月明かりの下で見るとゴミさえきれいに見える/名だたるメリー・イングランド

Posted at 06/04/10

今日は曇っていて肌寒い。昨日もなかなか調子が出なくて、益体のないことをいろいろ考えていた。益体のないことというのは本当に益体のないことで、全然前向きにならない思考である。同じところをうろうろしているだけなので、無意識のうちにどうにか流れを変えなければならないと思ったのだろう。

9時前に一番を狙って散髪に行く。最近髭が伸びている、というか伸ばしているので、口も顎も頬も剃らないでもらって、とにかく髪だけ短くする。今まで相当むさくなっていたのがさっぱり系になった。わざわざ一番を狙って行ったのにあとの客が来ない。表を見たら料金が上がっていたので、それで敬遠されたのだろうか。どこも商売は大変だ。

こういうときには腹だけは減るので散髪の帰りにampmに何か食べるものを、と思って買いにいく。安田潤司原作・中村毅士作画『牌の音 雀鬼桜井章一』(竹書房)というコンビニコミックが目に止まり購入。今まで無頼時代の桜井を扱ったマンガなどはよく読んだが、麻雀道場を開いてからの話を読むのは初めてなので興味深く読む。麻雀も茶道のように基本動作が大切だと言う話は前も読んでいたが、絵で示されるとなるほどと思う。

印象に残っているのは発待ちで上がれなかった人に次に白で振り込んだ場面で、こういうときは発を先に打つのが手順だ、と説明したところ。

もうひとつは「ゴミを月明かりの下で見るとゴミすらきれいに見えることがあるんだよね。キラッと光ったりしてね。でもそれを太陽の下で見たら明らかにゴミなんだ。今の世の中ってその月明かりで物を見ているようなところがある。で、なんかあって変化していく者はそういうことに気付いていく。気付かない奴は鈍いし心がないんだろうね。そこで何か学んでいく奴は本当に知恵のある奴なんだ。」という桜井の言葉である。これはちょっと心が震える言葉である。

昼ごろ出かける。心に引っかかっていた時代性のことと文学理論のことをちょっと決着をつけようと思って文学理論を説明した本を何か買おうと丸の内の丸善に出かける。最初はいろいろな理論や理論家を説明した新書館のものを買おうと思ったが、前書きを読んだだけで著者に強力なイデオロギー性を感じてやめる。結局何とか読む気になれそうなテリー・イーグルトン・小林章夫訳『アフター・セオリー』(筑摩書房、2005)を買う。原著が2003年の著書なので911後の世界に対応した議論がなされているから読む意味があるだろうと思ったのだが。

時代性の認識のずれというのは日本においてとイギリスにおいてではかなりあるなということはまず感じる。ただ、知的エリートが身体論に走るとセックスする身体にばかり関心が行くという現象について批判的であったのはそうだよなあと思った。ヴァギナ論だの何だの、いったい何が面白いのかと最近並んでいる研究書を見るたびに思っていたが、向こうの研究もなにやら変なところに落ち込んでいることは確かなようだ。それが日本の本屋に翻訳で並んでいると言うことはそれに呼応する研究者=翻訳者と出版社があると言うことではあるが。

日本の我々にとっての時代性の認識に大きく関わるのは中国や韓国との関係の不愉快さということが大きな部分を占めていて、それは東アジアに残存する冷戦構造と不可分なものなのだが、西欧においての時代性認識はそうした東西対立的な構図からはかなり離れたものになっている。当然「テロとの戦争」や「『テロとの戦争』との対立」が大きな問題になっていて、そういう意味で言えば大きな枠組として西欧社会の自由民主主義的なアイデンティティと非西欧社会、特にイスラム社会の宗教に基づくアイデンティティの対立など、アイデンティティ対立の構図が現代における「時代性」を大きく特徴付けると言うことはいえるかもしれない。

冷戦構造というのは「アイデンティティ対立」ではなく「イデオロギー対立」であったわけだが、もちろんその中にもアイデンティティの対立は内包されていたことはいうまでもなく、それが中ソ論争などにイデオロギー対立の形をとりながら反映されていたことは確かだろう。北朝鮮にいたっては「主体思想」などというくらいだから、かなり初期からアイデンティティを意識していたことは間違いない。

