「学者」というものの精神構造/「自我」というものと挫折体験

Posted at 06/01/06

昨日は午前中は仕事をしたが午後は人手が余るようだったので仕事を免除してもらって休む。3時間少し仕事をしていたがかなり疲れた。腰は体の要だなと改めて思う。午後は少し横になった後、ドイツ語を学習したり『庭仕事の愉しみ』を読んだり。FMではシューマンが流れていた。シューマンというのはどういう作曲家というべきか、なんとなくまだその性格がつかみきれない。19世紀前半の作曲家でベートーヴェンに強い影響を受けている感じはわかるのだが、そのオリジナリティがどこにあるのかというところがまだ見つけられていない。しかし、今まで聞いていた感じより昨日はそのよさが少し理解できた気がした。もう少し聞けば自分なりの答えが出るかもしれない。

『庭仕事の愉しみ』は本当に庭仕事の話が多いのでこんな厳寒期に読んでもあまり想像がつかないところがある。庭が好きな人ならもっと楽しめるのだろうなと思う。私は丁寧に翻訳された岡田朝雄氏の言葉を玩味して楽しむだけだ。ドイツ語がもう少し読めるようになったらヘッセももう一度読んでみたいものだと思う。あとはゲーテも。

あまり読み進められないので他に何か読むものはないかと本棚を探ったら大塚ひかり『美男の立身、ブ男の逆襲』(文春新書,2005)が出て来た。古典文学に表れる美醜をネタに各時代において「美―醜」がどのように見られていたか、というのを見ようという試みだが、どうもなんだか俗情に結託しすぎていて品がなく、以前読んだときは途中で投げ出してしまった。しかし今回『文豪の古典力』を読んだ後で読んでみると作者のこだわりのようなものも客観的に見られるようになっていて、つまらないところは投げ捨てて興味深いところをピックアップして心に取り入れることが出来るようになっていてそれなりに面白く読めている。

特に面白いと思ったのは「学者」というものを批判しているくだりで、こういうネタはなかなか学者には書けない。著者の学者観と言うのは「自分以外はみんな馬鹿だとみなしているような、傲慢で排他的で、攻撃的な人」であり、「子どもっぽくて自己中心的で、ほとんど怨念で生きているような人たち」であり、「ほとほと特権意識のかたまりのような人たち」というものである。しかし一方で、「彼らのぐつぐつと煮えくりかえるマグマのような、莫大な精神的エネルギーに対して、正直言って畏敬の念と共感のようなものを感じ」、「学者の多くが人を小ばかにするのが得意な、ゆがんだ精神の持ち主」だと思う一方、「いったんタガが外れると、そのはじけ具合は尋常ならざるものがあって、つきあいようによっては、純粋で正直で刺激的な人たちで」あり、「学者のアクや毒々しさにもまた、捨てがたい『負の魅力』というべきものを感じ」る、というわけである。まあこれだけ読んでいただければ十分感じられると思うが、表現に品はないが知的ではあり、正直な筆致ではあるが読んでいるとだんだん嫌悪感を感じる文章ではある。

この小文を読んでおられる「学者」の方々に気を使うわけではないが、私が現実に出会った学者の方々はもっと健全な常識をもった社会人であられる方が多いように思う。しかしどこかに上に述べたようなものの片鱗が感じられる方も時折はおられることは事実だと思う。そうした学者の「パワー」のようなものがもっとも発揮されたのが平安初期の菅原道真らの時代であるという話はなかなか面白かった。

「皇族でも大貴族出身でもない道真が、畏れと信仰の対象になったのは、道真の偉大さと左遷の不当さを物語るとともに、学者の恨みというのは常人をはるかに超える深さと執念深さをもっているのだという共通認識があったからではないか。(中略)とりわけそこに立身出世や賞罰が絡んできたりすると、学者の怨念はほとんど生きるエネルギーと化す」というくだりには笑ってしまった。「学者の律儀さや執念深さ、世俗性と同時に神秘性」があるという評価の仕方はなるほどと思う。平安後期の文学では大体学者は笑いものにされていることが多いと思う。

