時代性と言葉の存在価値

Posted at 06/04/09

今朝はいい天気。昨日は疲れていてなんだかあまりぱっとせず、午後はずいぶん眠ったりしてしまった。いろいろな意味で行き詰まりを感じることが多く、なんだか嫌になってしまっていたのだが、その大部分が疲れから来ていることはまあ確かだったので、そういう時は余計なことを考えずに旨いものでも食って寝るのが一番という古来からの黄金律に従うことにする。

五時を過ぎてから日本橋に出かけ、丸善で本を物色。買いたいと思うものはなし。小林よしのり『わしズム』の新巻が出ていた。教育問題を扱っているようだったが、どうも買う気にならない。なぜかずいぶんマンガが多く、今までの難しい文章が多かった硬派の印象が様変わりだ。先週岩波ブックセンターで戯れに立ち読みした『論座』の保守特集で、八木秀次(だったと思う)との対談で西部邁が「残念ながら小林君とは袂を分かった」といっていたのを読んだが、そのあたりが影響しているのかもしれない。西部が欠けると、「わしズム」の厚みがずいぶん薄っぺらくなるのだなと改めて西部の厚みを認識する。まあ昨日の「世を果敢なんだ状態」での印象と改めて読んでの印象がどう違うかは分からないが。

結局本は何も買わずにコレドの地下にいき、ダージリンとパイナップルとかさごの刺身とネギトロ巻を買って帰る。かさごの刺身はずいぶんあっさりした味。ネギトロ巻とパイナップルは思ったより美味だった。ダージリンは今飲みながら書いているが、面倒になると紅茶もティーバッグになってしまうのだけど、やはりちゃんと淹れたほうがうまいなと思う。

日本橋で東西線に乗ったら快速だったので、東陽町で各駅停車に乗り換えるのを待つ間、時代性という問題を反芻して考える。ここ数日、この問題を、頭から離れないというほどでもないけれども、よく考える。一番はっきりしてきたのは、自分が考える、意識する時代性というものと雑誌やテレビなどで一般的に使われる時代性というものとがかなり違うものだということだ。一般的な意味で言うのなら、かなり長い間、自分は時代性というものに背を向けていたなと思う。つまり、世の中というものは濁世で末世で(笑)、どうにもならない大衆社会状況で、イヤな世の中だと言う感覚がもう無意識的にも意識的にも相当強かったし、もちろん今でもそういう部分は多分にある。しかしそれでも世の中に対しああでもないこうでもないと考えて見たり分析してみたりはしてきたのだが、世の中の垢には出来るだけ触れたくないと言う気持ちが強かった。「厭離穢土」感とでも言うか。

その中で、自分にとって小林よしのりという人の書くものは、世の中をのぞく鏡、窓のようなものだったなと思う。つまり汚い世の中でも、彼の書くものという窓を通してみれば、何とか見る気がするというか、見られるものに見えるという感じがあった。それが彼の言語感覚なり描写感覚の優れているところなのだろうと思う。もちろんその窓、鏡というのは針の穴のようなもので、全てが見えるわけではないし、ある人間の感覚し表現しえるものというのは誰がやっても象を撫でる群盲以上のものではないのだろうと思う。その中では小林の感覚は相当優れていると思うし、もちろん自分のセンスにもあっていたのだろうと思う。

しかしそれも西部的なものとの相乗効果というものが最近は強くあったので、袂をわかって後の彼はおそらくは正念場なのだろうと思う。

私自身の現代社会に対するの問題意識としては、やはり大衆社会状況の抱える問題というものが一番強いんだろうなと思う。ただ肯定するにしても否定するにしても、この流れを変えることは相当難しいことであることは確かである。問題は教育というところに行かざるをえないが、教育界というものが伏魔殿的な問題を抱えたところであることは、そこに身を置いた経験のあるものとしてはかなり絶望的なものを感じている。

だから社会の方向性を変えること自体のほうが教育の方向性を変えることに先立たなければ無理なのではないかと今のところは私としては思っている。

批評や評論というものは本来時代性に影響を与えるものでなければ存在価値がないと思うのだが、批評理論等を見ても私の認識している範囲では少なくとも日本の世論に影響力を持ちうるようなものは乏しいし、私から見ても魅力的に感じるものは全くない。自分の言いたいことを理論化する必要があるのかどうかは今のところよくわからないのだけど、問題意識をどのように時代性と整合させていくか、というのは私のような人間にとっては難しいし重要な問題だなと思う。

「時代性」というのは結局は「世の中の多くの人が問題と感じている漠然とした何か」でしかないわけだし、そういうものにコミットするものでなければ言葉もなかなか力を持ちえないのは確かだろう。

しかしもちろんそれだけが言葉の持つ価値の全てではないわけで、そのあたりをどうつき合わせていくかが一人の人間の生にとって価値のある問題なのだろうと思う。


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