自然の懐かしさ/婿養子/伊勢神宮と熱田神宮/靖国神社

Posted at 06/08/15

昨日帰京。なんだか疲れが残っている。まあだいぶ強行軍だったのでやむをえない面もあるが。これだけ短期間に次々移動したのは久しぶりだ。

11日の朝に郷里を出発、塩尻でしなのに乗って名古屋に出る。名古屋も久しぶり。JR駅ビル高島屋のキンキラキンぶりに一驚。場所がわからず駅員に聞こうにも、田舎から出てきたと思しきおじさんおばさんにつかまっていて誰にきいたらいいやらよくわからない。いちおう手が空いた人に尋ねて道を確かめつつ名鉄バスセンターへ。暑い。12時25分発上野産業会館行きの三重交通バスに乗る。

窓の外の風景を見る。緑の感じ。川原の感じ。自分が「自然」だと思ってきたものがそこにある感じ。小学校低学年から高校2年まで三重県にいて、今回来たのは26年ぶりくらいなのだが、自然に対する圧倒的な懐かしさに空恐ろしいほど圧倒された。自分の中で、いい思い出ばかりではなかった地であるから、近づく気にもなれなかったのだけど、今回本当に久しぶりに声がかかって三重県に来て、ある意味での自分の感覚的なふるさとがここにあると感じざるを得なかった。アンジェラ・アキの『Home』をずっと聞いていたのが、その感情をかなり増幅した感じだった。

上野について、というか合併で「伊賀市」というなんのひねりもない名に変わったのだが、右も左もわからないのでとりあえず観光案内所でいろいろ話を聞いて地図をもらう。高校1・2年の時にはほぼ皆勤で通っていたのに、土地勘がかなり失せている。ホテルに荷物を置いて母校や上野城の周りを散策、観光。上野市駅下の地下道が懐かしかった。西小学校が木造風に立て替えられていて変な感じ。母校の古い校舎が「明治校舎」といわれていて、なんだかこんな建物だったかなあとちょっと奇妙な気持ちに囚われた。制服は変わっておらず、懐かしい。あとであった旧友も、娘に母校の制服を着せたかった、という人がいた。確かにかわいいセーラー服だと思う。

広小路駅近くに移った市立図書館に行って『伊賀町史』や『上野市史』を読む。私は全然勉強していなかったのだけど、伊賀の土豪連合が織田氏に徹底的に打ち破られた「天文伊賀の乱」が伊賀の歴史で巨大な時代の分水嶺になっていることを認識。東大寺領が多かった伊賀では鎌倉御家人になったら追放されるとか、守護は名ばかり、戦国大名も生まれないそういう土地柄だったのだという。天文伊賀の乱後、筒井順慶の領国となり、さらに藤堂高虎の領地となったが、難治の土地ゆえ、土豪たちを「無足人」という形で支配に組み入れたのだという。つまり土佐の郷士などと同じような存在だということだろう。勉強しだしたらいろいろ興味深いことがでてきそうだが。

上野という土地は大企業がなく、組紐などの伝統的な中小企業しかないため、いつも財政的には火の車で、経済的なピークは第一次世界大戦中のことで、その後ずっと下り坂、という記述がなんだかおかしかった。草深い田舎と馬鹿にしていた名張が現在の近鉄の開通で一気に大阪と直結し、上野が取り残されることになった、とか、『市史』として一般にイメージされる固いものでなく、普通の市民が呼んで楽しめる読み物のようになっていて、それはそれで一つのあり方ではあるなと思った。まあそのせいで細かいところは全然わからなかったのだが。

『伊賀の湯』まで歩いて風呂につかり、市内に戻ってきたら行こうと思っていた洋食屋がもう閉まっていて、適当に探したらなぜかブラジル料理の店が開いていたのでそこで食事。何であんなにしょっぱいんだ。ホテルに泊まるのは久しぶりで、浴衣の足がはだけて足が冷えて眠れなかったのだが、毛布を足に巻きつけてあたたかくしたらよく眠れた。

翌日も早めに起きて観光。自分のいるホテルが高校時代には大規模店舗があった場所だということに気付き愕然。これだけ大きく変わってしまったらただでさえ遙か昔の曖昧な土地勘が非常に混乱する。入交家という武家屋敷と永楽館という商家を見学。永楽館は風流な金持ちが趣向を凝らして作った屋敷で非常に面白い。こういう家を建てられたらいいなあ。市内を歩き、西大手駅へ。おんぼろで全然変わっておらず、超懐かしい。一番懐かしかったのはここかな。鍵屋の辻へ歩き、さらに旧小田小学校へ。塔のあるタイプの古い小学校で、松本の開智学校に似ている。もっとゆっくり見ればよかった。

