14歳の妻たち/合理主義という名の思い込み/マーケットプレイスの値段のつけ方/『ロシア 闇と魂の国家』

Posted at 08/05/01

昨日。朝6時過ぎに家を出て帰郷の途に。特急の回数券は使えないので東京駅で指定を取り、新宿7時のあずさ1号に乗る。車中では『ポー詩集』と高山宏『近代文化史入門』を読みつづける。

ポー詩集 (新潮文庫 ホ 1-3)
ポー
新潮社

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『ポー詩集』、冒頭に「大鴉」。この詩は素晴らしい。不安の中に沈んでいく心性。リフレイン。1940年代のアメリカの不安。二度にわたるメキシコとの戦いで領土を急拡張していた時期。

ポーは30代半ばでこの詩を書き、1949年40歳で亡くなった。彼の妻は27歳のときに結婚した14歳年下の従姉妹、ヴァージニア。25歳で結核で亡くなっている。彼の詩にはそうした妻の病と死の色が濃く現れている。

『ティファニーで朝食を』の主人公は、14歳のとき年の離れたテキサスの農民と結婚している。年代から言って1930年代の話だろう。ちょうど100年程前、ポーは13歳の娘と結婚している。『ティファニー』ではその結婚を反故にしてしまうけれども、それまで乱脈な生活をしていたポーはどんな家庭生活を送ったのだろうか。

当時のアメリカは、ヨーロッパから見たら地の果ての田舎だっただろう。そんな田舎に屹立した詩の魂。ポーは存在自体が謎だ。

もう一つあげるなら「海中の都市」か。星野之宣の『ブルーシティ』を思い出した。アトランティス伝説と。死の都市。現在43ページまで。

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近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)
高山 宏
講談社

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高山宏『近代文化史入門』。いろいろな意味で面白い。もとは座談で語ったものを速記で書き留めたものらしい。細かいところにいくつか疑問があるのはそういう成り立ちによるものかもしれない。近代、特に1880年代から1920年代の間まで、見えること=分ること、という精神が支配し、見えないことを見えるようにする、具体的に言えば見えない下部構造が見える上部構造をも支配するという考えが精神を支配するようになった、合理主義という名の思い込み、という話が面白かった。下部構造を明らかにすることですべてを把握しようとするのはマルクス主義だけではなく、フロイトの無意識が意識を支配するとか、人類学が民族のエートスを明らかにする、と言った発想があった、という指摘はなるほどと思う。それを象徴するのが推理小説だ、という指摘も興味深い。ルネサンスから1960年代に跨って論を進めているので上に書いたことは一部なのだが、そのあたりのところが一番興味深かった。

自分とは歴史構造の捉え方が違うのだけど、高山のとらえ方はとらえ方として斬新で面白いと思う。やはり文学史的なことでは知らないことが多いし、断片的なのであれとこれとを結び付けてくれると自分の理解が格段に強化された感じがしてありがたい。

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今日は午前中松本に出かける。車で行ったので(私は運転していない)ずっと瞑目。「今日は落ち着いてますね」と言われて一安心。帰ったらamazonのマーケットプレイスで注文していた『ポオ 詩と詩論』(創元推理文庫、1979)が届いていた。

ポオ詩と詩論 (創元推理文庫 522-5)
エドガー・アラン・ポオ
東京創元社

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詩は福永武彦、入沢康夫の訳。詩論は篠田一士訳、最後の「ユリイカ」は牧野信一・小川和夫訳。詩論の訳者は英文学者だが、詩の訳者は2人とも仏文の人だというのが謎。やはりボードレールへの影響ということでそちらの方に白羽の矢が立ったのか。ポーという人の存在はそのような複雑なものなのだろうか。

新潮文庫は選訳だが、詩は53篇すべての全訳だという。ポーの享年は40歳だからプーシキンよりは長生きだが、作品数は圧倒的にプーシキンの方が多いのだなと思う。小説ではポーの方がずっと多いと思うけれども(未確認)。まださらっと見ただけなのでなんともいえないが、いい本だという感触は強い。本自体も美品で、胸をなでおろす。定価760円、マーケットプレイスで400円、というのはなかなかにくいところを突いている。送料340円を足しても定価より安い、ぎりぎりの値段だからだ。マーケットプレイスの出品価格というのは案外こういうふうにして決まっているのかもしれないと思った。

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)
亀山 郁夫,佐藤 優
文藝春秋

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それとは別に読み始めたのが亀山郁夫・佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』(文春新書、2008)。これはロシア的精神(あるいは霊性)を巡る肩の凝らない対談、ということだと思う。亀山郁夫は古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』を訳していることで名前は知っていたが、佐藤と同志社の頃に接点があり、それが一つの縁だったようだ。

前書きで亀山はロシアのメシアニズムについて書いているが、ロシアにおけるユダヤ人迫害(ポグロム)はナチスなど西欧におけるものとやや性格が違う感じがしていたが、ポグロムはむしろ選民思想同士の同属嫌悪のようなものかもしれないとふと思った。

対談に入ると、亀山の新訳についての佐藤のコメントで、「『カラマーゾフの兄弟』については、他の翻訳とは違った重圧感が訳者にとってあるのです。ロシア文学者やロシア思想史専門家には意地悪な人が多いですから。…こうした古典の改訳は、狭いロシア文学村の掟に照らしてみると、結構勇気がいることなのです」とかいてあるのには何だ嫌な世界だなと思ったけれども、学者の世界、特に翻訳・輸入学問の世界というのは概してそういうものなんだろうとは思う。

ブレジネフ時代を庶民は懐かしがっている、という話は佐藤の『自壊する帝国』でも読んだが、亀山とその話で盛り上っている。フルシチョフが実は共産主義的世界観を本気で信じていて、スターリンよりも恐かった、という話も目から鱗が落ちる感じだ。また、プーチンは中堅官僚である自分が大統領になったことで、最初はエリツィンに感謝していた。半年後には、自分が大統領としてのカリスマがあると感じるようになった。1年半くらい経つと自分のような中堅官僚が大統領になったのは神によって選ばれたからだと神がかりになっていった。それからようやく大統領らしい顔になってきた、とエリツィンの側近・ブルブリスが語ったという話も興味深い。実にロシア的な感じがする。一つ間違うとゴーゴリ『狂人日記』の主人公だ。

スターリンの肖像画にメランコリックなものが多いのは慈悲深き「父」としての存在を演出しているからだ、という話も面白いなと思う。プーチンも最近、メランコリックな表情を見せることが多くなってきた、とも。佐藤はその祖型をイタリア・ファシズムに見る。佐藤はナチズムは「アーリア人種の優越性という荒唐無稽な神話と進化論が結びついた粗末なイデオロギーで、運動としても支離滅裂だ」と否定するが、ファシズムは「資本主義のエゴイズムを規制し、共産主義が階級という切り口で国家や民族を破壊することも拒否して、イタリア人のためのイタリアというスローガンで国民をまとめていく洗練されたイデオロギー」であると評価している。現在78ページまで。

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最近古典的なものばかり読んでいたので、こうした新書みたいなものはとても読みやすくて生き抜きになるし、内容もアップトゥデートでブログにも取り上げ易いが、本当に勉強になっているかどうかというとちょっと首をひねる。ネットよりは信憑性も読み応えも上とはいえ、知識のフラグメントの集積という感じがどうしてもする。まあその断片が新しいヒントになればそれでいいのだが。やはり頭の体操というくらいに捕らえておいた方がいいものだなと思った。

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