アナリストとトレーダーの違い/「カラマーゾフ」のかなしさは疾走する
Posted at 07/09/21 PermaLink» Comment(0)» Trackback(0)»
昨日。忙しかった。仕事の最中は飛び込みの話も含め、九時半までずっとやることがあった。午前中から午後まで、何かしらやることが合ってその割には生産性が悪いのはなぜだろう、と考えていたのだが、どうも必要のない仕事に時間がかかっていたり、必要のないことを考えて堂々巡りになっている時間が長いのだということに思い当たった。下手な考え休むに似たり、とはまさにこのこと。そんなことするより頭を空っぽにしてリフレッシュした方がよっぽどいい、ということはある。
坪井信行『100億円はゴミ同然』読了。
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これは自分にとってはとても参考になる本だった。株式市場に参加する人々、その回りで仕事をする人々、アドバイスをしたり見解を述べたりする人々、の全体像がつかみやすく、この人はこの立場からこういうことを言うんだとか、こういう立場だからこういうことには鈍感なのだ、ということがわかる。分析している人は猛烈に仕事をしてその会社の価値を見出そうとしているわけで、思いつきで売買する個人トレーダーとは比較できない差がある。ただでもアナリストも個人の立場になって売買するとけっこう上手くいかないということもあるらしく、なかなか面白い話だと思う。
空売りと現物買いとどちらが心理的圧力が高いかというと、圧倒的に空売りの方が高い。空売りは株を借りて先に売っておき、安くなってから買い戻して借りた先に返す、というシステムで、つまり売った時点が高ければ高いほど、買った時点が安ければ安いほど儲かる。しかし、そういうことは何事もうまく行くとは限らないわけで、安くなると思って空売りした株が暴騰を演じたらその分大損害になる。現物買いは最悪でも出した資金がパーになるだけで済むが、空売りは時と場合によっては出した資金以上の損害が出ることがある。というのは、株価には理論的な下限(1円)がある、つまりそれ以下にはならないけれど、理論的な上限は存在しないからだ。という説明が、わかりやすかった。
著者の本業はアナリストだが、デイトレードで生計を立てていた時期もあり、デイトレに関しても詳しい。彼がデイトレをやめたのは、損失が累積していくときの苦痛に耐えられなかったからだ、という。株式の専門家にそういわれると考えさせられるものがある。
投資の「リスク量」は「投資額×時間」。こういうのはたぶん初歩の話なんだろうけどわたしははじめてみた気がする。いわれてみればそうだなと思う。つまり、投資額が多ければ多いほどリスクが増える。(当たり前だが、そういう意味ではナンピン買いなどは必ずしも合理的ではないのではないか。ナンピン買いとは、たとえば100円で1000株買った株が50円に下がったとき、敢えてもう1000株買う、という行為をさす。そうすると75円で2000株買ったのと同じことになり、株価が再度上昇したときに75円まで戻せば損失が消え、それ以上になれば利益が出る、というやり方である。もちろんさらに下がればさらに損失は増える。)また、投資期間が長くなればなるほどリスクが増える。もちろんそれだけリターンが増える可能性もある。
そういう意味ではデイトレードは期間が限定されているから、それだけリスクはコントロールしやすい面がある。ただ、ボラリティ(変動幅)が高い銘柄を扱うのでリスクも高い、ということはあるが。一日に何度も勝負をかけるわけだから、ある意味での図太さもいる。これはアナリストとは違う人間性が要求されると言うことなわけだ。
ファンダメンタル・アナリストは企業評価を中心に株価を考えるので、目先の株価の上下にはあまり興味がなく、5%程度の変動には関心がないそうだ。またいつ変化するかと言うタイミングにはほとんど関心がないのだという。つまり、ある意味投資家が最も関心のあることに全く関心がないわけで、だからそういう人にとってアナリストが鈍感に感じられるのだなと思った。そういうアナリストの目から見ると、株価の5%程度の変動は、活発に取引がされている(流動性があると表現される)証拠なのであって好ましいことには違いないが、まあ言わばその株式の「心臓の鼓動」のようなものなんだな、と思った。個人の、目先の利益を上げようとする人は、その心臓の鼓動によって上下するジェットコースターに乗って利益をさらっているようなものなんだなと思った。
「さまざまなリスクやプレッシャーを楽しめるようにならないと、一流にはなれないのかもしれません。厳しい世界ですね」というコメントは全くそのとおりだと思うが、実際には他の仕事でもそういうことはある。どんな仕事でも、その仕事に特有のリスクやプレッシャーを楽しむことは大事なこと、というよりその仕事を続けていく上でのコツのようなものなんだと思う。
***
『カラマーゾフの兄弟』第3巻、現在218ページ。
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ついに事件が起こってしまった。その前後のドミートリーの描写の疾走感はすごい。多分落ち着いて読むと意味のわからない言葉ややり取りの羅列になってしまうだろうけど、こういうところは読む側もぐんぐん読む(時には読み飛ばす)とその疾走感が非常に爽快だ。これはアンジェイ・ズラウスキ監督の『狂気の愛』をみたときの感じに似ている。最初は題名も酷いしぜんぜん気乗りのしないまま六本木のシネヴィヴァンに出かけたのだが、始まると同時に異様な暗い疾走感に乗せられて、叫びだしたくなるような興奮を覚えた。『狂気の愛』はドストエフスキーの『白痴』を原作にした作品なのだが、あの疾走感はズラウスキ監督特有のものだと思っていたのだけど、ドストエフスキー自身がその疾走感の源泉だったのかもしれないとこのドミートリーのシーンを読んでいて思った。
ドストエフスキーは19世紀の大作家、という印象が強いけれども、そういう意味ではむしろ20世紀のさまざまな文芸やアートに非常に大きな影響を与えているのではないかと思った。
それにしても、このあたりになるとだいぶ重くなってきてなかなか読み進められなくなってくる。重要感のある大作だと改めて思う。
「『カラマーゾフ』のかなしさは疾走する」というフレーズを思いついた。涙は追いつけない、というのはやめておこう。
夜は仕事が比較的早く終わり、食事、父に愉気、入浴、就寝。最近朝は7時くらいまで熟睡する。今朝も目が覚めたら7時半。朝食、その後、お彼岸なので墓参り。家に戻ってきて日記を更新。
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