北朝鮮非難決議可決と報道の姿勢/こうの史代『夕凪の街桜の国』

Posted at 06/07/16 Trackback(1)»

いや暑い。外から熱が放射されるというより、体の内側から蒸されるような暑さだ。冷房に入って外側が冷やされても、内側の熱でまだまだ暑い。それでも冷房の聞いた場所に入ると思考回路が動き出すが、自宅のエアコンが調子悪く(そういうのばっかだな)、冷やしすぎるほど冷やせない。おかげで冷房病にはならないが、薄着にしすぎて体内の熱が帰って放出され、暑いのにどこか冷えているという手も足もでない状態にすぐ陥り、思考停止状態に陥りやすい。

最近英語速読の勉強を続けていて、タイムを測っているのだが、この暑さなのだがタイムは案外落ちないのだ。集中力は落ちてはいるが、これは逆に思考が暴走しやすいほど活発に動いているということで、何かはっきりした課題があると案外こなせるという状態なのかもしれない。しかしいろいろ考えなければならない、アイデアを整理しなければいけないような思考はどうなのか、今ひとつよくわからない。しかし多分、この暑いときに向いている仕事の種類というものはどうもあるような気がする。それにフィットした作業あるいはやり方を見つけて能率を上げたいものだと思う。

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北朝鮮決議1965が可決された。これは国連憲章第7章に対する言及は避けたが、北朝鮮の行動を非難するもので、ミサイル発射についての安保理決議は初めてのはずなので、かなり重要な意味を持つものになると思う。北朝鮮はミサイル発射自体は国際法に違反しないと反論しているが、安保理決議も国際法上の意味を持つわけだから、これによって北朝鮮の行動に強い拘束がかけられたことは間違いない。

この後の成り行きはまだわからないけれども、この件に関しては日本外交は一定の成果をあげたと評価するべきだと思う。当初議長声明を主張していた中露両国を非難決議に賛成票を投じさせたことは大きい。中国の北朝鮮説得の失敗、つまり敵失によって幸運を拾ったという主張があるが、それはわざとポイントをずらした議論であって、中国の説得が不調に終わるだろうという見通しも含んだ上での提案だったわけだし、中露の提案よりもさらに踏み込んだ英仏の中間案にまでもっていけたのは十分な成果だと思う。

国連憲章第7章はそう簡単に発動すべきものでもないだろうし、もともと制裁決議案を出したときにこれは賭け金を上げるために上限の提案をしたのだと私は思っていた。だからこの結果もまあこんなところだろうというところに落ち着いたと思う。人工衛星だと主張する韓国政府や、六カ国協議を主催する中国は、この決議によってかなり追い込まれている。その辺を評価することが肝心だろう。

しかし、「サンデープロジェクト」を見ていると田原総一朗は7章を盛り込めなかったことが外交敗北だとさかんに外務省を非難していて、ちょっとどうかと思う。徹底的な鷹派、つまり日本を再軍備するために一直線に進むべきだという主張の持ち主ならその非難もわかる。つまり日本が率先して制裁を課す以上、日本の危険度が高まるわけだからもっと軍備を徹底し、また9条廃止などそのための条件整備を進めるべきだという主張なら、強く非難するのもわかるということである。

しかし、田原の主張はそうではないだろう。それなのにこれを外交敗北と非難するというのは、主張に整合性がないし、そうした鷹派の論調に妙に迎合した印象を与える。私自身、北朝鮮等に対し断固とした手段が取れる環境整備が必要だとは思うが、議論は徹底してつめるべきだと思うし、主張と違う行動をとる人間に対しては警戒心を持つ。議論のカウンターパートは、主張は違っても人間的には信頼できる相手であってほしいと思う。

現在の田原の態度は、昭和5年のロンドン軍縮条約調印の際、民政党内閣による統帥権干犯だと主張する海軍艦隊派に迎合した政友会の姿勢を思い出させる。田原という人はやはりおっちょこちょいというか、姿勢のブレがありすぎるのが問題だ。しかしそれを素直に認めて態度の変更をはっきりと宣言すればまだいいのだが、いつもうやむやにしてでかい声で相手を抑圧する態度でごまかすのはよくない。情勢によって取るべき態度が変わるのはある意味当然なのだから、もう少し誠実な態度で物事に対応してもらえればと思う。しかしこういう人間が日本の代表的な政治ジャーナリストであり続けるということは、日本人が政治についてそういうレベルにあるということでもあるなと思う。まともに議論を仕切り、そして妥当な方向にジェントリイに世論を誘導していく、そういう成熟したテレビジャーナリストが出てこないものかと思う。

