経済学の学習方法/自由の専制/ポジティブな概念を肯定すること

Posted at 07/08/31 Comment(1)»

今朝は冷たい雨がしとしとと降ったりやんだり。遠くの山も霞んで見える。暑い夏もどうやら本当に終わったのか、という感じだ。今日で8月も終わり。

午後はいろいろ考えをまとめたり文章の試し書きをしてみたり。ちょっと書き出してみた小説がどうなるか分らないけど自分では書いていて面白い。人が読んで面白いかどうかは分らないけど。私の書くものというのはそういうのが多いな。誰かに読んでもらわないと分らないけど。

午後から夜にかけて仕事。まあそれなりに忙しかった。一定は忙しくないと困るのだが。

ある本をパラパラと読む。根井雅弘編『経済学88物語』(新書館、1997)。ぺティ(1623-87)『政治算術』など、アダム・スミス以前の人物から最近の人たちまで触れていて興味深いのだが、知らない言葉が多いのと専門的な分析が多くて「一般の常識人」が読むにはちょっとハードな気がする。

経済学88物語 (HANDBOOK OF THOUGHTS)
根井 雅弘
新書館

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編者の述懐として、現在経済学は高度に制度化されていて、初級・中級・上級それぞれ定評ある教科書があり、その一冊を熟読すると言う学習方法になっている、という話が面白いと思った。最新の学問であるはずの経済学が四書五経の素読みたいな、読書百遍意自ずから通ずみたいな学習方法が取られていると言うことにちょっと驚く。ということは、経済学者間の口汚い罵りあいのような論争は、そういう教科書の著者の思想の対立と言うことになるのだろう。そういう意味では真の意味で教義論争だと言うことになる。

経済学の古典のような書物も、結局は教科書に書かれた範囲内でしか理解しないことになるし、それはスキルとして身につけるためにはある程度有効でも学問としてはいびつなものになってしまうのではないか。こういう考え方は、昨日書いたターンパイクセオリーそのものなのだけど、しかしそうなるとその高速道路の設計者・作者の人間性や思想がそのまま反映されることになってしまう。北辰一刀流と天然理心流の対決みたいだな。

「一般の常識人」にとって役立つ経済学の考え方、のようなものを、分りやすくまとめたらけっこう仕えると思うのだが、竹中平蔵の大臣になる前の対談本、『経済ってそういうことだったのか会議』とかそういうものだったのかな。読んだけど内容は全然覚えてない。暇があったらちょっと読み直してみよう。

読みにくくて拾い読みしただけなのだけど、ガルブレイスの指摘が面白いと思った。大企業内部のテクノストラクチャーの存在を考慮に入れる必要があるというもの。なんと言うか、理念的な議論というものはどうも私はあんまり馴染めないものがある。こういう現実に即した指摘の方が共感しやすい。

フリードマンの、連邦準備制度の擁護の議論も面白いと思った。金利や貨幣の流通量、すなわち金融政策を政府の連邦準備制度が取り仕切ると言うことについて、政府による介入を認めることになるというハイエクの批判に対し、自由な個人による民主主義社会で、個人の自由を擁護するために法制度が必要なように、自由な市場を守るための金融政策を連邦準備制度が行うことが必要なのだ、という議論は説得力があるように思った。

ただ、これは「自由」というドグマが絶対善だという前提に立つもので、フランス革命のときの用語だが、文字通り「自由の専制」だ。(フランス革命で用いられたときにはニュアンスが少し違うが)なんというかそれを無前提に楽観的に肯定できるのはアングロサクソン、特にアメリカ人だけだろうなと思った。アメリカは自由のみの国だが、イギリスには自由と伝統、あるいは歴史がある。私は20歳前後の学生100人くらいに自由と平等とどちらが重要な人権だと思うか、と尋ねたところ、自由と答えた学生は皆無で、みな圧倒的に平等の方が重要だと答えたことに驚嘆したことがある。私自身にとっては、圧倒的に自由の方が大事だと思うんだよな。でも日本人は必ずしもそうじゃないんだな、と思った。学生の属する階層にもよるんだろうけどね。

まあそういう社会に対し、自由をドグマにする民主主義や市場至上主義を押し付けると言う問題性と言うものは考えられるべきだろう。安倍内閣も結局「格差是正」に政策的な舵を切らざるを得なくなったわけだし、日本に自由を絶対化するドグマは根付かない気がする。

****

宇野千代『天風先生座談』。精神が命の一切を動かす原動的な立場に置かれているから、精神の生存状態を積極的なもので有らしめることが重要、という話。積極的であるとは、どんな場合でも尊く、強く、正しく、清くあること、だという。反対に言えば卑しく、弱く、悪く、汚いのが消極的だということで、精神をそのように高めることが生きる原動力だという話だ。

天風先生座談
宇野 千代,中村 天風
廣済堂出版

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これは仏教系・神道系問わず宗教の基本的な考えとして言われることと共通しているが、その表現がちょっと個性的ということかな。卑しく、弱く、悪く、汚くあることがいけない、ということはよく分るけど、尊く、強く、正しく、清くあれといわれるとけっこう鼻白んでしまうものがあるのは汚れた現代人だからか。

まあしかし、人間が人間らしく生きるということは、そのようにしか表現できない部分があるんだよなあと思う。ネガティブな概念は否定できるけど、ポジティブな概念をわだかまりなく肯定することは難しいことだ。それぞれの概念が具体的にどういうことをさし、生活の中で具体的にどういうことを目指していけばいいのか、もう少し考えてみたいと思う。

"経済学の学習方法/自由の専制/ポジティブな概念を肯定すること"へのコメント

CommentData » Posted by 匿名 at 07/11/28

否定するのは簡単。挑戦するのは困難。
ポジティブであることを否定することは、子供にもできる。
大人ができる積極性を考えたらどうでしょうか。

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