生けるもの/心をすさませてはならない/芭蕉の境地

Posted at 08/07/25

昨日。いつもより早めに仕事が始まり、だいぶ忙しかった。今もちょっと疲れが残っている。夏のペースに乗るまでが少し大変かもしれない。しかしとりあえずは今日あした。何とか頑張りたい。

朝歩いていると、みみずがいくつもアスファルトの上にうごめいている。死んでしまったのもいる。最近、道を歩いていてみみずの死骸をよく見るようになった。どういうことなのかよく分らないのだが、夜のうちに地面からはいずりだしてきてアスファルトの上で涼んでいたみみずが、朝日が強力にあたって強烈に熱くなり、干からびたりして帰れなくなったのかなあと思うのだが、実際にはどういう理由なんだろう。

ごみを捨てにでた帰りに崖の斜面に咲いているオレンジ色の山百合を見ていたら、やはりオレンジ色の模様を持つ黒い蝶が山百合の周りをひらひらと飛び回っていた。

   生けるもの、死に行くものも生けるもの

自詠。

鍵山秀三郎語録―続けると身につく (活学叢書)

致知出版社

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『鍵山秀三郎語録』。現在126/163ページ。実践の書。感銘を受けるところはたくさんがるが、要領よくまとめて紹介するというようなことは出来ない。一つ印象に残っていることを書くと、もともと一品種大量販売でスーパーのインストア展開を中心にしていた彼の会社の経営方針を、卑屈な営業活動をすることによって社員の心がすさむことを嫌って全面的に方向転換し、多品種少量販売の独立店舗展開に変えたということ。こういう思い切った経営方針の転換をやる動機が「社員の心がすさんできたから」という理由でやってのけるところが凄い。でもその大切さはよく分るなあ。仕事をする人たちの心がすさむような仕事の仕方をさせたらいけないんだ。経営ということは、そういうことに心を配るべきことなのかもしれないなと思う。

芭蕉俳句集 (岩波文庫)
松尾 芭蕉,中村 俊定
岩波書店

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『芭蕉俳句集』。現在280/502ページ。元禄六年のところまで読み終わった。芭蕉は元禄七年に他界しているので、最後の年の手前まで読んだことになる。元禄七年の句はあの辞世の句「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」を事実上の最後の句として307ページで終わっているのだが、そのあとに元禄年間の年次不詳の句、全体を通して年次不詳の句、存疑の部・誤伝の部と続いて補注、引用、解説等々と続く。資料的な意味が強い。だから年次不詳の句が終わる322ページで一区切りとするべきかもしれない。

貞享の終わりから元禄二年にかけて、つまり「のざらし紀行」から「おくのほそ道」にかけての時期の句は、ストレートにがつんと来てやられた、と思うような句が多いのだが、元禄六年になるとなかなかぴんと来ないような句が多い。芭蕉の力が衰えたのかなと思ったのだが、読んでいるうちに実はこの頃はワンランク上の境地に達したのではないかという気がしてきた。しかし、どうも今の自分にはぴんと来ない。そういえば文学史でも、わびさびの境地から晩年の芭蕉は「かるみ」の境地に達したというのを読んだ覚えがある。かるみといわれてもあまりぴんとは来ないが、もう少しこの時期の句を読んでみようと思う。

   夕顔や酔うてかほ出す窓の穴
   高水に星も旅寝や岩の上
   振売の雁あはれ也ゑびす講

こうして書いてみると、確かに「かるみ」、ほのかなユーモアが漂っている。人事と生けるものがともにこの世に生きているという真実の並行性というか、共感性というか深い意味で感じたままに詠んでいるという感じがある。句としては何気ないのだが、その境地はやはり高いなあと思う。

日記を書いていると爽やかな風が入ってきて、レースのカーテンを大きく膨らませた。午前中はまだ過ごしやすい。午後になると、この部屋も暑くなってくる。今日はよく晴れて陽射しが強い。今日も仕事は早めに始まる。ばてないように心がけなくては。

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