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一昨日の夜、というか昨日の未明に電話でかなり延々と議論したせいもあって、昨日はどうもなかなか調子が上がらずに困った(毎日そんなこといってるな)。夕方から町に出て、オアゾの丸善で本を物色。小林よしのりの『わしズム』の次の号にこうの史代が描くという話を思い出し、『夕凪の街桜の国』を読んでおこうと思って探すが、もう平積みではなくなっていた。検索で調べて棚に一冊残っているのを見つけ、購入。どこかで夕飯でも食べながら読もうとオアゾの店内で店を探すが、男一人の夕食としてはちょっと高い店ばかりで断念。八重洲口に回り、結局よく行く「京橋ドンピエールエクスプレスカレー」でカレーを食べる。アペリティフにキールを飲む。自分で作ったものより遙かにクレームドカシスの量が少ない。また、白ワインも私の買うもののような癖の強い安酒ではないので、味わいが全然違う。キールとはこういうものかと思いつつ飲むが、また別のところでまた試してみたいとも思った。「夕凪の街」を読みながら、つい泣きそうになる。あんまり名作だという呼び声が高かったから反感を持って読まなかったのだが、こういう作品だったのか。基本的に私の感情のスイートスポットにストレートに当たる小品である。人前で涙をこぼすわけに行かないので読むのを中止。

八重洲地下街を抜けて中央通りに出、丸善の日本橋店にも寄る。楠精一郎『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』(朝日新聞社、2006)を購入。そのまま帰宅。

『夕凪の街桜の国』は読了。「生きる」ということに抵抗を持つ皆実が悲しい。愛を打ち明けられても八月六日のことを思い出し、「そっちではない/お前の住む世界はそっちではないと誰かが言っている/八月六日/何人見殺しにしたかわからない/塀の下の級友に今助けを呼んでくると言ってそれきり戻れなかった」「羽根を焼かれためじろが地べたを跳ねていた」「死体を平気でまたいで歩くようになっていた」「川にぎっしりと浮いた死体に霞姉ちゃんと瓦礫を投げつけた/なんどもなんども投げつけた」「あれから十年/幸せだと思うたび/美しいと思うたび/愛しかった都市のすべてを人のすべてを思い出し/すべて失った日に引きずり戻される/お前の住む世界はここではないと誰かの声がする」この詩情をもって原爆被災を語れる作家が、今までいただろうかと思う。リアルでは耐えられない、抽象では響かない。この詩情だけが、原爆という人類の悲惨を語りえるのだと思う。これをセンチメンタルな美化だという意見もあろうけれども、やはりこの詩情がなければ長く語り伝えられるものにはならない。戦争体験の風化が言われるけれども、この詩情への昇華を、人はいままで怠ってきたのではないか。現代人は、詩情によってしか、記憶を伝えることは出来ないと思う。生々しい表現では、かえって伝わらないのだと思う。こうのの詩情は、原爆被災の恐怖と悲しみとやるせなさと非人間性を過不足泣く伝えているといっていいのだと思う。逆に言えば、これ以上は人間には無理なのだと思う。

「平野家の墓」と刻まれた墓石に、昭和二十年八月六日とそれに近い年月の間に亡くなった人の名前が並んでいるのを見ると、それで十分に何があったか、生々しく感じる。

「生まれる前/そうあの時わたしはふたりを見ていた/そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」これが、作者のこうのが出した答えだろう。それもまたある種のセンチメンタリズムだという批判は必ずあるだろうが、それ以上の表現がこうした事柄に十分な共感を呼び起こせるかどうか、と考えればここまでではないかと思う。

戦後世代が過去の戦争を語る困難さに、この作品は新たな可能性を示したように思う。そして詩の言葉が持つ新たな可能性を、私は感じることが出来た。たとえばこれは『朗読者』におけるホロコーストを語る言葉とも通じるものがあるような気がする。何があったのか、を心から心に伝えるためには、そうした表現が不可欠なのだと思う。

ただまあもちろん、このあたりは私がそれなりに原爆についてあらかじめ知識があるということはあるだろう。『はだしのゲン』を読んだこともなく原爆資料館にいったこともなく被爆者の話を聞いたこともなく、教科書の文字を追ったことしかない人にとってこれだけの表現ではやはり不足なのかもしれないとは思う。(我々の子供のころには、原爆の悲惨さを訴える表現は今に比べれば相当たくさん、どこにでもあったような気がする。)しかし、そういう人にとっても知ろうとするきっかけにはなるのではないか。それだけの表現力は持っていると思う。

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『大政翼賛会に抗した40人』は戦時中に同交会に属した議員たちについての論考で、戦前と戦後の政党政治の継続性について見失われがちなところをよく描いていると思う。まだ読みかけなので最終的な評価は出来ないが、いままでのところでは『鳩山一郎・薫日記』からの引用が多く、これは私も持っているので、照らし合わせながら読んでいると、議員たちの目から見た大東亜戦争がどのようなものか、理解しやすいように思う。

東京裁判史観に対抗するためには軍事的な側面からだけではなく、抗した政党政治の側面、その継続性などについて考察していくのは意味のあることだと思う。多くの外国人は戦前に日本で政党政治が行われていたこと自体を認識せずに日本を野蛮な国家だと論難する傾向も強いので、野蛮性というよりシステムの不具合が戦争に至った日本側の大きな要因であるということをはっきりさせていくべきだと思う。そのためには、システムがきちんと動いていたこと、そして戦争中もそのシステムが完全に動かなくなってはいなかったこと(ワイマール憲法と違い、帝国憲法は戦争中も停止されることはなかったし、議会も存在が否定されることはなかった)をはっきりさせておくことは重要だと思う。

大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち

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