ライブドアのアルジャジーラ・ニュース配信/孫引き是か非か

Posted at 05/10/09 Trackback(1)»

一昨日帰京。一昨日の夜は雨が降っていて、特急が少し遅れた。昨日は降らなかったが、あまり外出せず。じっくり疲れを取った感じ。今朝はまた雨が降っている。ラテン語をちょっと勉強したいなと思ってネットでいろいろなサイトを見ていたらフランス語も勉強の足りない部分をまたやってみたいなとか思い出し、昔やったフランス語の参考書等を引っ張り出してきたらダンボール一箱出てきた。語学というのは昔はある種のマニアのようにいろいろ手をつけては放棄したものだが、今ならやる気にさえなればそれなりに勉強が進むだろうとは思う。しかしそんなことをやっている時間はあまり取れないのが残念だ。

それにしても、本当に全く歯が立たなかったのがアラビア語なのだが、アルジャジーラのサイトを見るとそれが活字で表示されているから変な話だが凄いなと思う。タイ語やヒンディー語もそうだが、ああいうアラム文字系の文字を使用している言語はまずそれだけで生理的拒否感が出てしまうのはいかなる理由か。ウィキペディアなどで調べるとアラム文字系の文字を使用する言語は西アジア・北アジア・南アジア・東南アジアと漢字圏以外のアジア世界を広く覆っているんだよなあ。と改めて思う。と書いてみると、やはり漢字圏たる東アジアというのはアジアの中でも特殊性が高い、というか別の世界なのだなと思う。そしてモンゴリア・マンチュリア・チベット・東トルキスタンを中国国家が支配することに少なくとも文化的文明的必然性はないということでもあるなと思う。まあ共産主義のようなヴァンダリズムを内包する思想を根幹とする党および国家が文明的必然性というようなことを言うはずもないし言ったところで正当性もないのだが。

まあしかし人生あと数百年あったらしばらく語学ばっかり勉強するのも面白いなと思う。地球上で文字の存在する全ての言語、いやしない言語も含めて、をマスターするには、ものすごく才能のある人でどのくらいの日月がかかるものだろう。そうしたらその人間においてはバベルの塔以来の言語の混乱が収束するわけだが。

話が変な方向に行ったが、アラビア語のことを思い出したのはライブドアがアルジャジーラニュースの配信を始めたのが面白いなと思っていたからである。ライブドアは報道機関には思想性やオピニオン性などいらないといってフジ・産経文化人たちの怒りを買っていたが、アルジャジーラのような日本になじみが少ない所の報道機関のニュースをどんどん日本語で配信するというような方向に向かうのなら、それはそれで面白いと思う。まあ堀江氏にそういう面白さが分かっているわけではなかろうが、日本は明治以来外国語を取得して外国語で世界を把握するということを目指してきたわけではなく、翻訳によって日本語で世界を把握することを目指して来た国だから、インドの報道やらブラジルの報道やらも日本語で知ることが出来るようになるとそれはそれでとても面白いことだと思う。ライブドアの方向性は一過性のものかも知れないが、恒常的にそういうことをしてくれるところが出てこないものかなと思う。

というようなことを昨日書こうと思っていたのだが結局どうも書く気になれず、中途半端な文章がファイルに残っていた。

今朝興味を引かれたのはいくつかのブログで孫引き是か非かという議論があったことだ。私もしょっちゅう孫引きをしているが、結局は書く人間の心がけの問題で、学術論文ではもちろん物理的に可能な限り原典に当たるのは当たり前だが、啓蒙書などではこれは原点をちゃんと読んでないんじゃないかなと思われるような記述は実は結構ある。啓蒙書は必ずしも自分の専門について書くとは限らないから、特にあまり重要でない部分の記述において、ほかの人の研究や主張をもともとの主張にさかのぼって調べてはいないケースはある。

孫引きが問題になるのは、引用者の解釈を鵜呑みにしてしまうことによって見方にバイアスがかかり誤解が生まれやすいという点に原因があり、それがさまざまな弊害に発展する可能性を持っているということにある。したがって正確を期すということを最優先するならば原典主義は当然である。だから特に、孫引きした文章についてその意見の是非を論じるような場合は、極力原点の文脈をおさえるべきなのは当然だろう。まあ別にそれは文章を書く上での作法とか真摯さの問題であって、ブログであったらどうとかいう問題でもない。

しかし、引用者が書いている文章についての感想を述べるならば、原典そのものよりそれを書いた人の文脈についてどう判断するかが問題になるわけだから、引用者の原典解釈をあげつらうことは必ずしも必要ではない。ただ、その引用者がどういう考え方をする人かは、原典に当たってみればよくわかることが多いし、そのあたりでその引用者の文章を書くことに関する姿勢のようなもの、人間性のようなものが見えてくるわけで、それで判断しておけば十分だろう。そしてそれについてその引用者に対する非難を表明すべきかはまあ書く人の責任において判断するしかなかろう。

引用とか孫引きの問題というのは実は教育全般に関わっていく問題だろうと思う。つまり、誰かが「学校で習ったこと」を語るということは、それだけで先生が言ったこと、書いていることの中に含まれている先人の知見の孫引きなのである。教育者、啓蒙者というのはそういう意味で研究の一線の人間では必ずしもなく、初学者に吸収しやすいようにある意味バイアスをかけて伝えているのだから、教育というのは宿命的にある種の誤解を広める行為でもあるわけである。

まあそんなことを考えると、原典に当たらずに孫引きをするという行為も、必ずしも悪意や怠惰でやったことばかりではなかろうと思うし、まあそこから生まれた誤解や誤解釈が新たな発想の原点になったり発見につながったりすることもあるだろうから、そのこと自体に目くじらを立てることはそんなにはないと思う。ただ、自ら正確さを期すことを表明していたりあるいはその点で人を批判したりするならば、当然自らはそういう点で正確を期す倫理を自分に課すべきであるし、またさまざまな点で人の不利益やその人が善意と思ってしている主張を攻撃することを目的として文章を書くならば、きちんとした根拠に基いていることを示すべきだし、その示すべき内容の中には原典を読んだ上での批判であることも含まれるだろう。

つまり結局はその文章の表現しようと意図するものそれぞれに応じた心構えのようなものがそれぞれ存在するのではないかということである。しかし世の中には誤解を承知で短絡的に口を極めて人を非難するようなことを意図して書いた文章もあるし、つまりそういう意味でシンセリティに欠けるような文章をそのほかの真摯に書かれた文章と同日の論で扱っても仕方がない。ある種の煽動や引っ掛けを狙った文章は孫引きの是か非かといった問題とは別次元の問題として扱われるべきだろう。

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