城内を横切って産業会館に戻り、100円バスで同窓会会場へ。会場で旧交を温めるが、すぐわかった友達、なかなかわからなかった友達、忘れかけていた友達、最後まで思い出せなかった友達とたくさん会った。15歳で最後に会って、44歳で再会しても、すぐにわかったら帰って変だよなあ。後でアルバムを見せてもらって、だいぶ思い出した。今回来られなかった人たちも懐かしい人がたくさんいて、会いたかったなあと思う。

ちょっとびっくりしたのは、男で苗字が変わった人がたくさんいたこと。つまり、保守的な農業地帯なのだ。みんな養子に行ってあとを継いでいるのだ。農地は持ち運べないから、養子に来てもらうしかないわけで、今更ながらびっくりした。長野県や東京ではあまり聞いたことがないのだが。大病を経験した人も何人もいて、でも亡くなった人は本当に若いころに二人いるだけで、そのほかみんな元気らしく、よかった。バツイチは私くらいだった気がする。3次会では旧町内に戻り新しい住宅団地の近くの中華料理屋で9時ごろまで飲む。懐かしい一日だった。携帯の番号を何人も交換したが、もうわからなくなっている人もある。

13日は44歳の誕生日。近鉄伊賀線で伊賀神戸に出、大阪線で伊勢市まで。伊賀線沿線の田圃の様子が本当に懐かしい。大きく変わったようでいて、全然変わっていない風景。時間が止まったような景色の中に、きっと本当の歴史があるんじゃないかと思う。伊勢市で降りて伊勢神宮の外宮へ。豊受大神が祀られているわけだが、こちらは食の神。内宮と外宮の関係をいろいろ考えていたが、外宮がつまりはフィジカルなもの、物理的なものの神であり、内宮がスピリチュアルなものの神、と考えるのが一番落ち着きがいい感じがした。現在いろいろな意味でフィジカルな面で困っていることが多いから、よくおまいりしておいた。バスで内宮に移動。お祓い町を歩くが、ものすごい混雑。とうふやで昼食。五十鈴川の流れが綺麗。おかげ横丁は古い家々を赤福の社長が移築して作ったというが、ある種の明治村のような感じ。割と面白い。

宇治橋を渡ると境内。五十鈴川の川原に下りて手を清める。それにしても凄い人出だ。蟻の御伊勢参り、という言葉を思い出す。ここでもよくおまいり。自然が懐かしい。五十鈴川の川原の向こう岸のうっそうとした森の中で、一箇所だけ光が差し込んでいるところがあって、とても神々しく見えた。

伊勢市駅に戻り、赤福をお土産に買い、JRの快速みえで名古屋に出る。昔はこの路線、近鉄に乗るのが常識だったのだが、最近ではJRも頑張っているようで、結構込んでいた。名古屋に着き、荷物をコインロッカーに入れて案内所で場所を聞き、名鉄に乗って熱田神宮へ。名古屋は通っても熱田神宮に行ったことはなかったので、よい機会だった。草薙の剣、つまり銅剣が御神体の神社であるためか、銅ぶきの屋根が青々として空によく映え、気持ちのよい神社だった。神鈴を買った。

名古屋に戻り、名鉄近くの洋食屋で夕食。ミックスフライは何ですか、と聞いたら海老とかイカとかそんなものです、というので違うものを頼んだ。覚えておいたほうがいいんじゃないの。久しぶりにカンパリソーダを飲んでちょっと酔う。

特急しなので塩尻に出、普通電車で郷里へ。土砂降りのような雨。実家で妹の旦那とかと話す。翌日は裏庭の草を取り、ジャガイモを掘り、昼間は親戚の集まり。何十人いたのか。曽祖父母の子孫ということで、まあなんだか一族繁栄らしい。夕方一息ついて私は上京。特急は込んでいた。東京は大停電だったという。

今朝15日朝。テレビをつけたら小泉首相が靖国神社に参拝していた。私も出遅れたが9時前に出かけ、参拝してきた。変なマスコミ関係者が一杯いていつもの靖国神社とは雰囲気が違うなあ。それにしても凄い参拝者の数だ。最近話題になっているせいか、参拝者は相当増えているのではないか。昨年は拝殿で参拝するのにかなり時間がかかったが、今年は初詣並みに賽銭箱ではなく白い布が広げてあってかなりたくさんの人が同時に参拝できるようになっていて、そんなに時間はかからなかった。雨が降っていたし、黒い背広があまり濡れても困ったので、今回は助かった。小泉首相も、ようやく八月十五日に参拝できて、ほっとしているというところだろう。私も終戦の日の参拝はこれで三年目だろうか。

帰ってきたらなんだか疲れが出てしまってしばらくうとうとしていた。ほかにもやることはいろいろあるのだが、さて。まずは旅行記。

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