当時の学者というのは要するに漢学者のことだ。学者が学問というものに対して厳密、悪く言えば偏狭であるのは今でも同じことだが、在原業平などを「美しく、無学で、歌が詠める」、と正史に書いてしまうのが学者というものなのだと思う。漢才があってこそ「大和魂」も生かされる、と源氏物語で光源氏は言っているが、逆説的に言えば当時は一般的には漢才というものは本当には重視されてはいなかったということかもしれない。歌を読むというのもある意味では女性を口説いたり危機を脱出したりするための処世の、あるいは政治的な才能ということも出来るし、本当に政治力に恵まれた人は学問を重視はしても学問にとらわれることはないわけで、そのあたりの学問論という視点からこの本はとても面白く感じる。美醜論とは直接関係はないのだが、美醜という価値観の問題に絡めて言えば学問を重視するか軽んじるかといったところもまた価値観の問題であり、多くの人に直接的に感情に突き刺さる美醜の問題よりも学問の位置のその時代なりの捕らえ方のようなものを考えてみたいと思ったのだった。

著者はもともと史学の人ということで、やはりどこが時代の変わり目なのか、といった歴史的な意識が強いところが私にとっては読みやすいところがあるのも事実である。ただ言葉に対する感覚、とらえ方が紋切り型を脱していないように思うし、思想的にも平等や差別といった問題をめぐる価値観(そういうものだけではなくいろいろなものが)が感情に直結していて辟易するが、まあそういうところは切り捨てておけばよいということだろう。

話は関係ないようでないわけでもないのだが。

ちょっといろいろ考えていたのは、「自我」というのはいつ頃できるのだろう、ということだ。子どもを見ていると、女の子は割合早めに出来ているように思うし、男の子は割といつまでたっても空っぽといっては何だがあまり自我というようなものがそう早くは出来ないように思う。一概に自我といってもとらえ方はさまざまだろうが、私が思うのはまず「自己評価」が生まれるということではないかと思う。自分を「こういう人間」だと認識することで、他者からの評価がそれと異なると非常に心外に感じたりするのが「自我の目覚め」というものではないかという気がする。女子は小学校低学年くらい、男子は高学年から中学生くらい、というのが私の感じだがどうだろう。

学習と自我との関係を考えると、ある意味、自我というのは学習の妨げになることが多い。つまり「素直」になれないということが学習を阻害する、ということである。しかし逆に、評価を受けたときに「自分はもっと出来るはず」という形で自我が刺激されるととにかく学習に没頭したりする。そうなれば自我の存在がプラスに働くということだろう。逆に学習自体を自分は拒絶する、という方向で自我が働くと出来るものも出来なくなる。イギリスの労働者階級などでは学習の出来る人間を忌避する文化があるために階級的な再生産が行われるのだ、ということを読んだことがあるが、日本でももちろんそういうものはある。というか私は自分ではそういう文化の被害者だと言う意識がある。

それはともかく。自分自身の自我ということを考えてみると、やはり中学に入ったころかなと思う。英語という言語の文法的な論理の構造を飲み込めなかったということが自分にとって大きな分かれ道になったなと今では思う。そのあたりでの自分との対話の中から自我というものが生じてきたような気が、私の場合はする。やはり自我というものは挫折体験というものと強く結びついているのだろうと思う。

だからおそらく、無我の境地というものは挫折体験を乗り越えるということと大きな関係があるのだろうと思う。挫折体験が大きく深い分だけ、それを乗り越えるには大きな苦しみを伴うが、乗り越えれば別の世界に到達できるし乗り越えなければまた別の世界というか「浮世」というものをさすらうことになる。まあどれもこれも人生だからどうということもないのだが、その辺のところに鍵があるのかなという気がする。

だから乗り越え体験(または乗り越えられな体験)がどんな形でどのように行われたかということと人の性格というものはかなり密接に関係しているし、文章の書き方にもそれは強く反映しているのだろう。なんだか六道輪廻という感じだが、さて自分はどこに。

何か文章がとんでもない展開になってきてしまったところで幕。

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