しかし理論というのは当たり前だがアイデンティティよりはイデオロギーに関するものであって、社会主義理論が(少なくとも国家原理としては)滅びても結局はある「世界の見方」を提示するためのものでもあったのと同様、文学理論というものもある世界の見方の提示として存在することは間違いない。しかし社会主義理論というものが結局はその見方の不自由さによって滅びていったのと同様、文学や文化の理論というものも少なくとも現状のものでは見方を不自由にするものでこそあれ豊かにさまざまな可能性を開いていくものではあり得ないような気がする。理論よりもまず常識とか感覚とかそういうもので虚心に世界を見なければ、理論を通してみるときの世界の歪みがどのような傾向を持ったものなのかが分からなくなるだろう。なんというか、先に書いたような「月の光でものを見ればゴミでもきれいに見える」というのが理論的なものの見方のような気がするのである。
まあとにかく、そうはいっても月の光で見ればひときわきれいに見えるものの美が存在することは確かではあるし、それはある種のマジックとして知っていればいいことなのだと思う。現実には自分が読んで感じた感動が何よりも大切なことであることに変わりはないのだと思う。まあ勉強するのは議論に必要なくらいにして、そんなものになるべくかかわらない方がいいという考えがだんだん固まってきた。

スコットの『アイヴァンホー』は金曜日に読了。ユダヤ娘のレベッカがこの長大な小説の本当の主人公とも言うべき存在だと思う。それぞれのキャラクターはある種人工的な感じがするがそれでもよく造形されていると思う。イギリス人の子どもは子供のころナルニアを読んで高学年くらいでスコットを読み、イングランド中世世界についてなんとなく認識を持っていくのだろうなとその広がりを思った。『カスピアン王子のつのぶえ』に出てくる元ナルニア人というのはサクソン人に、テルマール人というのはノルマン人に比定できるし、かなりの部分がイギリス史(だけではないが)に取材されて創られている。私は小中学生の頃はもう徹底的にナルニアに傾倒していたがその後に続けば面白そうなスコットや中世騎士伝説物に今までめぐり合うことが出来ず燃料が足りなかったのだけれど、今こういうものを読むとじわっといいなと思う。

特に印象に残ったところをひとつあげると、無実の罪で魔女裁判にかけられたレベッカが自分の代理として騎士を立て、決闘で白黒をつけようというところである。

「魔女のために槍を取るなどと申す気まぐれものがござるかの?ユダヤ娘のために代理戦士をつとめようなどと申す酔狂者がござるかの?」
「いいえ、神さまがお立てくださいます。名だたるこのメリー・イングランド――侠気の国、守礼の国、自由の国イングランド、名誉のためには死もまた辞せぬとおっしゃる方ばかりおられるはずのこのイングランドに、一人として正義のために戦ってくださる方がおられぬとは、いいえ、そんなはずはございませぬ。」

原文 "And who, Rebecca," replied the Grand Master, "will lay lance in rest for a sorceress? who will be the champion of a Jewess?"

"God will raise me up a champion," said Rebecca"It cannot be that in merry Englandthe hospitable, the generous, the free, where so many are ready to peril their lives for honour, there will not be found one to fight for justice. "

「名だたるこのメリー・イングランド」というところでちょっと泣きそうになる。私はどうもこういう「国誉め」に弱い。プーシキンでも『青銅の騎士』の「ピョートルの都よ、美しくあれ。ゆるぎなく立て、ロシアのように。」という部分でうわっと思ったし、20歳の頃深夜映画館で『ディア・ハンター』を見たときも"God bless America"が強く印象に残った。「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 大和しうるわし」というヤマトタケルの歌と同様に、国ぼめの歌というのは多分どんなものでも私は好きだとおもう。国際的ナショナリスト(?)と言えば形容矛盾だが、その土地に住む人がその国土を愛する愛ほどよいものはないと思うからだろう。

スコットはなかなか面白いしいいのだが、やはり美しさという点ではプーシキンに劣る。スコットも詩人なのだが、やはり天分としてはプーシキンの方が上だということなのだろうか。

世界を救うのは何だろう。もちろん物質的なものも必要だろう。でも貧しい国に行けばいくほど詩人が尊敬されるのを見れば、(その認識には異論があろうが)世界を救うのはやはり言葉の力ではないかと思う。散文よりも言葉の力をもつ詩の力のみが世界の崩壊を食い止める力を持ちえるのではないかと思われてならない。

その言葉の美しさというものを――言葉だけではないが――追求していきたいと改めて思うのだった。


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