ヨーロッパの美術館のすごさは東京には持って来られない

Posted at 06/06/03

昨日帰京。午前中松本に行き、からだを見てもらって足首をいじってもらってから、ちょっと体調が変化した感じ。左足が今までなんとなく内側を向いていてそんなものかと思っていたが、どうもねじれていたということらしいということが分かってきた。今は意識して外を向けているが、その方がからだに安定感がある。夜は東京に戻ってきてからなんとなく『爆笑問題の検索ちゃん』を見始めつい最後まで見てしまった。最近この番組によく引っかかる。

今朝は起きたら8時過ぎ。そういえば先週プラド美術館展に行き損ねたことを思い出し、早めに出かけてみることにする。10時ごろ都美館に着いたが、もう既に混雑していた。入ってみるといきなりコエーリョの『王女イサベルとカタリナ』だったが、どうもそれで大体の全体像が分かった。バロックは全体的に巨匠の作品を少しずつ持ってきているとはいえ、目玉になるものはほとんどない。二級品だ、といっては言いすぎだが、まあ考えてみたら仕方がないことだろう。プラド美術館に行ってみたらベラスケスの『ラス・メニーナス』もゴヤの『着衣のマハ・裸のマハ』もありませんでした、というのでは金を返せといいたくなる。

バロックで見ごたえがあったといえばリベーラの『聖アンデレ』スルバランの『静物』くらいだろうか。ムリーリョも『無限罪の御宿り』ならもっといいのがあったはずだ。『貝殻の子どもたち』は洗礼者ヨハネとイエスを子どもの姿で描いたものだが、ものすごい人だかりになっていて、「日本はロリコン国家だ」とどなたかが書いておられたのを思い出した。

イタリアやフランドルの絵画もそういいと思わなかったが、ロココに関しては割りと印象に残った。バロック絵画というのは、巨匠のベストの作品でないと超感動、ということはないのだが、ロココというのは宮廷絵画だけあって、単に画力の問題ではないのだなと思った。いろいろとたくらみがある。とくに古代ギリシャをテーマとし、その風俗を再現しようとした作品が出てくるのはこの時代なのではないかと思うのだが、つまり、バロックの時代まではほとんど記憶にない、「コスプレ」が出てくるのである。バロック時代の宗教画、たとえばムリーリョの聖家族などにしても、実際に描かれているのは17世紀スペインの庶民の家庭で、それがヨセフ・マリア・イエスを表わしていたりする。考えてみたらボッティチェリの「春」などはギリシャ風の衣服を着ていたりするなあと思ったが、大々的に意識的にそういうものが絵画に取り入れられたのは18世紀ではないかなあ。いやグィド・レーニがいるか。

ちょっと美術史的な知識が混乱しているのではっきりとしたことがいえなくなったが、とにかく「ギリシャ風」の衣装が絵画に好んで取り上げられてくるのはロココの特徴のひとつだと思う。レーニのような神話世界をババンと描きました、というような感じではなく、ただ麦を蒔いている若い女性にギリシャ風の衣装を着せて描いてるという、やはりコスプレという感じが強い。あとは何というか、謎かけみたいな感じがある。宗教的な意味での謎かけはそれまでもあったが、もっと「知的」な感じである。いややはり美術史から相当長い間離れてしまっているので肝心なところに自身がもてないことが多くてこういう文章は書きにくいな。しかし、ロココ侮るべからず、と思ったのは収穫だった。ゴヤもやはりロココの文脈の中から出てきた人だし、イギリスの風景画などもロココの巨大な山脈の支脈だという気がする。ロココはリュミエール、つまり啓蒙主義時代の最も主流となった表現様式であるから、研究対象としては相当面白いと思うし、何より現代的な感じがする。知的実力さえあれば取り組んでみるのにこんなに面白い時代はないんじゃないかと前から思っているのだが。

ゴヤも数点あったが、ゴヤはやはりゴヤであると言うだけですごいなと思う。

プラド美術館に行ったのはもう22年前。それを懐かしもうという気持ちがあって見に行ったのだが、そういう意味では失敗だった。スペインまで行ってもっとも印象に残ったような絵、が大挙して東京にやってくる、などということは考えてみたらあり得ないのだ。見に行ったけどそんなに印象に残っていない絵、というのがたくさん来るのはある意味当たり前だ。それをあんなに大混雑のなか見に行くというのは失敗もいいところだ。修学旅行生らしい夏服のセーラー服が館内のベンチの上でうんざりした顔でたくさん座っていたが、実際のプラド美術館に行ったら、この子達もきっともっと目を輝かしていただろう。ヨーロッパの美術館のすごさというのは、行ってみないと絶対に分からないものだから、「展」でプラド美術館というのがこんなものだと思ってしまったら彼女らの人生にとっても損失だなとしみじみ思ってしまった。

帰りに東京駅により、丸善で<モリエール『人間嫌い』(1952、新潮文庫)シュリンク『朗読者』(2003、新潮文庫)を買い、4階でオムハヤシハンバーグというのを食べて帰る。日本最初のハヤシライスといわれる丸善のハヤシライスだが、単体では美味しいがあっさりしすぎている感じなのだけど、プレーンオムレツやハンバーグと一緒に食べるとドミグラスの美味しさがいっそう引き立って分かる。なんだかゲテモノみたいに見えるが、そういう食べ方の方があっているんだなと思った。

朗読者

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