小泉純一郎『音楽遍歴』ほか

Posted at 08/07/02

昨日。朝出掛けに友人から電話がかかって来て思わず長電話になってしまい、ばたばたした。とりあえず有り合わせで弁当を作って出かける。時間がないのでバスに乗って駅に出、東京駅の丸善に寄る。小泉純一郎『音楽遍歴』(日経プレミアシリーズ、2008)とチェスタトン『木曜日だった男 一つの悪夢』(光文社古典新訳文庫、2008)を購入。小泉は、与謝野の本が面白かったので買ってみた。チェスタトンは、渡辺昇一が勧めていた気がする。イギリスの小説を読んでみようという気を起こしたので買ってみたのだが。

東京駅で指定を取り、新宿で特急に乗る。与謝野の本を読み切り、小泉にかかる。

堂々たる政治 (新潮新書 257)
与謝野 馨
新潮社

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与謝野馨『堂々たる政治』(新潮新書、2008)。最近は一ページ読むのに大変な本をずっと読んでいるせいもあるのだが、あっという間に読めてしまったのでびっくり。そういう本は大概後半は興味を失っていることが多いのだが、この本は最後まですんなり読めた。基本的に、書いてあることは全部正論。国家は割り勘なので、誰もが応分に負担しなければならない、つけを先延ばしにすると将来の国民が苦しむことになる、ということが淡々と説得力をもって語られている。また、財政規律の問題も本当の無駄のレベルと政策決定の賛否で人によって無駄と思ったり思わなかったりする部分とを分けて述べていて、単純だがこういうことはきちんと認識している人は必ずしも多くないのではないかと思った。

またいわゆる霞ヶ関埋蔵金の問題も、「財政投融資の金利変動リスクに備えるための積立金」と「外国為替資金特別会計の為替変動リスクに備えるための積立金」だとはっきり述べていて、その合計が37兆円に上るが、いずれも変動の激しい金利と為替のリスクに備えるための資金であるとはっきり言っている。いずれもストックのレベルの話だから、運用益は国債の減額に当てると法律で定められているのだという。あるから使えばいいというレベルの話ではないという主張である。

財政赤字の問題も、役人の無駄遣いといった問題に還元されがちだが、無駄のカットで実現できる節約は数百億円レベルだが、解決すべき財政赤字は数十兆円の収支だから次元が違う、もっと根本的な解決策を考えなければならない、民主党の主張する無駄を省けば15兆円節約できるというのは無理な話だ、という。これも、基本的にそのとおりだろうと思う。民主党の主張の根拠も読んでみないと断言は出来ないが、大阪の橋下知事のようなかなり無理のある改革を国レベルでやっても成果は限定される気がする。戦時中のようにすべてを犠牲にして財政再建、ということが無理である以上、民主党の主張は無理があるような気がする。

「上げ潮派」と「増税派」という言われ方はそういう意味ではためにする議論だと思う。しかし俗耳に入りやすいことは確かで、もし上げ潮派や民主党が政権をとった場合、財政が完全に崩壊してしまったらもうどうにもならない可能性もある。それから増税ということになればもう国の秩序も完全に崩壊してしまう恐れがあるし、リスクは小さいうちに(もう十分大きいが)何とかした方がいいというのが常識的な考えだろうと思う。常識的な方がうまく行くとは限らないのが政治というものではあるが。

なんというかこういう話というのは、われわれ「庶民の実感」というレベルでは判断しきれないところがあるからなんともいえない。ただ、構造改革と格差拡大の是正の両立といった矛盾する問題の解決には、一刀両断でうまく行くような手はないだろう。また個人情報保護と災害時の高齢者・障害者情報の把握の困難さの両立といった問題の両方を解決するというのも、難しいところがある。結局、地域社会重視の伝統的社会観と、個人重視の社会観の両立ということになるのだが、それもまたバランスの問題だと思う。そうした舵取りを現場から国のトップに至るまで、きちんとできる人材を揃えることが一番の急務だと思うのだが、昨今はどうしても極端から極端に走る傾向があり、それが犯罪面で現れたのが秋葉原の事件だが、バランスとか両立といった当たり前の常識的な考え方が蔑ろにされすぎているのは残念なことだ。

福田首相はバランスが取れているという説があったが、私はあんまりそうは思わない。福田首相にはやはり主体性が欠けているように思う。主体性がはっきり現れている上にバランスを取る「大きさ」のようなものが福田首相にはないように思う。じゃあ今の政治家の誰にあるのかといわれると困るけれども。でも与謝野氏には比較的そういうものがあるのではないかと思った。

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音楽遍歴 (日経プレミアシリーズ 1) (日経プレミアシリーズ (001))
小泉 純一郎
日本経済新聞出版社

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小泉純一郎『音楽遍歴』。現在130/198ページ。小泉首相の音楽への造形の深さは驚くべきほどだ。正直言って全然知らない演奏家や作曲家の名前が平気でぼんぼん出てくる。またあちこちではさまれる解説(池田卓夫)も良い合いの手になっていて面白い。あまり知られていないポーランドのリピンスキというバイオリンの作曲家の作品のCDを集め、来日したクルカの演奏が一番素晴らしいと誉めたらクルカ本人が信じられないともらしていたそうだ。

