっとたくさんの人たちが構内にいて、エスカレーターで外に出るとまたずいぶんたくさんの人たちが神社に向かい、また参拝を終えて帰ってきていた。法輪功やチベット人権団体をはじめ、反中国共産党団体が盛んに情宣活動をしている。東トルキスタンの人たちは見かけなかった。いわゆる右翼の人々はあまり見かけなかったし、街宣車もほとんど見かけなかった。ある意味靖国の八月十五日も様変わりしつつある。

例年は午前中のそれも早い時間に出かけることが多かったので気づかなかったが、夕方になるとあの大鳥居が大きな影を投げかけて、灼熱の八月の靖国に優しい日陰を作ってくれている。参道右側の森のおかげで照り返しの強い参道を歩くのもだいぶ楽だ。大村益次郎像を過ぎると、例年はテントを張って遺族会の大会をやっているのだが、昨日のその時間はもう撤去されつつあった。いつもと違う風景を見た感じ。しかし、参拝客の多くは若者たち、また若い夫婦たちで、子ども連れも多かった。午前中は平均年齢が高い感じがするが、午後はリラックスした気負いのない世代がニュートラルな気持ちで普通に戦死者の霊を慰めに来ているのだろう。英霊たちもまた、そうした政治色のない多くの若者が参拝に来てくれることを喜んでいるのではないかと思う。

本殿前の行列はそんなに長くなく、三人目ぐらいに参拝できた。毎年同じことを祈る。霊やすからんことと、これからの日本を見守っていただきたいと言うこと。死して護国の鬼となる、ということばの通り、もちろん生きている者が守るのが第一にしても、この悠久の歴史をになってきた祖先たちの一人一人として、生きている我々とともにその精神あるいは霊の力で日本を支えて行っていただきたいとお祈りしたのだ。神社に参拝する際はいつもそうだが、参拝を終えて本殿を背にすると、すごく力がわきあがるのを感じる。参拝によって英霊たちもまた力を得、参拝者たちにも力を貸してくれるように思う。やはり日本人は神社に参拝することで得ているものは多いはずだ。いまだになお日本は神の国であり、神社に鎮まれる神々が国土を、日本人を、支えているのだと思う。日本政府も素直にそうした力を借りてもらいたいものだと思う。

昨日は南門が閉まっていて、神門まで行ってから靖国通りに出、南門前まで戻って「ゴンドラ」でケーキを買って帰った。

報道では、靖国熱が冷めている、という感じのものが多く、また実際北京五輪で戦争関係の番組が極端に少なくなっている。とくにNHKが度を外れた五輪シフトで例年の変な反戦番組が減ったのは怪我の功名だがいいことだ。しかし、靖国のことなどを真剣に考える報道もまた全然なく、残念な面もある。しかし、このことに関しては、私は基本的にはよい方向に向かっていると楽観している。靖国はブームとかそういう問題ではなく、もっと長いスパンでの精神的な問題なのであって、戦争と関わりがなかった世代が日本の将来のこと、過去のことを考えるきっかけとして靖国に関心を持ち、参拝してくれることが大事だと思う。靖国『問題』として騒いでいる世代の人々は、賛成派も反対派も実は実際には参拝したことがない、という人がかなり多い気がする。右も左も、まずは参拝してみたらどうかといつも思う。また、靖国はそのときそのときによってかなり違う雰囲気を持つのだ。10回くらいは参拝してからいろいろものを言うようにすればいいと私は思う。

***

帰って五輪番組をいくつか見る。五輪というのは麻薬のような物で、一つ見終わると別の競技が始まり、それを見てしまうと、物を考える時間もなく次々と五輪漬けにされていくというまさに一億総白痴化現象の元凶なのだが、国営もとい公共放送が率先してこれだから仕方がない。毎年真夏のコンテンツは見る気にもならない反戦物という定番が覆されていくのはよいことなのだが。しかしグルジア問題や東トルキスタン問題など、重要な問題が陰に隠れていくことはあまりよいことではない。そのあたり、民放の方がまだ頑張っている。NHKもそろそろスポーツ酔いの状態から目覚めた方がよいのではないかと思う。

とはいっても、やはり五輪で日本選手の活躍を見るのは心躍るものだ。要はバランスの問題なのだが。昨日はなんといっても柔道最重量級の石井、塚田の活躍が期待されたが、これまでの日本柔道の状態を見ているとついに八月十五日が日本柔道終戦の日か、と思わされるような状態だった。考えて見たら八月十五日というのは日本にとってすごい厄日なのだ。

