前に進む感覚/派手好きだが成金趣味は大きらい

Posted at 08/05/21

昨日。朝、父に愉気をしたあと朝食。8時半の電車で松本に出かける。この会は先月は出られなかったので二ヶ月ぶり。やはり勉強になるし、昨日は特に楽しかった。昼食が出たが、平らげてしまう。先々月はずいぶん残したのだが。帰りは実家に帰る電車に乗るために急いで飛び出し松本駅まで歩いたが、お蔭で眼鏡ケースとハンカチを忘れてしまった。

空いている時間に、ゴーゴリ『鼻/外套/査察官』と『カラマーゾフの兄弟』の「解題」を読む。午後から夜にかけて仕事。新しい仕事の打ち合わせが夜かなりかかり、遅くなった。

今日。朝、父に愉気をしたあと朝食。8時半の電車で松本に出かける。行き先は同じだが用事は違う。眼鏡ケースとハンカチは取っておいてくれてあった。助かった。今日は指導を受けて、かなり疲れた。帰ってきて昼食後、しばらく寝入ってしまった。

目が覚めたあと、何だかつかれが出たのか何もする気が起きなくて困った。仕事場に来て仕事前にしばらく最近よく読んでいるブログを読む。私は整体協会の松本指導室に通っているのだが、この方は同じ整体協会でも身体教育研究所の稽古場に通われている。私も動法には興味があるので、こちらのブログは読んでいてとても参考になる。その中で今日見つけて特に印象に残ったのが、野口裕之先生や甲野善紀さんなどもこちらのブログの存在をご存知であるということがひとつ。これだけ詳しく稽古内容を書いていいのかな、と私などは少し心配していたのだが、杞憂だったようだ。もうひとつは、野口晴哉先生は「前に進む感覚」として活元運動をとらえておられたのではないかという話。これは私にとってもすごく前向きのインパクトのある話だった。

野口整体は私にとって、やっていてとてもプラスになる感じがあるのだけど、しかしまさに「前に進む」感覚がなくて、そこが戸惑いを感じるところだった。しかし、「前に進む」という意識を持って活元運動に取り組めば、今までとは何か違うものが見えてくる、感じられるのではないかという希望が持てたのだ。そして、「前に進む」ということの大事さを改めて感じる。今まで、自分の中に前向きのイメージとしてあったことばは、「目の前が開ける」という感覚だった。これもまあ悪くはないのだが、目の前が開けるというのはあくまで「見る」感覚であって、「動く」感覚ではない。つい、「目の前が開ける」間隔を求めてしまうと、立ち止まってみようとしてしまうし、見えなくても見渡そうとして悪あがきをしてしまう感じがあった。しかし、見える見えないよりまず動くこと。動こうとすることは当然感じることでもあり、それは見ることだけでないもっと広い感覚が伴われるのだと思う。そういう感じをこの「前に進む」という言葉に持って、すごく自分の持つべき姿勢がはっきり見えたような気がした。ありがたいことだ。

もうひとつ今日の発見は、このブログの書き手asasan氏が男性だということ。甲野氏もそう思っていたそうだが、私も女性だとばかり思っていた。私の日記も以前女性作者と間違えられたことがあるが、ネタの内容とか書きぶりが女性的な感覚がどことなくあるからなのだろう。私は女性の考えていることは全然分らんとむかしから思っているのだけど、しかしそういうふうに勘違いされることはどうしてかなあとは思っていた。この人のブログを読んでいても、要するに細やかな感覚を書くとどうしても女性的な印象になるのだなと思う。細やかであっても実際、女性とは限らないのだけどね。

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)
ゴーゴリ
光文社

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ゴーゴリ『鼻/外套/査察官』。「鼻」と「外套」は読み終わって戯曲「査察官」に入っている。現在166/372ページ。「鼻」は何だかカフカ的だと思ったが、昨日も書いたように何だかカフカに比べるとずっとのんびりしいている。時代も国も違うからだろう。「外套」もどことなくカフカ的ではあるのだが、可哀相な話だ。内容を書くといっぺんにネタバレなので書かないが、気の毒な話。しかしこれを民衆に同情するヒューマンな話、ととらえるのはどうなんだ?しかし、ドストエフスキーが「われわれはみなゴーゴリの『外套』から生まれた」というとき、この「可哀相な民衆への同情」みたいなものが大きなウェイトを閉めることもまた確かだろう。最近、小林多喜二の『蟹工船』がワープアの人気を得て売れているそうだが、(丸善丸の内本店にもワゴンに山積みになっていた)『蟹工船』より『外套』を読んだらどうだろう。とちょっと思った。

ゴーゴリが『外套』であるとするとプーシキンは何だろうと思うと、『スペードの女王』かなと思う。『外套』がなんだか根本において夢幻的だが表面上はやりきれないくらいリアルなわけだけど、『スペードの女王』は見かけから夢幻的だ。その魔術的な力をもって、やはり私はプーシキンの方が好きだし上だと思う、というかゴーゴリというのは何か根本的に世に相容れないところがあって(プーシキンにもそういうところはあるのだけどゴーゴリの方がもっと根本的に変だ)、華麗さとかそういう点でプーシキンの方がやはり好きなんだなと思う。基本的に私は派手好きなのだと思う。成金趣味は大きらいだが。

ドストエフスキーのほうはほとんど進んでない。日中は萩原朔太郎『青猫』も少し読んだ。序文にはかなり大事なことが書いてあるように思う。もう一度よく読んでみたい。

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