クラッシックは我慢して何度も聞かないとそのよさは分ってこない、とか、評論家は感情的な演奏は好まないので酷評になる、とか、なるほど素人にとって参考になることが書いてあるなあと思う。昔のバイオリニストはアンコールで自分の作曲・編曲した小品を弾いたりすることがよくあったそうで、現代の演奏家たちにもそういう創造性を要望していて、ふむふむと思う。また、演出者はオペラの演出などでも新機軸をやりたがるが、ドイツには「文化面向け演出」という言葉があり、音楽評論家は絶賛するが一般の観衆はしらけている、というようなことがよくあるのだという。古典は古典らしく演出することを小泉は主張していて、それもまた一つの考えだよなあとは思う。

それから例の、小泉がプレスリーのまねをして映像に登場し、一部で国辱ものといわれた件だが、実はプレスが帰った後でバンドマンからプレスリーを歌えといわれ、一曲歌ったのだという。なんというかこれだけ天真爛漫な政治家は日本にはほかにいないだろうなあと思う。

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木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫 Aチ 1-1)
チェスタトン
光文社

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チェスタトン『木曜日だった男』。まだ18ページ。久しぶりにイギリス、という雰囲気の小説を読んでるなあと思う。

特急は国分寺のあたりで減速し始め、国立で止まり、立川で立ち往生した。携帯で情報を調べると何本も運休している。結局、本来は韮崎あたりを走っている時間にようやく立川を出発した。地元の駅についたのは1時間半遅れ。自宅に戻る暇がなく、そのまま仕事場へ。仕事はまあまあ忙しく。ただ、一度自宅で休養を取れなかったのが少し尾を引いて終わりのほうは疲れてしまった。

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夜のミッキーマウス
谷川 俊太郎
新潮社

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谷川俊太郎『夜のミッキー・マウス』読了。印象に残ったフレーズ。

   つみをおそれていきるよろこびがあるだろうか
   このちじょうはかがくのおしえるほしではない
   しすべきものたちのおどるつかのまのあれちなのだ
               (「ちじょう」)

ひらがなで言われるとなんとも言えないものがある。

   はらからのこえをかりことばをかりた
   つぶやきにひそむしらべは
   もつれあうなさけをきりさき
   ゆりかごをはかにかさねて
   かぜのようにひとびとのこころをさわがせ
   ひとすじによぞらにきえる
   そのとがにきづくことなく
               (「ふえ」)

「そのとがにきづくことなく」という言葉に痛さがある。「とが」とか「つみ」といった言葉に反応する自分を感じる。

   いくつかのコンマとピリオドとコロンとセミコロンに挟まれた言葉を
   ミルクを飲みながら老いた大統領は読んでいる
               (「三人の大統領」)

コロンとかセミコロンの多い文章の面倒くささが大統領の仕事を象徴している感じがうまいと思った。

   匂いと味とかすかな物音と手触りから成る世界に生きて
   意味はどうすりゃいいんだと困ったふり
               (「無口」)

「匂いと味とかすかな物音と手触り」といった感覚的な世界の細部の感知と、構築される「世界の意味」との断絶が避けられないことを明言しているように思われる。

   あの木は私たちより長生きする
   そう思ったら突然いま自分がどんなに幸せか分かった
      (中略)
   時間は永遠の娘 歓びは哀しみの息子
   あの人のかたわらでいつまでも終わらない音楽を聞いた
                (「あのひとが来て」)

死すべき運命の人間として今自分たちが生きていること、自分たちより長生きする木を見て永遠という深淵をのぞき込んだこと。

   もしかするとそれも些細な詩
   クンデラの言うしぼられたレモンの数滴
   一瞬舌に残る酸っぱさと香りに過ぎないのか
   夜空で月は満月に近づき
   庭に実った小さなリンゴはアップルパイに焼かれて
   今ぼくの腹の中
   この情景を書きとめて白い紙の上の残そうとするのが
   ぼくのささやかな楽しみ
   なんのため?
   自分のためさ
                (「些細な詩」)

些細な詩。細部に神が宿る、その些細さ。

   どうしても忘れてしまう
   今目の前にある楓の葉の挑むような赤
   それをみつめているきみの
   ここにはない何かを探しているような表情
      (中略)

   だがどうして忘れてしまってはいけないのか
   倦きることと忘れることのあのあえかな快楽が
   朝の光をこんなにもいきいきとさせているのではないか
                (「忘れること」)

「どうして忘れてしまってはいけないのか」という問いかけが鋭い。これは忘れるということが人間存在にとってどれだけ重要なことかということを言っているのだと思う。

   鬱の朝九時は鬱の夜九時とさして変わらず
   通販で買った朝ではないから消費できない
   太陽は生殺与奪の権を握っているくせに濃い笑顔
   皿の上の塩鮭よ 急流を遡ったこと覚えているか
   インク香る朝刊よ 偽善を定義せよ
                 (「五行」)

これはただカッコいい。こういう檄のような、挑発のような言葉を書けるのは一つの才能だなと思う。

ずいぶん長くなった。書くことをためておくといくらでも長くなってしまう。

昨夜は少し冷え込んだ。もう7月だというのに。朝もはんてんを着てすごした。起きてすぐ一本詩を書き、長めのモーニングページを書き、活元運動をする。昨日から頭の中に溜まっていたものがだいぶ整理された。今日は天気がいいので気温も上がるだろう。まだ本格的な夏ではないが。

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