塚田はその波に飲まれたか、中国選手にまさかの敗退。しかし石井は見事旧ソ連圏の選手に勝ち、日本柔道は崖っぷちで踏みとどまった感がある。しかし解説の篠原も言っていたが、石井は口を開かない方がいい感じだ。八月十五日に北京で日の丸が一番高いところに掲揚され、君が代が吹奏されるというのはやはりしみじみと心が安らぐ感じがする。ラマルセイエーズとか東方紅のような好戦的な国歌の方がいいという人もあろうが、やはり表彰式でまで血をたぎらせるのは日本人の感性には合わない。感無量で涙を流す日本選手を見ていると、君が代はいい国歌だなあと思う。それにしても石井、国士舘なんだしきょろきょろしてないでちゃんと君が代を歌えよ、と言いたい。

しかし、日本選手の金メダルのうち、アテネとの連覇でないのは石井が初めてだ。良くも悪くも新しい世代なのだろう。今後も先輩たちにおおいに叱られつつ、力を伸ばして行って頂きたい。

逆にソフトボールは7-0、コールドゲームでアメリカに完敗。ミッドウェー海戦じゃあるまいし、捲土重来を期してもらいたい。日本は上野を温存しているので、まだまだ勝機はあるだろう。次回対戦でのリベンジを期待する。

野球はオランダに6対0、中盤から終盤はもたもたした感じだったが不安定だった川上も投げたし、前半戦を2勝1敗で乗り切った。今日の韓国戦をきちんと抑えて、さらに弾みをつけてもらいたい。

日本ではほとんど報道されなかったが、中国が台湾に、キューバがアメリカにいずれもタイブレークで勝った。特に中国が、台湾に勝つまでに強くなっているというのは驚きだ。テレビで見て知ったのだが、中国の監督は70年代後半にロッテでプレーしていたあのラフィーバーなのだ。大リーグ機構は中国での野球市場開拓にかなり力をいれていて、ラフィーバーもその線で派遣されたらしい。アメリカは数字に弱いから、13億人という市場規模を聞いただけで単純に市場開拓に力をいれてしまうのだろう。しかしそれがそれなりに順調に成果をあげているとはいえる。またタイブレーク制は、弱い側が勝つチャンスをより大きくする効果があるということがよく分かった。ランナーを出さないことが守備の基本だが、ランナーが二人出ている時点からプレーをスタートするタイブレーク制は、どちらに転ぶか分からない恐さを持っている。日本チームも心して臨んでもらいたいと思う。

ところでラフィーバーといえば器用な選手で有名で、スイッチヒッターだったが、日本でも同じ試合で右打席と左打席でホームランを打っている。打たれたのはあの東尾修だ。彼はアメリカでもそれをやっている。途上国の野球指導には、そういう器用な選手がわりと向いているのかもしれない。

個人的には、昨日見た五輪の放送で一番よかったのは女子卓球だった。対オーストリア戦で福原が中国出身選手を破った後、二試合目に登場したのが平野早矢香。彼女は甲野善紀の指導を受けているということで以前から名は知ってはいたが、国内では福原の偏重報道のせいでほとんど試合を見る機会がなかった。いや、本題からは大きく外れるが、平野というのは見れば見るほど私のタイプだ。平野早矢香萌えだ。ああいう肩に力が入ったタイプがどうも私の好みなのだ。もっともっとテレビに出てもらいたいと思ったが、昨日はシングルスだけでなくダブルスも見られたし、とてもよかった。福岡も宇宙人みたいな感じで素敵だったがやはり平野だ。個人的には軍配は明らかなのだが、なぜみんな福原ばかり騒ぐのだろう。やはり日本人はああいう平安美人みたいなタイプが好きなのか。平野もきれいだしかっこいいと思うが、どちらかというと縄文美人という感じだ。東日本系の人はどちらかというと平野タイプの方が好きの人のほうが多いのではないかという気がするのだが、そうでもないのか。幼少のときから注目されている福原にある種のオーラはあるけれども、競技者としての魅力はそういう点だけではないだろう。女性としての魅力でも私は平野タイプの方に軍配を上げるが、まあここは頑張ってもらって平野の勝利で銅メダルが決まれば彼女ももっと注目されるだろう。縄文美人萌えだ。がんばってもらいたい。

自分を表現する小道具というのはいろいろあるけれども、ウェブというのも明らかにその一つだ。ブログは便利なので2005年以来使い続けているけれども、どうも自分のやりたいことを表現するという上ではかなり限定されたメディアではないかという感じが強くなってきた。そろそろhtmlを見直す時期なのではないかなあという気もする。ブログはただ文章を綴るだけで即アップできるメリットは大きいが、微妙な表現には向いていない気がする。もう少し色々考えてみたいと思う。

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