誇りある沖縄へ/芭蕉俳句集/国民よ、わが屍を越えて行け

Posted at 08/07/13

昨日。昼から夕方にかけて仕事。比較的暇かな・・・と思っていたら終わる直前にばたばたといくつも仕事が入ってちょっと焦った。しかしありがたいこと。もっともっと仕事が増えてくれないと困る。

6時59分の特急で上京。車中でも、『鈴木貫太郎自伝』を読む。帰着後、なんとなく遅くまで起きていたら、仕事のメールがさらに一本入っていたのに気がついた。

今朝は起きてからこまごま家事をしたり、mixiで拉致問題のことについてコメントを書いたり。なんだか長大になってしまった、人の日記のコメント欄に。モーニングページは書いたが仕事の電話やらをしていたせいでどうもいつもの日曜日のペースが出ず、東京での活動モードに上手く移行できなかった。

昼前に出かける。『谷川俊太郎詩集』を東京でも借りようかとネットで調べたら近場の図書館にないことが分かり、出鼻をくじかれる。考えを変えて神田に行くことにする。新御茶ノ水で降りてガイアに寄り、パン類を二つとカレーのレトルトを買う。

誇りある沖縄へ (Clickシリーズ)

小学館

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それから三省堂にいき、何を読むか考えるが、結局考えた結果、小林よしのり企画・編著『誇りある沖縄へ』(小学館、2008)を買う。沖縄の人たちとの対談本で、一方的な沖縄マスコミの報道からは見えてこない、沖縄の普通の人たちの声、考え方などについての本。まだ28/236ページ。このあたりは先日『正論』に転載されていた内容を立ち読みした部分からまだ出ていないので、あらたなことはない。

しかしそれだけだとどうも物足りないので、詩集を探すことにする。東京堂の詩のコーナーに行ったら結構あった。岡井隆の詩集も読んで見るが、値段と読みたさの関係がどうも不釣合いなので買わず。しかし私が利用可能な貸し出しできる図書館には置いてないなあ。もう少し待つ必要がありそうだ。

芭蕉俳句集 (岩波文庫)
松尾 芭蕉,中村 俊定
岩波書店

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で、そうかと思い、結局『芭蕉俳句集』(岩波文庫、1970)を買った。最初は『のざらし紀行』を買おうと思ったのだが、どうも立ち読みすると地の文でなく句を読めば十分かなという気がしたので、句集にしたのだ。しかし最初から読んで見ると、年代順になっているので、最初の方はどうも面白くない。彼の貞門の時代、談林の時代というのはやはり今日から見ればそう評価出来る時代ではないのだなと思った。

30代後半になるとようやくおっと思う句が出てくる。しかし字あまりが多いんだな。でもこの時代はそんなに定型に厳密ではなかったということなんだろうか。

芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉

これなんか初句8字だ。でもネットで調べると名句だとされている。いい句だと思うんだけど字余りが。あれ、五七五になった。

氷苦く偃鼠が喉をうるほせり

偃鼠(えんそ)とは、ドブネズミのことだそうだ。冬、水を飲もうと思ったら凍っていた。貧しさの苦さ、ということらしい。「氷苦く」という言葉にはポエジーがある。現在55/502ページ。これはなかなか読み応えがありそうだ。

***

鈴木貫太郎―鈴木貫太郎自伝 (人間の記録 (24))
鈴木 貫太郎
日本図書センター

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(出版元は違うが、内容は同じと思われる)

『鈴木貫太郎自伝』読了。しっかりと読み応えがあった。やはり私自身としては、政界入りしてからの消息が興味深い。なかでも侍従長時代に二二六事件に遭い、すんでのところで死ぬところだったあたりは読み応えがある。侍従長官舎襲撃指揮官の安藤輝三大尉は鈴木自身と何度か面会していたそうで、鈴木襲撃後に自決を図ったらしい。襲う者も襲われる者も、思いつめ、覚悟を決めていた時代がしのばれる。

また昭和天皇を襲ったテロ事件は、虎の門事件は認識していたが桜田門事件ははっきり認識していなかった。これは朝鮮独立を目指す金九の指導者の朝鮮人テロリストが天皇の馬車を襲撃したもので、犬養内閣は総辞職を決定したが昭和天皇が慰留したのだという。その年に犬養は五一五事件で暗殺されるので、天皇の慰留が仇になった感がないとはいえない。戦前日本の舵取りはやはりいろいろな意味で困難だったのだなあと思う。

鈴木は日米開戦の原因を支那事変の失敗を国民に隠して危地を切り抜けようとした無謀な計画だと見ていて、しかし自身が枢密院副議長の地位にあっても阻止できなかった、というのは、やはり正直なところだろうなあと思う。

戦時終戦内閣の所ではまあだいたい今まで読んだことがほとんどだったのだが、鈴木自身として強調したかったことは『国民よ、わが屍を越えて行け』という言葉にあるんだろうと思った。終戦を実行すれば、必ず殺されるだろう。だから私の屍を乗り越えて進んで行け、という意味だったのだそうだ。たしかに八月十五日首相官邸は襲撃され、その後も半年ほど逃避行を続けてようやく関宿の実家に落ち着いたのだという。78歳である。

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